定休日……(三)【ある待合の一幕】

 ◇◇◇



「――そこの綺麗きれーいなお姉さんっ! 今からオレとお茶でもしない? あ、甘い物とかもどうよ?」


「こらこら」


 若い男性が女性へと軽い口調で声をかけ、彼女からたしなめるよう頭部に優しめの手刀チョップを受けた。

 急接近した彼女に見つめられ、微笑ほほえまれ。彼は目を見開き、もじもじとして頬を染める。


「親しき仲にも礼儀あり……。

思仲おもうなかにはかきをせよ、心安こころやすきは不和ふわもとさ。僕は気にしないけど、接客業だ。ほどほどにね」


「でもこれ、ふざけてるわけじゃねーんす。オレ結構な本気なんで。だって超タイプなんすよ!」


 彼からの言葉にきょとんとした顔。

彼女は眼鏡のズレを直し、口元に手を当てた。


「前に店に来てくれた時に一目惚ひとめぼれしました。

それから何度か来てくれる度に、オレ一途いちずに思い続けてたんすよ。だから今日はもぅ伝えちゃう。お姉さん、許されるなら……このオレとお付き合いをしてくだせい! もろちん恋人的ラバーズな意味で!」


「もろちん?」


「もちろん!」


 彼はここぞとばかりに声を張る。


「そう、それはまさに大和撫子っす。あでやかでうるしのような長い黒髪、人形のように整ったご尊顔そんがん、思わず守ってあげたくなる華奢きゃしゃな体つき。遠目にはりんとしたたたずまいで、だけど話してみると性格は穏やかで、あとミステリアスで少し天然な感じで。まさしくオレの求めていた理想の大和撫子なんだーっ!!」


「僕が大和撫子か……それはそれは」


「お姉さんと、ジジイから押し付けられたこの店をやりたい。幸せな家庭を作りたいっす!」


「……ははっ、口説かれてしまった。これはどう返事をするべきか。しかし僕は客として来たのだから当たり障りのない言葉で断っておき。ただ、飲み物と甘いものをキミのオススメで頂くことにした」


 けれど彼女は身に着ける羽織はおりそでを振り、あくまでも客からの店員として彼をあしらうのだ。


「のわー、まるで1ミリも本気にされてねぇや!

とりま、ちゃんと段階を踏んでお近づきになってやりますぜ。ご注文ありがとございまーす!」


「……あぁ少し長居をするかも知れないね。

見たところ他にお客さんは居ないけど、後々邪魔になってきたなら気にせず言って欲しいな」


「いえ、とんでもございませんっす。

むしろお姉さんには、どれだけだって居て欲しいくらいで。お席はお好きなところをどうぞー」


「待ち合わせでね、後からもう一人来るんだ。テラス席を使わせてもらっても構わないかな?」


「どうぞー。ん……あの、すいません。差し出がましいけども相手は『男』っすか? お姉さん、男が居るんすか? そうならオレ、今から失恋旅行に出るんで店を閉めないといけなくな――」


「女の子だよ。それからボクには心に決めた大切な存在が居たからさ、キミの思いが仮に本気だとしても応える事はできないんだ。ごめんね」


「――ぐぉッ、ぐゥぼブァッ!!

さらっと言われて、オレッ大失恋ブレイクハートーッッッ!!」


 屈んだ男性店員に、また手刀が落とされる。


「『筑波嶺つくばねみねより落つるみなの川、恋ぞ積もりて、ふちとなりぬる』かな。意味を歪曲するけど。つまるところキミは、思いをつのらせながらも、その分だけ盲目になっていた。淵の底に居るあいての本質は見てはいなかったんじゃないかな? なら、僕でなくとも恋はみのらなかった。なら、そんな恋は実るわけないよ!」


「お姉さん、思ったよりも辛辣しんらつぅ!

