リアルマジシャン

此木晶(しょう)

リアルマジシャン

 我々魔法使いと呼ばれる人種は常識と知識と経験と法則をもって呪をなし、魔法と言う力を構築する。

 しかし、子供は違う。

 常識も知識も経験も法則も何もかも関係なく、ただ矛盾と想像力とをもって容易く世界を変容させる。

 例えば。

 風に揺れるカーテンの陰にこの世の者ならぬ何かが潜むように。

 夜毎玩具の兵隊達が終らぬ戦争を繰り返すように。

 天井のただの染みが抜け出る事の叶わぬ迷宮と化するように。

 我々が呪文を用いて『式』を組み上げ、死力を尽くしてなお叶わぬ事象を子供たちはかくもあっさりと実現させる。

 これこそはそんな物語。

 †

 始めに言い出したのはいっくんだったんだ。だから、いっくんが悪いんだ。こんな風になったのだって全部いっくんの所為なんだ。

 白線の上で必死でバランスを取りながらあーちゃんは強く、本当に強く思った。

 †

 事の始めは小学校の帰り道、いっくんが言い出した事だった。

「今から白い部分以外踏んだら駄目だからな。落ちたら、コンビニでアイス奢りな」

 確かに通学路になっている道にはアスファルトの上に引かれた白線や歩道の端のコンクリート、側にあるU字溝など白い部分は沢山ある。時々皆やる簡単なゲームだ、それ自体は。

 でも、どうしてそんな事を勝手に決められなくてはいけないのだろう。

 ただ一ヶ月いっくんの方が早く生まれたというだけで。ずっと、何かと言えば年上ぶって色々と命令をしてくる。ずっとずっと。

 この間だって七つの誕生日プレゼントのラジコンカーを遊ばせろといって持ていったきりだ。返してくれる様子は全然ない。

 一言「返して」という事が出来ればいいのだろうけれど、それは難しいだろう。

 いっくんは、皆よりも一回り体も大きくて力も強い、そしてなによりも自分でその事を自覚している。反面、あーちゃんは小さい頃から病気がちで、今も激しい運動をすると熱を出す時がある。二人の力関係は残酷なまでに明確で、おそらく覆りようがない。それは二人の関係を知る誰もが思う所。

 だから、あーちゃんは特に抗議の声を上げる事もなく従った。

 そして……。

 世界はゆっくりと変貌を始める。

 †

 白線だけが浮き上がり細い道になる。それ以外の場所は全て黒。暗く深く何もない漆黒の無。白い場所だけがいっくんとあーちゃん、二人が存在できるただ唯一の場所になる。

「この下は煉獄に繋がっているんだ。落ちたらそれっきりだぜ」

 何処から仕入れて来たのか、難しい単語をいっくんが使った。

「『煉獄』って何?」

「死んだらいく所さ」

「地獄とは違うの?」

 続けた質問に言いよどんだ所からするといっくん自身よく分かっていないのだろうな、と口には出さず思う。口にしていたら、きっと拳骨が飛んで来た事だろう。

「地獄より酷い所なんだよ。燃え盛った炎の中のずっといなくちゃいけないんだ」

 細い白線の上で器用に振り返りいっくんは脅かすようにあーくんと視線を合わせ、にやりと笑った。

「ほら、覗き込んでみろよ。底の方が赤く見えないか。それが煉獄の炎なんだぜ」

 恐る恐る覗き込めば、真黒な、暗闇しかなかったそこにゆらゆらと紅い炎が揺れている。いや、あまりに離れているからそう見えるだけで実際には燃え盛る業火なのだ。あーくんは何故かそう確信する。

 途端、熱を帯びた風が奥底から吹き上げて来た。よろめく。必死でバランスを取りながら、脳裏に閃いたのは幼稚園の頃、寺で見た地獄絵図。針の山をただ登る人々。紅い血の池で溺れ沈められる罪人。火の山の炎で鬼に焼かれる……。

