これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい

風間浦

第1話

 ――別れましょう。

 

 彼女のその一言で、僕達の関係はちょうど一月を前に終わりを迎えた。

 

 

 

 終焉は何の前触れも無く、唐突に訪れた。

 

 共通の友人を介して知り合った彼女は、笑顔を絶やさず気遣いを忘れない女性だった。

 

 好みも良く似ていて、犬好き、たけのこ派、天一であっさりを頼む所まで同じだった。

 

 ずっと一緒にいるものだと思っていた。ほんの三十分前までは。

 

 

 

 今日は三度目のデートだった。お互いにぎこちなく、他人行儀だった一度目、まだ手探りだった二度目を踏まえ、僕には期するものがあった。

 

 楽しそうな彼女の様子に、エスコートにも力が入る。買い物に付き合った後は、二人で行こうと話していた中華料理店へ。

 

 ネットで評判の唐揚げが、大皿に盛られてやって来る。彼女は小さく拍手をした。

 

 僕は気を利かせて、皿に添えられたレモンを取り汁を振った。

 

 

 

 ――何してるの。

 

 

 

 初めて聞く、低い声。彼女の顔から、表情が抜け落ちていた。

 

 一体どうしたと言うのか。僕は内心の動揺を隠しながら、何でもない事のように彼女に唐揚げを取り分ける。

 

 しかし彼女が、僕の手から小皿を受け取る事は無かった。

 

 ――信じられない。

 

 震える声で、彼女は言った。

 

 ――唐揚げにはマヨネーズじゃないの。

 

 僕は衝撃を受けた。

 

 ――貴方がそんな人だったなんて。

 

 彼女は席を立った。

 

 ――もう貴方と一緒にいる事は出来ない。

 

 そうして別れの言葉を残し、去っていった。

 

 

 

 僕は千葉駅の改札を出た。辺りは暗くなっていた。

 

 歩いて帰りたい気分だった。というか、東千葉までの短い距離を乗り換えなければならない事さえ、今の僕には理不尽に思えた。

 

 どうして総武線は千葉駅までなのか、もうちょっとくらいいいじゃないか。そんな事を思いながら、線路沿いを歩き続ける。

 

 何が悪かったのだろう。いや、そんな事はわかりきっている。

 

 僕はただ、行動を起こす前に、一言彼女に聞くだけで良かったんだ。唐揚げに何かかけるか、と。

 

 それだけできっと、僕の横には今も彼女がいてくれた。マヨネーズとレモンをシェアして、新しい味覚の扉を開いていたかもしれない。

 

 テーブルの端の調味料の中には、確かにマヨネーズの容器があったんだ。字が汚くて、「アヨネーズ」になっていたけど、ラベルも貼ってあった。

 

 僕は間違えたんだ。

 

 たかだか三度目のデートで、何もかもわかった気になって。

 

 気を利かせたつもりで、優しさを示したつもりで。

 

 僕の思いは、独りよがりなものでしかなかった。

 

 

 

 長く緩やかな勾配を上りきり、椿森陸橋に差し掛かる。

 

 僕が子供の頃、この場所から豪華客船を模した建築物を見下ろす事が出来た。

 

 周囲に灯りも少なく、夜にライトアップされた建物は、暗い海に浮かぶクルーズ船のようで。東千葉駅の小さな改札は、大人達が夢の船に乗り込む桟橋みたいだった。

 

 乗ってみたいと母親に駄々をこね、子供は駄目だと叱られた。早く大人になりたいと思った。

 

 それがラブホだと知ったのは、小学校の高学年になってからだ。その時にはもうホテルは閉館していて、照明も無くなった建物は、まるで幽霊船のようだった。

 

 いつしかそこは、葬儀場になっていた。

 

 

 

 気づいた時はいつも手遅れ。

 

 そしていつものように忘れてしまうのだろう。

 

 解体された船のラブホのように、今日の事も、彼女の事も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい 風間浦 @vkazamaura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