でも……叱責ありがとうございますぅッ!!」


 崩れ落ちて泣き出してしまう彼。


「ほら泣かない。キミは僕なんかより、もっと良い相手とめぐり会えるさ。相手に求めすぎない、相手と価値観を共有する、あと相手を知ること。加えて自分自身を磨く事を怠らなければね。がんばって!」


「はい。が、頑張って……!

オレ、男を磨きます。相手の事を蔑ろにしないで、自分の理想を押し付けないで、しっかり気配りできる男に成長してみせますから! ヴアァァ!!」


「その意気だ」


 彼は頭を抱え、身体を反らせて絶叫する。

一人の男の悲しい醜態を余所にして、彼女、ヌイナは店先に出て開放的なテラス席に腰かけた。


 ――本日はたまの定休日。己が副店長の代理をしている店から出歩き、行きつけのカフェで困り事を抱えた少女と待ち合わせをしているところ。


 懐中時計を見る。予定の時刻まで四半刻さんじゅっぷん程度。

 まだ時間がある為に、懐から古めかしい表紙の本を取り出し、パラパラと目を通し始めて十分ほど。「見苦しいものをお見せしたお詫びで今日はサービスっす」と、涙声で顔を腫らした男性店員が運んで来たデザートと珈琲を味わいつつのもう十分ほどが経過。そこでヌイナが待ち合わせの約束をしている少女が表通りの方から曲がってきて姿を現す。


「……お皿下げまーす……はぁー」


「おっと、これは確かに。なるほど」


「おー向こうから手を振ってるっすよ……?

お姉さん、あれ待ち合わせ相手の女の子じゃ?」


 デザートの皿を片付けに来た男性店員が、珈琲を片手に本に目を落としているヌイナに伝える。


「……うん。教えてくれてありがとう。

でもちゃんと気が付いてるから大丈夫だよ?」


「そっすか。ごゆっくりぃ……。

はぁー……明日からの失恋旅行どこ行こ」


 皿を持ってく男性店員の背中を見送り。

ヌイナは視線を上げ、目を細め。裏通りの道路に足を踏み入れ、駆けながらこちらに手を振ってくるカバンを肩に掛けた少女に手を振り返しておく。


「さて。とても嫌な感覚だ。忌譚きたんにも劣らないだろうね。あの子が怖がって、そういうのに詳しいと噂の僕達に預けようとしたのもうなずけるな……」


 ヌイナは受け渡される予定の物品を前に、眼鏡のズレを直し、それは大きく溜め息を吐いた。

 少なくとも、この土地のいわれや厄にまつわるものだろう。それで【欠如蛟カケミズチ】のように忌譚の喪失されてしまった欠片のようなたぐいならば、普段通り『しかるべきしずめ方』をしてやれば良い。だけれどそうでないなら骨が折れる。その物品の由縁を解き明かし、もたらされる危険性を可能なだけ削ぎ、無理やり忌譚という物語に落とし込んで『独り歩き』をしないように手綱を握らなければならない故に。


 ――現在その役割を担っているのは、他ならぬヌイナ本人であり。……いいや、正しくは昼間のうち彼女の身体を間借りしている誰彼じぶんであるから。


「旧家の取り壊した古倉から見付かった、嫌な気分になる桐箱きりのはこ。さて鬼が出るか蛇が出るか――」


 呟いたヌイナの視界の端の道路から、それなりの速度で「あれは危ないな……!」二人乗りの原付バイクが走ってくる。待ち合わせ相手の少女は立ち止まってその危ないバイクを見送ろうとして、


「――ぶつかるよっ!? 避けて!!」


「――きゃぁっ!!」


 ――バイクが急な幅寄せをし、少女は肩に掛けた鞄を奪われて地面に転がってしまった。


「これは……大変だ。大丈夫だった!?