 鼻を突くこの何かが燃える匂いは一体何だろう。足が恐怖で竦む。心がこれ以上進む事を拒む。

 けれど、進まなければこのままだし、いっくんが怖い顔をして睨んでいる。早く、と急かしている。泣き出しそうになりながら、あーちゃんは摺り足で進み始める。何処かへ、ゲームが終る場所へ早くいきたいと、願いながら。

 それでも、変貌は止まらない。

 吹き上げる風に交じって響いて来るのは苦痛の呻きだろうか。だとすればそれは一体誰のものなのだろう。

 カリカリと何かを引掻くような音が足元から聞こえそれが近くなっているのは果たして気のせいなのだろうか。

 足が竦んで何度も止るそれを必死に動かして一歩でも先に進めようと努力する。徐々に徐々に僅かにそれは亀の歩みにも似て酷く遅々として、しかし確かに前に進んでいた。

 いっくんのその一言があるまでは。

「あー、気をつけろ。崩れてるや」

 白線の一本道が途切れていた。虫に食い荒らされた木々の葉のようにぼろぼろになっている。それをキッカケにある事に気がつきあーちゃんは周りを見た。黒に塗りつぶされた世界の中でただ一つの足掛かりとなる、白い部分。それが明らかに減っていた。

 ゲームが始まった時にはまだ幾つもあったはずだ。側溝の上に掛かったコンクリートの蓋や、歩道の脇にある車輪止め、そんな色々な白いものが道となってあったはずなのに、それが消えている。

 不意に足元がぐらつき、慌てて下を向く。見たくもない『煉獄』が垣間見え軽い目眩を感じるが、それ以上にショックを与えたのは、明らかに崩れ始めている白線の存在。

 ただ、考えてみればそれも当然の話で、アスファルトに描かれた白線は汚れ、くすみ、いつかは剥がれ落ちる。

 コンクリートも同様、その白さは作られた初めだけで、すぐにその輝きは失われ黒ずみ色褪せる。では、その褪せた色をなんと言うか。『白』ではなくまた『黒』でもない。どちらでもありどちらでもないくすんだ色、『灰色』と人は呼ぶ。

 だから、このゲームでは、『白』とは認められない。

 いっくんがそう決めた。だから、そうなった。そう変貌した。あーちゃんが地獄絵図を想像した時と同じように。

 言った本人はよっと言う掛け声と共に亀裂を楽々と越え、向こう側へと飛び移る。危なげなくバランスを取り、亀裂を覗き込む。

 それは深く昏い。底は知れず炎の影もない。そこはまだ名付けられていない場所だ。

「ならく……」

 あーちゃんの口からそんな言葉が洩れた。何故か分からないけれど、どんな意味なのかもよく分かっていないけれど。そう呼ぶ事が最も相応しい、と思えた。

「へぇ……」

 そんな声がいっくんの口から洩れる。感心しているけれど、苛立ちを隠しきれていない、そんな呟き。自分よりも明らかに格下だと思っていた相手が己の知らぬ事を知っていた時に感じる嫉妬にも似た感情を含んだ、呻きの響き。

 それを聞き優越感のようなものを確かにあーちゃんは感じた。覆る事のない二人の関係がひょっとしたら微妙に変わるのかもしれないと、そんな期待を一瞬抱く。その所為だろうか、薄っすらとあーちゃんの顔に微笑が浮かぶ。

 だけど、いつも、必ず、絶対に。

 淡い希望を粉々に打ち砕くのは、いっくんのだみ声。

「あと五秒でこっちに来なかったら時間切れな。お前の負け。いいよな」

 理不尽で、酷く無茶苦茶な筋の通らない、子供の理論。でも、だからこそ絶対。

「ちょ、ちょっと待って」

「誰が待つか。四、三」

 制止は無視され、カウントは進む。

 どうするべきか、どうすればよいのか。分かるはずもなく。

「二」

 負けたからといって何がどう変わる訳でもない。今迄通り、いっくんが理不尽な要求をつくつけてくるそれだけの事だ。それなのに、あーちゃんはこのままじっとしていたくないと思う。亀裂を飛び越え、いっくんに勝ちたいと願う。

