すずらん

増田朋美

すずらん

その日も暑い日で、雨が止んだと思ったら、急に暑くなってしまって、なんだかすごく残念な日だなあと思われる日だった。子供には、すごい嬉しい夏休みだと思うのだが、生活がかかっている大人にとっては、タイヘン辛い季節になってしまうのだろう。本当に暑いなあと思われる日だった。杉ちゃんと蘭がいつもどおりにご飯を食べていると。

「おーい蘭。お前にちょっと頼みたいことがあるんだが?」

と、でかい声で言いながら華岡保夫が、やってきた。

「ああ、華岡。また風呂か?」

と、蘭がまた聞くと、

「いや違うんだよ。お前さ、ちょっと聞きたいんだけど、耳の不自由なやつを相手にしたことあるよな?お前の刺青師のブログみて、何人かそういうやつを、相手したという記述があったぞ。」

華岡は、蘭にいった。

「それなら、ちょっと署にきて、通訳してくれ。被疑者の話を聞くことができなくて困っている。手話なら、通じるようだから、お前が手伝ってくれ。」

「一体なんだよ。お前さんは。いきなり手伝ってくれなんて話をされても、困るだけだよ。まず、どんな被疑者なのか、ちゃんと話してよ。」

杉ちゃんにそう言われて、華岡は

「事件のことは、大っぴらに報道されているから、知っていると思うけど?ほら、あの、吉永で起きた、一家皆殺し事件だよ。」

と、すぐに言った。

「僕の家はテレビはないし、新聞もないから知らないよ。ちゃんと事件の話をしてから蘭に頼みなよ。」

杉ちゃんに言われて華岡は、

「すまんすまん。吉永で、会社を経営している、松永という一家が全員毒殺された。殺害されたのは、松永夫妻と、その息子、娘の四人。体内から、スズランに含まれる毒物が検出されたた。事件の日に、その家の家政婦として働いていた、砂川良子という女性が、スズランを育てていた目撃証言があったから、俺たちは、砂川良子を逮捕した。ここまでは、お前も報道で知っているはずだ。わかるだろ?」

と、説明した。

「まあ、確かに、そこまでは、テレビやインターネットで、うるさいくらい言っていたな。」

蘭は、腕組みをした。

「それで、問題はここからなんだよ。その砂川良子という女性は全聾だ。だから、いくら聞いても答えない。凶器であるスズランは、砂川の家に植えられていたから、物的証拠もあるんだけど、本人が何も喋らないから、俺たちも困っているわけ。どうだ蘭。たのめないかな?」 

華岡にそう言われて蘭は困ってしまった。

「頼むよ。手話にしてくれるやつがいてくれたら、また取り調べも円滑になるしさ。俺たちは、新しい事件が発生したら、そっちへ行けるようにもなるだろう。なあ蘭頼む。手話通訳、ぜひやってくれ。」

「そうだけどね。確かに耳の不自由な女性に刺青を彫ったことはあるよ。だけど、全部の言語の手話を知ってるわけじゃないから、プロの通訳者みたいに流暢に話せるわけじゃないからね。それでも良いんだったら、まあ、華岡のことだから、協力するよ。」

蘭は仕方なく、華岡に言った。

「本当か!蘭、ありがとう!ほんと、誰にも口を聞いてくれなくて困っていたんだよ。弁護士が接見しても来ないから、ああどうしようかと思ったくらいだ。よし、蘭、すぐに来てくれるか。事件は、暑い日も寒い日も風の日も雨の日も関係なく起きるから、すぐに取り調べを開始したいんだ。」

と、華岡に言われて、蘭は、

「もう仕方ないな。本当に気が早いんだから。じゃあ、支度するから待っててね。」

と、巾着を持って、出かける支度を始めた。

「じゃあ、杉ちゃん悪いけど買い物は、一人でいってね。」

蘭は急いでそう言うと、

「おう任しとけ。最近は、プリペイドカードでなんでも支払えるから嬉しいよ。」

と、杉ちゃんは言った。もう、杉ちゃんのような文字が読めない障害を持っていても、プリペイドカードで払えば、買い物ができるのだった。蘭は、華岡が呼び出してくれたワンボックスタイプのパトカーに乗って、富士警察署に向かった。パトカーのなかで華岡に事件の概要を聞かされた。吉永に住んでいる松永友樹という男性と松永小夜子という夫婦、そして、松永大樹という18歳の少年と、松永えり子という16歳の少女も遺体で発見されたらしい。そして、犯人として、疑われているのが、松永家に家政婦として雇われている、実際は、家政婦というより、ランドリーメイドのようなポジションだったようであるが、砂川良子という全聾の女性である。なんでも生まれてから一度も音を聞いたことが無いと公言しているらしく、つまるところ、生まれつき耳が不自由ということだ。そして、蘭たちは、砂川良子に話を聞くのだ。