困ったことになったけど……先ずは大丈夫?!」


「は? は? 人通り少ない裏通りだけどな、こんな明るい内から引ったくりかよぉッ!?」


 ヌイナと男性店員が大慌てで向かい、少女の身を心配しながら抱き起こす。彼女は痛みに顔をしかめながらも無事であるとサムズアップをして見せる。


「オレ、と、とりま、警察に連絡しますぜ!

んんと、これは事件? 事故か? 事件かぁ!」


「ヤバばば……ウチの財布と身分証とかと、あの桐の箱が持ってかれたぜぃ! うわーん!」


「あのバイクの走り去った方向はあっちだね。表通りの道は避けて逃げるんだろうから、なら使う道はほぼ予想できる。今なら急げば一度だけ先回りできるかも知れない……僕、行ってくるよ!」


「「へ?」」


 ヌイナの申し出に対し『何を言ってるの?』と『追い着けるわけないでしょ!』と男性店員と少女が顔を見合わせるも。既にヌイナの姿は忽然と消え失せており、その場には彼女の着ていたシャツにスカートと羽織が残されていただけで……。




 ◇◇◇




「――よっと!」


 民家の屋根瓦を後ろ足で蹴り、飛躍。

身を捻って下の細い道路に着地し、唯一残した衣類である袖の無い半襦袢はんじゅばんの帯を締め直して整えるヌイナ。

 それから数十秒が経ったという辺りで件の二人乗りの原付バイクが、そこの道路の細さから速度を落として走ってくるでないか。予想的中だ。


「可能なら怪我をさせたくないけどね。

悪い事をしたんだし、多少は許して欲しいな」


 顔を隠す為のフルフェイスメット、体格や年齢をわかり辛くするための厚着、それなりの減速。転ばされても大怪我までは至らないだろうと。


 バイクの運転手も道路の中央で立ち塞がるヌイナを視認して『退け邪魔だ! 引き殺すぞ!』そんなような言葉を叫んでいるが、無視だ。ヌイナは両手を広げて迎える。そのせいで無謀な方法で横に避けようとし、道端のブロック塀に接触してバランスを崩してしまい。バイクは火花を散らしての横転。当然に乗っていた二人は投げ出された。


 二人が起き上がるまでに奪われていた鞄を取り返して抱えたヌイナは、一応は鞄の中の物を確認してから安堵の表情。横倒しになったバイクと彼ら二人の間に入って鋭く睨み付ける。


「こういうのは僕の役ではないつもりだけど。療養中の神波鳴さんの言葉を借りようかな。えーと『悪いことは言わないから、自首するんだ。真っ当な人として償える内に。じゃないと絶対に報いを受けることになるよ。その頃に後悔は遅すぎる』」


「――ざけんなよォァッ!!」


「テメー殺すぞコラァァッ!!」


「よし。バイクのナンバーは覚えたし、取られた鞄も回収した。後は洒落にならないから、警察の人にまかせるとしようか。じゃあこれで失礼するよ」


 彼らはそれぞれ、ガラの悪い喚叫でナイフと催涙スプレーの缶を取り出して襲って来たので。先に向かってきた一人のナイフをかわして、次の一人を足払いでこけさせ、吹き掛けられた催涙の煙に涙を流して咳き込みながらも距離を取ってからの助走。ヌイナはバイクを踏み台にして塀の上へ、更に民家の屋根へと跳んでさっさと退避して事を済ませる。


 …………。


 ――トラブルはあったが、無事に当初の目的を果たし帰路へと。ところが……この一件は、まだ終わらなかった。むしろこれが始まりであり……。


「……驚いたな、無くなってる……!

やられた……。僕の責任だね、これは……」


 やられた。ナイフの男だ。

彼により鞄に付けられていた切れ込みからだ。言葉のまま『桐箱』が無くなってしまっている。その事実にヌイナが気が付いたのは、ほんのすぐ後だった。屋根の上から振り返ると、逃走するバイク。遠退いてく嫌な気配。気が付くのがそれでも遅すぎたらしい……。

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