インモラル嫌い
海沈生物
第1話
ある夜、夢の中に悪魔が現れた。その悪魔は「胸がデカくてお尻の辺りから細い尻尾を生やしている」という典型的なサキュバスだった。それだけならまぁ有り得ない話ではないのだが、問題は私が女であるという点である。普通、サキュバスとは「男の夢の中に現れ、性行為を強要してくる」存在である。女の下に来るのは、その逆に位置するインキュバスと呼ばれる私の嫌いなインモラル悪魔野郎のはずだ。
これは私を男と勘違いした感じなのだろうか。それとも、サキュバス風の見た目をしているが、実は下半身には然るべきものが付いているのか。様々な可能性を頭の中でシュミレートしていると、そのサキュバスは私のベッドの上に上がってきた。そうしてそのままの流れで服を脱ぎ出すと、いくら同性とはいえ家族ではない他人だ。「他人のものを見る」という行為に対する生理的な
だが、人間というものはそのような嫌悪があったとしても、どうしても好奇心に負けてしまう。怖いもの見たさ、というやつであろう。私は塞いだ両手の隙間からそろりと裸になっているサキュバスの姿を見た。だが、彼女の下半身には然るべきものはなかった。ただ、見慣れたものがあるだけだった。私はもう一度パチンッと両手で両目を塞ぐと、身体だけサキュバスの方に向ける。
「あの……性別、間違えてないですか?」
「せいべつ? ……ううん、まちがえてないとおもうけど? だってきみ、
「いやそうではなく。サキュバスって、男の人と、そういう……行為をするものですよね? 女性としてもあんまり効果がないのでは?」
「あーそういうこと? だいじょうぶよ、だいじょうぶ! だって、きょうはサキュバスの仕事としてあなたと行為しにきたじゃなくて、ただの趣味であなたと行為しにきたんだから」
このサキュバスは「趣味」で、しかも「女」である私と、わざわざ「行為」をしに来た。そのことは理解できたのだが、なんだか気持ちが釈然としなかった。
確かに現代の創作においてはサキュバスと人間の女性が百合……女性同士の恋愛関係になることも珍しいわけではない。ただ、いざ現実としてサキュバスから「趣味で行為しにきた!」と言われても、なんだか「思っていたのと違う」というか、「好きだった小説が実写映画化して楽しみに見に行ったけど、微妙な出来だった」みたいな悲しさを覚えてしまう。私が嫌いな悪魔であるサキュバスなら、もっと本気で本物の、それこそ大嫌いなインモラルなサキュバスを演じてほしい。
そうこうサキュバスについて思い悩んでいる内に、なんだか身体がスースーしていた。ハッと気が付くと、いつの間にか私の服が脱がされていた。サキュバスは「発情した中学二年生か?」という顔で私の方に迫ってくると、まるで悪魔のように――――いやサキュバスは悪魔なのだが――――私の唇にキスをしてきようとした。
しかし、私は足で蹴って拒否した。当たり前である。いくらこれが夢であると自覚していたとしても、相手はサキュバスである。私の嫌いな悪魔である。そんなやつに身を委ねたら、あとで絶対にろくでもないことになる。私の愛する神様から見放される。一生サキュバスのとりこ……「奴隷」に成り下がるだけである。
私が蹴り飛ばしたサキュバスはまさか人間に蹴り飛ばされると思っていなかったらしく、ベッドの下で呆然とした顔で「うそでしょ……」「どうして……」と呟いていた。私はそんな彼女をベッドの上から見下ろすと、わざとらしくため息をついてやった。
「私、インモラルなことって大嫌いなんですよね。だから、悪魔という存在が嫌い……ネットスラング風に言えば悪魔のアンチってやつなんですよ。秩序のある神様の信者なんですよ。だから、アンタみたいなインモラルな悪魔も心底嫌いなんです。だから申し訳ないけど、行為をしたいなら他の女にしてくれませんか? それじゃあ、おやすみなさい」
私はいつの間にか脱がされた服を着直すと、さっさと布団の中にこもってしまう。そもそも、明日は早朝から外回りの仕事があるのだ。こんなサキュバスとかいう悪魔如きに貴重な睡眠時間と体力を奪われている暇はないのだ。