華岡が、富士警察署に戻ると、部下の刑事が、華岡たちを出迎えた。

「警視、おかえりなさいです。それで、連れてくるといった、すごい助っ人は見つかりましたか?」

パトカーを運転していた警察官に手伝ってもらいながら、蘭はパトカーを降りた。

「何だ、警視が大親友だと言っていた、あの刺青師の先生じゃありませんか。先生、通訳できるんですか?」

部下の刑事に言われて蘭は、

「ええ、一応、何度か全聾のお客さんを相手にしましたので、ある程度は分かるつもりですけどね。」

とだけ言っておいた。

「で、俺たちが出ている間に、砂川良子はなにか喋ったか?」

と華岡が言うと、

「いや、それが相変わらず何もいいません。まるで俺たちの事を馬鹿にしているみたい。どうせここには手話のわかるやつもいないから、黙っていようとでも思っているんじゃありませんか?」

と、部下の刑事は言った。

「やれやれ、まだそれか。まあいい、助っ人も現れたことだし、すぐに取り調べを開始しよう!」

華岡は、蘭を連れて、取調室へいった。部下の刑事は、車椅子の先生では、余計に馬鹿にするんじゃないですかなんて言っていたけれど、華岡はそれを無視して、取調室へ行く。確かに、中には被疑者の、砂川良子という女性がいた。取調室のドアをギイと開けても、何も反応せずに、外をぼんやり眺めていたので、全聾ということは本当であるらしい。多分、40代なかばから、50代初頭前後、子供がいたら、中学生か、高校生くらいの子供がいてもいいくらいの年だ。

「それでは、取り調べの続きを開始します。」

華岡がそう言っても、女性は黙ったままだった。いくら華岡がこっちを見てくれと言っても聞かなかった。

「まあ聞こえないならしょうがないか。取り調べを開始します!」

華岡は、もう一度彼女の肩を叩いた。それでやっと彼女は、華岡たちの顔を見てくれたのだった。

「今回から、手話通訳をつけることにしました。なので、もう紙に書かなくても結構ですから、自由にあなたの意思を喋ってください。」

と華岡が言うと、砂川良子さんは、指を動かした。華岡が蘭に、おい、何を言っていると聞くと、

「いつまでもおんなじことを話されて困っているそうです。」

と蘭は通訳した。

「それなら、早く事件の日のことを喋ってくださいよ。あなたが、自宅ですずらんを栽培していたことは、ちゃんとわかってるんですからね。すずらんが、かなり強力な毒物なのも俺たちはちゃんとわかってますから。あとは事件の日、どうやってすずらんの毒物を、カレーライスに混入させたのか、それを教えてもらわないとね。」

華岡がそう言うと、蘭は急いで手話を思い出しながら通訳した。また砂川さんが指を動かす。

「でも、すずらんは、どの家でも育てているとおもう、とのことです。」

蘭がそう言うと、砂川さんはまた何か指を動かした。

「それに私が、松永さんたちを殺害する動機が無いですよねと言っています。松永さんは耳が聞こえない私でも、出来る仕事はあると言って、ご不自由を承知で雇ってくれました。その松永さんを、なぜ、殺害しなければならないんでしょうか、と。」

「だからそれは、本人が話さないとなんとも言えないんです!そこがわからないから、今取り調べをしているんじゃありませんか。」

華岡の言葉を蘭は通訳した。

「理由などありませんよ。それに私は松永さんに恨みがあるわけでもありません。むしろ感謝しているくらい。だから、こんな取り調べをしても無意味だと思う、だそうです。」

蘭の通訳を受けて、華岡はしょんぼりしてしまった。

「強気な被疑者だなあ。」

と、華岡は、大きなため息をつく。蘭はそれは通訳しなかった。

「まあいずれにしても、俺たちは、あなたのことを、重要な被疑者としてマークしてますからね。他に松永家の人に関わりがある人達を、片っ端から調べて、恨みがある人を調べてみれば、どうなるか。いくら全聾だからといって、警察を舐めないでくださいよ!」

蘭はその言葉は、通訳したくなかったが、華岡に通訳してくれと言われて、仕方なく手話に現していった。なんだか通訳するのも辛いものがあった。しかし、なかなか落ちない被疑者というのも、現実世界では珍しいものだった。刑事ドラマではよくあるが、蘭が華岡に聞いた話だと、なかなか強気な被疑者というのはいないらしい。刑事ドラマでは様々なトリックがあって、それを紐解いて被疑者を落とさなければならないという展開になることが多いが、現実では、簡単に落ちてしまう、なんて華岡はよく言っていたものだ。素人が、テレビドラマにあるような難しいトリックを考えられるはず無いとか、華岡はよく言っていたものだ。蘭は、なんだか、この全聾の女性がなぜここまで強気なのか、良くわからない気がした。

