余談

4月13日、喫茶店。

十一時三十二分。


 昼下がりの時間帯、この春神駅前は相変わらずの人混みだ。

 みんな急いでどこへ向かうのだろうかとぼんやり考えながら私は人々が跋扈する駅前広場を歩いてた。


 そうして辿り着くは慣れた場所。あの慌しい夏の思い出が詰まった喫茶店。『楽久優ラックユー』と書かれた看板を通り店の扉を開いた。


「いらっしゃいませ」


 ウエイターの高い声が私を出迎えた。

 私は慣れた足取りで店内を歩き、そのテーブルに座る。

 奥のあまり目立たない席。あの夏の日は毎日のようにこの席に座り、仲間達と捜査について語り合ったものだ。


 ウエイターがお水とおしぼりを持って来た。


「ご注文は?」


 まるで演劇の役者のように慣れた口振りだ。そんな彼女のセリフに対し、私も慣れた口振りで。


「いつもの」


 笑いながらそう答えた。

 お水を一口飲み、辺りを見回す。昼時というのもあり、店内は少し騒がしい雰囲気だった。


「聞いた? この前春神高校でね……」「聞いた聞いた! 最近の若い子はすごいわよねぇ」「フハ! フハハハハ! やはり神は僕だぁ! 僕が神になるんだぁ!!」「…………おかわり」


 他愛もない雑談をする二人の婦人にノートパソコンを凄まじい速さで打ち込んでいる青年、騒がしい店内にまったく動じず読書をする女性。

 どれだけ経ってもこの景色だけは変わっていない。


「お待たせしました。オレンジジュースと日替わりパスタです」


 そうして目の前に置かれた二品。

 黄色く輝くオレンジジュースに鉄板の上でジュージュー音を立てているミートソースのパスタ。

 週一の楽しみ。慌しい毎日を癒す私の好物だ。


 フォークを手に取りパスタを食べる。

 あぁ、美味しい。豚挽肉とトマトのミートソースが平たいパスタに絡みつく。

 一回噛むとトマトの酸味が口の中に巡り鼻を抜けていく。そして豚挽肉から出る肉汁が平たいパスタと共に得難い食感を生み出した。そしてオニオンが風味がパスタ全体を引き締め更に味を深くさせている。

 一口食べただけでこれだ。これが定価900円というのが信じられない。


 口直しにとオレンジジュースを飲む。

 ここのオレンジジュースは天然の甘みだ。あの夏以降、このオレンジジュース目当てで訪れる時さえある程だ。

 仕事に疲れた身体を喉から洗い流すような潤い。まるで山に湧き出た天然水を浴びるような美味しさだ。


 それから先は無我夢中でパスタを食らいついた。

 一口、また一口と食べていく。しかし運命の時は訪れてしまう。

 最後の一口、楽しい時間の終わりだ。

 フォークで掬いその一口を見つめる。

 『また来るからね』。そんなことを胸に私はパクりと最後の一口を食べたのだった。


 はあ、今日のパスタも本当に美味しかった。探偵業で疲れた気持ちを一気にリセットしてくれる。

 良い。実に良い。『名探偵が落ち着いた喫茶店で一人で優雅に昼食を摂る』これこそ理想的な━━━━


「何が理想的だよ。一人で勝手に昼メシ食べといて」

「なぁぁー!?」


 唐突な声に思わず背中をビクッとしてしまった。

 顔を上げると我が事務所の副所長、『時田怜』が呆れた顔で私を見ていた。


「や、やあ時田クン、少し早いんじゃあないかね?」

「依頼について早く話しておきたいって連絡しただろ。まさか見てないのか」


 彼の言葉を聴いて慌ててスマホを見てみると、そこには『三十分早く喫茶店に来る』という文言がしっかりと書いてあった。


「はあ…………所長さん?」

「ま、まあ別に良いではないか! ささ、早く依頼について教えてくれたまえ!」


 彼はため息を吐きながら席に着いたのだった。

 

「それじゃあ依頼についてだが、JM大学の大学教授がある本を盗まれたっていう依頼で━━━」


 これは桜の散った春の頃。とある女探偵とその助手の一幕の出来事だった。

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写真症候群 ジョン・ヤマト @faru-ku

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