そう思って寝ようとしたが、寝付けないまま数分経過した。すると、また布団の上に「何か」が乗っている感覚がした。それが「誰」なのかは分かり切っていたので、私はごろりんと寝返りを打つと、もう一度ベッドの下に「それ」を落とそうとする。しかし、その「悪魔」はベッドの下に落ちることはなかった。
それどころか、私がこもっている布団の中に侵入してきた。薄暗い布団の暗闇の中で怪しく光るサキュバスの瞳に「ずっと見ていたら操られるかもしれない……」と目を背けると、ふと彼女から強烈な力で頭を掴まれ、無理矢理に瞳を見せられようとした。
「サキュバスなのに、そんな人間を催眠状態にする瞳だけに頼って人間を誘惑しないでください。解釈違いです。もっと肉体でも私を誘惑してくださいよ、肉体で」
「でも、あなたは肉体じゃはんのうしてくれないじゃん! 胸デカければだいたいの男はなびくけど、あなたはなびかない。だって、せいよくよわよわ人間だから!」
「誹謗中傷ですよ、それは。たしかに私は性欲が弱いし、歴代の彼氏も彼女も別れた理由が全て”性行為が気持ち悪くて、できなかったから”だけど……でも、それの何が悪いんですか? 神様は
私は目をつむると、彼女という存在から目を背けた。そうなのだ。私は神様を信仰する者なのだ。だから、こんな悪魔の誘惑になど負けない。敗北するわけにはいかない。こんな悪魔に負けるわけにはいかない。
私は悪魔の
やがて抵抗してこない悪魔を千回ほど蹴ったあたりで、サキュバスは動かなくなった。これでようやく死んでくれた。これで私は悪魔の誘惑に勝ったのだ。私は布団の中で手を組んで神様にそのことを報告すると、やがて意識がまどろんできた。
気が付くと、朝になっていた。窓の外を見ると太陽がサンサンと照っていて、私の部屋の中に射しこんでいた。私はグッと両手を伸ばして朝ごはんを作ろうかと思った時、ふと布団の隣にスマホがあることに気付く。ひょいと拾い上げて起動しようかと思うと、そのスマホからキラキラと透明な欠片がこぼれ落ちた。
まさかと思ってスマホをよく見ると、そこには「サキュバス催眠音声! ~性欲つよつよシスターのあなたと、ワンナイトを~」というDLsiteからダウンロードして聴いていたらしい作品名が見えた。確か、あまりにも性欲が少ないことを相談した友達から「これ聞けば良いんじゃない?」と言われて、誕生日にプレゼントされたんだっけ。結局プレゼントされたはいいけど仕事が忙しくてずっと放置していて、「でもせっかくプレゼントされたんだし、インモラルとはいえ、一度ぐらいは聴いてやろうかな……」と思っていて、それで。
私は経緯を思い出してくると、段々と「どうしてあんなインモラルなもの聴いてしまったんだ……」という最悪な気持ちが高まっていった。しかも、それに拍車をかけるようにして、スマホの液晶がボロボロであることに気付く。さっき透明な欠片が落ちたと思っていたが、まさか。いつの間にか電源が落ちていることに違和感を覚えて電源ボタンを何度もカチカチと押してみたが、全く起動しない。最悪だ。最悪が最悪と連鎖を起こして、もっと最悪の状況に陥っていた。一緒に外回りへ行く会社の同僚とどうやって連絡すればいいだ、これ。
そうして、そんな最悪が二重に重なった状況をついに耐えられなくなった私は、早朝なのに「もう死にたい!」とアパートの部屋の中で叫んでしまった。すると、部屋の外から「早まっちゃダメよ!」といういつも心配性の大家さんの声が聞こえてきた。ドアが「もしかして、悪霊が無理矢理入ってこようとしている?」と思うほどのスピードでドンドンドンドンと叩かれているのを聞くと、いっそ本気で死んでやろうかと思った。まぁ死なないけど、さすがにもう心が沈みきっていた。
私は大家さんに壁越しで「大丈夫です!」と大声で返事すると、さっさと布団にこもってしまう。今日はもう会社に行くのやめよう。同僚への連絡は……いいか。部屋にある固定電話から電話をする元気が今ないし。
そうして、私は一日中不貞寝したのだった。
インモラル嫌い 海沈生物 @sweetmaron1
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