定休日……(二)【ある展墓の一幕】

 ◆◆◆




 ――墓前。手を合わせ、目を閉じる。

彼女がしばらくそうしていると、接近する気配。後方から石畳を踏み鳴らし、誰かが来る。


 土地を離れた一族の改葬かいそうにより、周囲にあった墓石はまとめて無くなってしまった。だから広めの区画にぽつんと一つだけの寂寞せきばくとした空間、石畳の細道を進んだ先にあるのは今や『その墓』だけ。よって接近する誰かの目的は明らかであり。


「……」


 一体それは誰なのだろうか。彼女【シト】にはまるで思い当たる節がない。もうすでに掃除され整えられていた墓石と、供えられた線香に花。霊園の前で偶然すれ違った親戚の少女は、ここへの墓参りを終えて帰るところだったのだろう。

 ならばこの場に戻ってくる理由は無い。

となると『こんな家族』の墓に用がある人間なんてのは、果たして居るものか? と――。


「…………」


 ――こんな家族……。亡くなった家族達。

シトは唇を噛む。沈痛な面持ちを浮かべて。


 こんな家族。でも今日は、命日なのだ。実際、人当たりの良い家族だったから。ここ数年はシトの他に誰も墓参りには来なかったものの、今になり旧縁の誰かでも訪れたのではと想見した。

 もうあれから数年も経ち、世間からのほとぼりが冷めたから。興味を失われ、忘れられたから。


 曰く『加害者の家族』『攻撃しても構わない悪い家族』『世間からつまはじきにされる家族』『消えて欲しい家族』『燃えた家に住んでいた家族』『完全な風評で殺された家族』『実は被害者だった家族』『同情を誘う、哀れな家族』などと。世間から注目されている内は、他人にとってはとても関わりたくない家族だったろうが……今なら。


 今ならば……だが今更に、誰が来たとしても。

シトに思うところは無い。既に他人に過ぎない。


「……紫戸しとさかい、か――」


 良い家族だった。そして不憫ふびんな家族だった。

どこにでもありふれている普通の家庭だった。

平凡だけど善良で、仲が良くて、幸福な家族。


 良い家族だった、というのに……。

不幸が重なり、生活が難しくなり。静かな環境を求めて先祖が住んでいたこの土地に移って来て。ただ善良に過ごしていたかったのに……。

 おぞましい不特定多数の悪意に晒されて。世間があげつらい、誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうを浴びせて追い込み。世間の風評に乗った何者かの気紛れな悪戯により、何もかも残さず奪われてしまった悲劇の家族。とても不憫不幸であると『話題』になった家族――。


「……今更、ふざけるな」


 シトは直ぐにそこを離れることにした。

誰かと対面しないためにだ。それで石畳の道のかたわらにある垣根かきねの隙間を抜けて行こうとし「ムリか。人のままじゃ通れんな」と首を振って呟く。こうなれば仕方がなく、なるべく足早に『すれ違って』しまおうと決めて。身体を反転させたところで、


「…………ッ!」


 もう石畳を歩いて来る者の姿が見えた。

冴えない風貌の眼鏡の青年だ。彼はうつ向きつつ歩いているので、まだシトを認識してはいない。


 シトは青年を一瞬だけ睨むも、瞑目めをとじ。何かをぐっと堪える顔をして感情を飲み込んだらしい。帽子を深く被り、表情を殺して石畳の道を進み出す。もう「他人だ他人だ」と抑えた声を漏らしながら。


 そうしてすれ違いの会釈えしゃくの最中、


「――おわ。おっ、女の子か……?

あ、あの……き、きみは……その……」


「にゃ。……んだよ?」


「こ、声をかけてすみません。でも、あの。

いまそこのお墓から来た、きみは。か、嵩俊かさとしくんに関係してる人……なん、ですかね?」


「うはぁ……」


 シトの感情とは裏腹に。すれ違いかけた青年、彼から声を掛けられ、止められてしまった……。

 

 


 ◆◆◆




 シトは不機嫌そうに答えてやる。


「この家の人達とは、遠い遠い親戚だ。

ほぼ他人だ。でも放置すんのも忍びないから、毎年墓参りに来てやってるだけだぞ……?」


「そ、そうなんですか。良かった。ありがと。

きみのおかげで嵩俊かさとしくん達が、誰からもとむらわれてなくて……。お墓が、ほ、ほったらかしに、なんて事は無かったんだって……知れて、良かったよ」


 おどおどと礼を言って、額の汗を拭う青年。


「そか。それは良かったな、見知らぬ青年よ。

あーじゃあもう、シトさんは行くからな?」


 片腕を上げて、さっさと去ろうとしたシト。

しかし、その腕を汗ばんだ手で強めに掴まれる。


「――っ!!」


「ご、ごめん、なさいッ!!」


「なにゃ? 気弱そうな風貌しててその実は、女に飢えたケダモノ青年だったか? 放せよ……!」


 振り解こうとしても、青年は放さない。


 髪の毛を逆立ててまるで猫のようにシャーと威嚇するシトに、青年は怯みつつも放さない。


「違っ、まっ、待ってくれ……ませんかね?

