私の存在証明Ⅱ
「本当に詠美ここにいるの?」
梢が不安そうな声色で尋ねる。
「あの手紙によると、間違いないと思うけど……。」
梢と、美穂の声がする。詠美は、願望が生み出した幻覚じゃないか、と疑った。この濃い霧の中、探しにくる人がいるはずない。詠美のその思いとは裏腹に、段々と声が近づいてくる。
これは現実なのか幻覚なのか、詠美はわからなくなっていた。
「霧が多すぎて見えないよ……。」
「でもここにいるはずなの!」
二人の声がまた聞こえた。
詠美はそろそろ現実かもしれないと思い始めた時、突風が霧を薙ぎ払った。
その刹那、詠美の目に遠くの方に闇の中に目立つ白銀の筋が映った。
「美穂……。」気づいたら呟いていた。
再び、霧で覆われる。
「今、詠美の声しなかった?」
「したと思う。もっと奥にいるのかな。」
二人の声が、はっきりと聞こえる。
霧が闇に混じって灰色っぽくなっている、一部分の闇が濃くなる。闇より影と言ったほうが正確な、人型の闇が形成されているのが見えた。
詠美は座り込んで痺れた足を踏ん張って立ちあがった。
遠くの方に見える影がどんどん濃くなっていく。影に、色がついていく。
そして、その時はやってきた。
詠美の目に、二人の姿映る。
「詠美、やっと見つけた。」
「詠美。心配したんだよ?」
二人は目がいつもより吊り上がって見えた。でも二人の表情は僅かに違った。
梢と対照的に美穂の瞳の奥は不安そうに揺れていた。
「探しにきて、くれたんだ――。」詠美の心の声が漏れる。
「『私を忘れないで』って書かれてたら、最悪の事態考えるでしょ……。なんでそんなことを……。」
取り乱したように美穂が詠美を問い詰める。
「え、勿忘草にそんな意味が込められていたなんて知らなかった。」
梢が、美穂の言葉を聞いて遅れて慌て出した。
どうやら二人は詠美が自ら命を絶とうとしているのではないかと考えたようだ。生憎、詠美にはそんな勇気はない。
「私の存在を、証明して欲しかった。」詠美の心の底からの叫びが飛び出した。
「美穂だけにわかるようにしたのは……」
詠美の叫びに続くように
「梢ちゃんに、自分の悩みを知られたくなかったから。でしょ。」
美穂が、冷たい声で続きを言った。
そして詠美が豹変ぶりに着いていけていないのを尻目に続ける。
「詠美はまだ、居場所があるだけましだよね。私とは違って。」
美穂が、我慢していたものを吐き出すように言った。
「え……。」
美穂が聞いたことがない、低い声で言った。
「私はいつも一人だよ?」そう言った美穂の顔がゆっくりと歪む。
「まるで私のせいだと言いたげね。」そう梢が言った。
「別にそんなことは……。」美穂が慌てるが、
「私たちが詠美に構っているからだと態度で表れているわよ。」
梢が早口で言う。
詠美をほったらかしにして事が進んでいく。
「大体、美穂は詠美に依存しているだけじゃない。幼馴染?いつまでもそれが友情だと思っているの?」
「そ、そんな。別にそういうわけじゃない。」
美穂は目を伏せて、まるで痛いところを突かれたかのように狼狽している。
こんなことを思っている場合ではないのかもしれないが、詠美は二人のやりとりを聞いているうちに『空気じゃないのかも』と思い始めた。こんなにも思ってくれる人がいると、知らなかった訳ではないが、改めて考えると嬉しくなった。
しかし、このまま見ていても個人的には嬉しいのだが美穂が可哀想なので、
「梢、いくらなんでも言い過ぎだよ。美穂は友達だから。」
そう言って、梢を宥める。美穂はその言葉を聞いて、つい先刻までの顔が嘘のような笑みが、溢れてしまっている。
「詠美が言うなら別にいいけど。」そう言って梢は息を吸って呼吸を整えた。
「あ、そうそう。詠美の存在証明?そんなの簡単だよ。なんでも聞いてくれるし、どんなにくだらないことでも笑ってくれる。それだけで存在してる意味あると思うけど。聞き役担ってるからって存在する意味ないとか私は思わない。」
梢は頬を赤らめて、言った。梢が面と向かって感謝することは珍しい。いつもコソコソと照れ臭そうにしているのに。
ともあれ、梢の言葉には、詠美が直接言葉に出していない、本当に欲しかった答えが含まれていた。
詠美は、足の力が抜けそうになった。
「私が、捻じ曲げて考えてしまったのかもしれない。」
そう言って美穂も落ち着いて言った。
「詠美は詠美のままでいいと思う。」そう言って美穂は、何やら持っていたリュックの中を探り始めた。
それを梢と詠美は怪訝そうな顔で見つめる。
美穂は優しくその物体を持ち、リュックから手を抜いた。
その手にあったのは、黄色のデイジー。
「「デイジー?」」
美穂と梢の声が重なる。
「これもまた花言葉関連なの?」
梢が呆れたように肩をすくめて聞く。
「そうだよ。この花言葉は――」
その言葉を聞いた瞬間、詠美の目から雫が、こぼれ落ちた。
それは、詠美がずっと、誰かに言って欲しかった言葉だった。
今度こそ詠美は腰が抜けたように、その場に座り込んでしまった。それは、友達がいる前で初めて自分のありのままを曝け出した瞬間だった。でも今の詠美には何も気にならない。
梢と美穂が慌てて手を差し伸べた。その手が、また詠美の涙腺が緩む原因を作る。
「梢、美穂、ありがとう。」
詠美は震える声で二人に感謝し、美穂から黄色のデイジーをもらい、胸の前で優しく包み込んだ。
二人は揃って当たり前のことをしただけと言う風に得意げに笑った。そんな、憑き物が取れたように晴れ晴れとした顔をする詠美の様子を見た二人が、
「詠美、帰ろう?」
「みんな、心配してたんだよ?私一人しか来てないからって、心配してない訳じゃないんだから。
その証拠に、さっきから通知音がうるさくてうるさくて……マナーモードのせいでマッサージしてるみたい。」
梢が最後におどけて、三人の間に漂う重い空気を吹き飛ばした。
「そうだね。明日学校行かないとね。」
詠美が、噛み締めるように言った。
あれほど濃かった霧は晴れ、空を支配していた雲は冬の澄んだ空気で一層光り輝く星にその座を譲っていた。
その時、空に煌めく一筋の光が見えた。それは詠美の未来を輝かせる光のようだった。
QED.
私の存在証明 月丘 @Tsukioka29
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