地球儀と馬と最後の夏休み
高黄森哉
地球儀
地球儀がカラカラと周っている。とても回るのが、一日が早く過ぎる。一分の間に、一年が収まりそうな勢いで自転するその地球儀を回すのはなんだろうか。それは、馬だ。馬がやけくそ全力疾走で、地球儀を回している。馬鹿馬力だ。シャカリキ全力疾走だ。これは、もう、地球が壊れてもおかしくない。しかし、壊れたのは地球儀の軸の方であった。勢いよく光の下に飛び出した、地球儀は独楽の要領で自転を始める。同じ景色が渾然とし、青と緑の中間色に見える。まるで、日常が一体化するような光景だ。中に居る人間はバターになるかもしれない。実際、緑と黄色と青のごちゃまぜが、地球の表面を走っている。走っているというより、止まっているのだが、どちらが正しいかは、相対的な評価だからなんともいえない。馬が玉のりのように側面を走るので、自転は止まらない。地球は一分に、一年を三周も四週もした。瞬く間の三百六十回転だ。公転していないし、歳差運動もないから、地球的一年とはならないはずだが、異常気象や異常現象の類として紹介すれば、だれもおかしいとか、うたがわない。部屋の中の地球儀は、相変わらず高速で回転し、室内ではそれにそって早送りをした光景が再生されている。人が出入りすると残像が発生するくらいだ。その残像は、部屋をスーパーボールのように、せわしなく調査している。茶色い服を着ているのか、その痕跡は、茶けていて、筆の先っぽのようだ。高速回転する地球を、よくよく観察すると、屋根の窓からの、日光が半球だけを照らしていることが分かる。この世界に昼間と夜がやって来るのは、間違いなく、このためだろう。地球儀を走らす馬が付かれ始めたのか、だんだんと自転は弱まり、軸がぶれ始め斜めになる。そして、斜めになりつつ回転すると、二種類の運動が発生する。軸の軌跡を記録すると、きっと漏斗状に見えるであろう歳差運動と、あたりまえだが、軸を中心とした自転の二つだ。この二つは、何を生むのか説明すると、ずばり四季を生む。この世界に四季が生まれた。窓の外では、春から夏に、夏から秋に、秋から冬に、冬から春にのパノラマ。春から夏にかけて、疲れ切った馬はよだれのスコールを地上に注ぐ。梅雨の季節である。窓の外は大雨になった。馬はばったりと倒れ、その勢いで、地球儀は止まってしまう。地球儀のある世界が晴れると、半球だけ照らされ、こっち側は永遠に光の世界になった。どんどん気温はあがる。それは永遠の夏の到来である。
地球儀と馬と最後の夏休み 高黄森哉 @kamikawa2001
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