少しだけでいいですから。少しだけ。あそこで眠ってる嵩俊くんの話しを、これまでちゃんと弔ってくれてたっていう、きみに聞いてってもらっても……いいですか。し、知って欲しいんです。お、オレ……自分以外にも嵩俊くんの事を――」


 シトの「そんなの聞きたくもない!」言葉と反応には一切構わずに、青年はそのまんま彼女の腕を引っぱって墓石の前まで進んだ。彼はそこでようやく掴んでいた腕を放すと、荒い呼吸。蒼白い生気のない顔で、口元をひきつらせ、玉の汗をかき、ぽつりぽつりと勝手に語り出す。


「……か、嵩俊くんには、感謝しかない!」


「なにゃ『感謝“しか”ない?』だ……?」


「嵩俊くんは、ここに引っ越して来てすぐに。虐められてたオレを見て、助けてくれたんだ!」


「【紫戸しとさかい  嵩俊かさとし】アイツは頭の足りてなかったバカだったけど。曲がった事が嫌いな、偽善者の自己満足男だったからな……見てらんなかったんだ」


「……か、かっこよかった。嵩俊くんはオレのヒーローだ。……い、虐めの主犯格だった、学校では誰も逆らえなかったアイツの胸ぐらを掴んで『つまらない事してんじゃねぇよ!』って叫んでくれて。アイツが顔面ぐちゃぐちゃにして泣いて『もうやらないから許してくれ』って言うまで、嵩俊くんはたった一人で取り巻き達も黙らせてさッ!!」


 息遣いを一層に強めて、バッと両手を広げて強い感情を表し、目を輝かせた彼。でもそれは一瞬だけのことで、乾いた笑いをすると目を据え、彼は顔を手で覆う。全身を震わせ「しかたなかった、しかたなかったんだ、だってしかたないだろ」覆われていない口から言葉が洩れていた。


「――そ、その嵩俊くんを、オレはおとしいれた。

お、脅されて、しかたなく、嘘をついて……」


「知ってる」


「虐めは、一時的には無くなった。半年くらいは。けど面白くなかったのか、アイツらは嵩俊くんの居ないところで、オレにもっと陰湿な嫌がらせをしてくるようになった! 殴る蹴るだけじゃない口では言えないようなエグいことを。まだ前の虐められかたのがマシってほどに。それに嵩俊くんにチクれば、ただじゃ済まさないって脅しも!」


「そこからは、お前さんの問題だったろ」


「嵩俊くんをハメろ、学校に居られなくしろ。

オレを虐めるのを止める、交換条件だ。そう言われて、あの時のオレは従うしかなかったんだ。だ、だから……オレは、アイツらに殴られた痕を、取られた金品を、割られた自宅の窓を、それまでの全部を嵩俊くんのせいにして学校や警察に話した!」


「救いようがないぞ……」


「あ、アイツの親が地元ここの権力者だったから、アイツの口添えもあって、全面的にオレの嘘が真実ってことになった。嵩俊くんは無期限の停学、嵩俊くんは家族も含めて世間から『余所者の悪ガキとその家族達』って誹謗中傷されて、い、家に誰かが放火して、家族まとめて死んじゃて……」


「あぁ死んだよ、その時」


 シトの言葉と視線を受けて、唇を震わせる青年。

彼は手も合わせぬまま墓石から背を向けてしまう。


「も、もう、ここには来ない、つもりだ。

来月おれはこの土地を出て、過去の嫌なことを全部忘れて……人並みの人生を送るよ。今日は、それを嵩俊くんに伝えに来たんだ。……あの時は、ありがとう、嵩俊くん。ずっと感謝してる。それに嵩俊くんを陥れたオレに対して『気にするな』って言ってくれたのが、オレの、す、救いだった!」


「…………」


「か、嵩俊くんは、『弱い奴や善人オレの味方』だって。言ってくれた。言ってたんだし。だ、だから……。今更になって、オレを恨んだりはしてないよな。ま、毎晩に、オレの夢に出てくるのは、ただの夢だよな。オレだってすごく苦しんだんだし、お互い様だろ。オレのために、死んだんだとしても。嵩俊くんは、気にしてないよな?」


「……どうだろな」

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