「とりあえず、本日の取り調べを終わります。」

華岡がそう言って、その日の取り調べはお開きになった。また手錠をかけられて、砂川良子さんが部屋を出ていくのを見ながら、蘭は、何も言わなかった。

「ほら見ろ。こういうふうに何も喋ってくれないんだよ。俺たちの事、馬鹿にしているのかな。全く、自分の言っていることを聞こえるやつにはわからないとでもいいたげだ。」

華岡がボソリといった。

「いや、僕はむしろ、誰かを守りたくて、一生懸命無理をしているのではないかと思う。」

と蘭は言った。

「強気なんだけど、どっか脆い強さだと思う。そこを掴んでしまえば、きっとすぐになんとかなるとは思うんだけど、そこが何かわかれば、というところかな。」

「そうか。蘭はやっぱり洞察力が違うな。やっぱり、弱い立場の奴らに、刺青を入れて居るから、そうなれるのかな?」

華岡に聞かれて、蘭は、

「いや、そういう意味じゃないよ。」

とだけ言っておく。まさか、水穂さんに対してひどいことをして、償いをしたいために、弱いものの味方をしているということは、華岡には言えなかった。

「それより華岡。先程の砂川良子という女性の、家族とか、そういう人は、どうしているんだ?」

蘭は、取調室を出て、廊下を移動しながら、華岡に言った。

「ああ、なんでも、娘が一人居るみたいでね。今、全寮制の高校にいっているらしいんだ。あ、と言っても聾学校とか、そういうところでは無いんだけどね。娘の、砂川靖子は聴覚に障害というものはないそうなので。」

と、華岡は答える。

「ご主人はいないの?」

蘭が聞くと、

「いや、砂川良子は娘が生まれた直後に、離婚している。理由は、娘の砂川靖子を、夫の家族が引き取りたいと申し入れたことがきっかけだったようで、砂川良子は娘を手放したくなかったために、離婚して家を飛び出したそうだ。」

と、華岡は答えた。

「はあ、そうか。つまり母一人、子一人か。母子家庭というものは、非常に難しいというが、、、。」

蘭は、自分の事を思い出しながら言った。自分も母である伊能晴と二人暮らしだった。でも晴は、いつも仕事で不在だったから、代わりに彼女の運転手である沼袋さんが面倒を見てくれたのだった。あと親代わりといえば、死んだ父のお兄さんに当たる檜山喜恵おじさんが時々蘭の家にも来てくれたが、作家活動で忙しく、来てくれるのは気まぐれだった。蘭が家族のありがたさを感じたのは、ドイツへ留学したときだった。ドイツのポストファミリーは、蘭を実の子供以上にかわいがってくれて、まるでかゆいところに手が届くという言葉にふさわしいほど、何でもしてくれた。

「まあ、少なくとも、彼女だって、そういうわけであるから、娘を粗末したわけじゃないと思うんだけど、なぜ、自分を雇ってくれた家庭を皆殺しにしたんだろう?」

華岡が首を捻りながらそう言うと、

「警視!今、砂川良子の娘さんが来ています。」

と部下の刑事が急いで走ってきた。それと同時に、見たこともない制服を着た、15、6歳くらいの少女が一緒にやってきた。

「すみません。砂川良子の娘の、」

と、その少女は華岡に言った。華岡は、彼女をとりあえず、刑事課のある部屋に通して、お茶をだして上げた。

「砂川さんの娘さんの、砂川靖子さんですね。」

華岡は、すぐに言った。

「はい。間違いありません。」

小さな声で、砂川靖子さんは言った。

「あの、母はどうしているのでしょうか?ちゃんとやっているのでしょうか?あの母が、雇い主さんを殺害するなんて、とても信じられません。もしかしたら、私が悪かったかもしれない。そうなったら、私がいけないですよね。」

「はあ、あなたのせいなんですか?それはどういう意味なのか教えていただけないでしょうか?」

華岡が急いでそう言うと、

「こんな事、刑事さんに話すのはちょっとわかってくれないと思いますけど。」

と、砂川靖子さんは小さい声で言う。

「いや、言ってくれないかな。俺たちは、小さなことでも貴重な操作情報になるんだ。」

華岡はすぐにそう言うが、砂川靖子さんは、

「でも、母のことを、悪く言うというか、警察の人に言っても、無駄なんじゃないかって、私は思うんです。だって私が、今の高校に通っているのも、地元からできるだけ離れた方がいいって、親戚の人からのアドバイスだったんです。」

