第10話 3-2.公園からの空
翌日、隆彦は幸之介と一緒に『市場の公園』へ行く。
もう市場はない。なくなって随分経つ。
隆彦が小学校へ入るか入らないかの頃に、昔ながらの魚市場的雰囲気を残す京都市場はなくなり、サンショップというスーパーになった。
できた時は珍しかったスキャン式のレジが導入され、最先端のスーパーという雰囲気で賑わっていたが、だんだん時代遅れとなっていき、回りのスーパーに押されて客が少なくなった。多分、隆彦が高校卒業後京都を離れている間に姿を消したのだろう。
今は、スポーツジムになっている。ジムになってからも、随分長い。
隣接するこの公園のことを、当時は近くの長屋の人達も町内の子供達も学校の同級生も皆、市場の公園と呼んでいたが、そんな呼び方をする人はもういない。
でも隆彦は、幸之介に思わず「市場の公園へ行こう」と言ってしまっていた。
当然、幸之介は「何で市場の公園って言うの?」と聞いてくる。
「お父さんの子供の頃、市場があったんや」
地名というものが、今はないかつて存在したものを元にしている例がほとんどであることに、言いながら気付く。
昔、隆彦が子供だった頃、公園のど真ん中に鎮座していた円型の回転式ジャングルジムが跡形もなく姿を消していることにも気付く。
おっちゃんのホンダに乗せられて来ていた幼稚園児の頃にはとても大きく感じ、躊躇なく上まで登って行く自分よりも年長の子を仰ぎ見ていたが、やがて自分も、はじめは恐る恐る登り、慣れてくると飛び乗ったり飛び降りたりするようになり、ぐるぐる回るジャングルジムのてっぺんまで登ってから空を見上げたりするようになっていったが、今や、なくなってしまった。
当然だろう、とは思う。昔の子供が平気でしていた遊びが、今はことごとく、危ない、とされている。回転式ジャングルジムなどはその最たるものだろう。
ジャングルジムが撤去されて、設置してある遊具はブランコと滑り台、砂場、シーソーしかない。
中央のジャングルジムがあった横の藤棚は変わらずあるが、以前は威勢良く蔓を伸ばしていた藤が枯れたのか、もうなく、裸の鉄骨が錆びた状態で建っていて、いかにも古い公園といった感じを出している。
鉄骨の真下の石製の子供が寝転がれるくらいの大きな椅子は、変わらずあって、そこに腰掛ける。頭上は裸の鉄骨なので、夏の日差しが直接当たる。
幸之介は少し鉄棒で逆上がりの練習をしていたが、すぐ飽きた様子だ。
滑り台もシーソーも、五年生になる幸之介には少し退屈に思えるようだ。
このぐらいの年頃向けにあのスリリングなジャングルジムがあったのにな、と寂しくなった感じのする公園内を見渡す。
日曜日の午前中だが人もまばらで、子供の姿は皆無だ。
高齢者がぱらぱらと、公園の端の方でストレッチをしたり太極拳をしたりしている。
昔、市場だったジムから人が出て来るが、高齢の男女が目立つ。ジャージ姿で、うつむいて携帯を見つめる人が多い。
隆彦は幸之介とキャッチボールすることにする。
幸之介は野球をしたことがない、と言う。
今住んでいる家の近くに公園もなく、近所に同じ年の友達がいない。
子供の数が減ったのと、昔は公園以外でも、住宅地の道路上でも野球やサッカーやドッジボールやかくれんぼ鬼ごっこなど何でもやったが、今はそういうことが許されなくなっている。
子供がふらっと家から出て何となくみんなの集まる場所へ行き、その時たまたまやっている遊びに参加する、というのが隆彦の子供時代は当たり前だったが、今は危機管理が進んで、出掛けるにもちゃんと目的地を決めて、どこへ行くのか、何時頃帰るのか、ちゃんと伝えなくてはならない。昔だったら過保護と言われただろうことが、今は至極当たり前だ。
幸之介はボールを投げるのも捕るのも、上手くない。
隆彦も子供の頃は球技が大の苦手で、当時、そういう子供はものすごく見下されたから、その後の人生の分岐点における選択に少しばかり影を落とすほど自分に自信が持てない一因でもあったので、今も下手なままで、それでも今まで生きてきた経験や身体を動かした経験から、こう投げればもっと捕りやすいかな、距離が伸びるかな、と考えながらやると、投げたり捕ったりする動作が安定してきて、そんなに悲惨なことにはならなかった。
幸之介には水泳やサッカーを習いに行かせている。今の指導者は教え方が理にかなっていて、昔みたいに怒鳴ったりしない。幸之介は運動に劣等感を持っていない。
それでも、サッカーと違って小さなボールを投げたり捕ったりするのには慣れていないので、隆彦と同じように右往左往しているが、家の近くにこんな広い公園がないので、楽しそうだ。
幸之介がボールを投げることに慣れてきて、やたら高く投げるようになり、ボールを追いながら、夏の青空が目に入る。
日常であまり空を見上げることがないな、とふと思う。
子供の頃も、この公園で遊びながら、空を見上げた。
子供の頃は身体が小さく、この公園はもっと広く感じたし、空も大きく思えた。
この空が遥か宇宙とつながっているのか、となどと壮大なこともぼんやりと考えた気がする。時には回転式ジャングルジムのてっぺんに登ってぐるぐる回る空を見上げ、吸い込まれそうになった。
反対に地面の方に目を落とせば、アリ達が壮大な生活空間を作っていることに驚き、飽きずに見つめていたこともあった。それを思い出してふと目線を下げてアリを探すが、日差しが強過ぎるせいか、姿が見当たらない。
結局、子供の頃、隆彦が畏れていた、ハレー彗星がぶつかって来たり、世界が滅亡したり、ということは、起こらなかった。
原発が爆発したり、ニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだり、感染症の世界的大流行が起こったり、と思いもよらないことはあった。
久しぶりに見上げる青い空は、子供の頃感じたのと同じようにどこまでも続いていた。
長屋・市場・空 松ヶ崎稲草 @sharm
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