と、言うのだった。

「そうですか。僕も歩けないので、事情はなんとなくわかります。僕も、母が危険な目に合わないようにという名目で、無理やりドイツに留学させたりしましたから。それはなんだかある意味追放された様に見えますよね。きっとお母さんにとっては、すごい愛情のつもりであなたを遠くへ破ったんだと思いますが、もしかしたら、あなたにはいい迷惑だったのでは?」

蘭が彼女の話に肯定する様に言った。

「ええ、そうかも知れません。私、数ヶ月だけですけど地元の公立高校へ通ったりしましたけど、静岡って、公立のほうが偉く見えるからって、よくいじめられました。私立学校に行っている人たちに因縁を付けられて、顔をカミソリで切られたりしました。」

彼女は額の傷を見せた。確かにカミソリのような鋭い刃物で切った跡があった。

「そうですか。それはお辛かったでしょう。ちなみに、いじめたやつとは、どんな人だったのでしょうか?それは、同級生とか、そういう人たちですか?」

蘭がそうきくと、砂川靖子さんは、

「ええ、中学校まで同級生でした。中学校は、学区があって、いろんな階級の人が一堂で学ぶから、いろんな人がいて。中には、私に障害者の娘だと言って因縁を付けてくる人もいましたから。」

と、泣きそうに言った。

「そのいじめた人の中には、松永という人はいませんでしたか?」

と、華岡が言うと、彼女は、

「いました。松永えり子さんです。でもあたしは、高校も違うところだったし、高校では松永えり子さんと一緒にはならなかったので、それ以上は関わってません!本当です。信じてください!」

とすぐに言ったのだった。

「なるほど!これで俺たちが持っていた謎が解けたぞ。つまり、松永家にわざと雇われて、松永えり子やその家族に復習するために今回の事件を起こしたんだな。よし、これを打ち出せば、砂川良子の犯行であることは完璧だ!」

華岡は嬉しそうだったが、蘭は、あんまり喜ぶなよといった。確かに警察には嬉しいことかもしれないが、逆を言えば、どうしても思い出したくない過去の一つかもしれなかった。そんな事、口に出して言わせるのも可哀想だと思った蘭は、

「お話はわかりました。あなたも、本当にお辛かったですね。遠く離れた学校に行けているのが、不幸中の幸いだ。あなたはそうやって、逃げることができたのもある意味一つの才能ですよ。お母さんのことは本当に辛いですけど、あなたの人生の主役はお母さんではありません。それを忘れずに生きていってください。」

と、彼女を励ました。彼女はどうしたらいいかわからないという顔で嗚咽した。

「いま、どんな学校に通っていらっしゃいますか?全寮制だから、事情がある人も多いでしょう。もしかしたら、学校側もご配慮してくれるかもしれませんよ。それはどんどん学校に要求していいと思います。もう一度いいますが、あなたはあなたの人生を生きていけばいいのです。」

蘭は優しく彼女を励ました。自分もドイツにいたときはそうだったなと思いながら。自分のことを誰も知らない環境に置くことができたから、蘭は青春時代が持てたのだ。それは、母からの最大の恩寵だった。

「まあ、愛するあまりだな。お母さんのほうは、娘がいじめられたことで、いじめた相手である、松永さんを許すことができなかったんだ。まあ、親だからね。しかも、全聾ということもあり、余計にそう感じたんだろう。いずれにしても、彼女はやってはいけないことをして、法律で罰せられる。」

華岡が、事件の解説者のように言うと、

「でも、それはお母さんのことで、あなたのことではありませんよ。」

と蘭は、もう一度、彼女に言った。

「私のせいで母は、殺人を犯しました。全部私が原因です。私が、いじめられるようなところに行かなかったら、母は事件を起こさずに済んだんです。私が、いけないんです。」

そういう彼女はいかにも日本人らしかった。欧米であれば、そのような発想をするものは少ないと思う。

「そんな事ありません。すずらんの花言葉は、再び幸せが訪れるという意味だそうです。だからきっと、あなたには幸せが訪れますよ。お母さんはこれから僕達で取り調べをしていって、事件のことは法律で裁いてもらって、きっとまた幸せになれます。あなたも、落ち込まないでくださいね。」

蘭はすずらんの花言葉を思い出して、彼女を励ました。凶器になってしまったすずらんも、実はこういう意味があるのだ。

「それと同時に母性という意味でもあるんだな。」

華岡が思わず呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

すずらん 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る