「一」

 だから、強く思う。亀裂の先に立ち胸を張る自分の姿を、思い描く。勢いをつけて白線を踏み切った。

 †

 繰り返そう。魔法とは常識と知識と経験と法則によって紡ぎ上げた呪を用いて世界を変容させる術である。されどそれは決して万能などではなく、常識と知識と経験と法則に縛られた限られた術でしかない。ささやかな、実にささやかな変革に過ぎない。

 しかし、子供はただ、ただ矛盾と想像力をもってあまりにも容易く世界の変貌を可能とする。それは偉大であり、絶対であり、そして何よりも酷く残酷な力だ。

 そこにあるのは純粋な意志。純粋であるが故に、純粋すぎる故に常識と法則を捻じ曲げ、世界を作り替えてしまう。あり得ないほどに、危険なほどに……。

 †

 宙に跳んだあーちゃんの体はあーちゃん自身が名付けた『ならく』へと引かれた。ただ、それは一瞬のことだ。『ならく』の底から風が吹き上げ、あーちゃんの体を押し上げる。重力など無視して前へ、あーちゃんの背を押す。いっくんに勝ちたいと思ったあーくんの想いに答えるように強く吹く。

 あーちゃんが望んだままに世界は変容し、味方をする。結果、その瞬間から世界全てがいっくんに相対した。

 一陣の風が吹き抜け、いっくんの体を揺らす。バランスを取ろうと足を動かすと、確かに白であった足場が色褪せ自ら崩壊を始めた。ゆっくりと砂状に変わり、ずるりと雪崩れる。

 傾いだ体を必死で立て直そうといっくんが足掻く。けれど、足場はどんどん砂と化し、流れていく、吸い込まれていく。『ならく』と名付けられた場所へと。そこはいっくんではなくあーちゃんが定め、作り上げた何もない所だ。

 何が起きているのか未だ理解できないという顔でいっくんがあーちゃんを見た。

 あーちゃんはその時既に風に運ばれ、白い足場の上にいた。砂になり流れ出したかつての白からほんの少しだけ離れた場所、あーちゃんが手を伸ばせばいっくんに届くかもしれないそれくらいの距離、それを酷く遠いもののようにいっくんは見ているようだった。

 あーちゃんもまた目の前の光景を何処か遠くの出来事のように感じていた。

 確かに望んだけれど、こんなものを望んだ訳じゃないのに……。目の前にあるものを認めたくないという思いが受け入れることを拒否している。だから、動かない。手を伸ばせば届くかもしれないのに、何よりもこの世界は今、あーちゃんの物だというのに。

 理屈も常識もなく作り上げられた世界はどんな法則に従うのか。それは想像主の心次第だ。意識してにせよ無意識にせよ強く望んだ事象が冷酷なまでに残酷なまでに世界に展開される。

 致命的な音と共にいっくんの立つ砂が抜けた。足場も掴まるものもなく、流れに任せてずり落ちていく。外聞も何もなくいっくんは助けを求めてを伸ばす。必死で伸ばされ開かれた掌が、迸った声があーちゃんを呼び戻す。

 手を差し出す。亀裂ギリギリのこれ以上進んだら自分も『ならく』へ落ち込んでしまうその限界の場所まで駆け寄り、目一杯に手を伸ばす。

 でも、今一歩足りない。ほんの少し想い足りない。あーちゃんといっくんの手は指先が僅かに触れ合い、それ以上重なることなくすれ違った。永遠に。

 同時に砂が砂塵に変わる。微細な砂は僅かな風で容易く宙に舞い上がり、視界を覆い尽くす。あーちゃんの世界の一切を包み込む。

 それは、再生への過程であったのだろうか。無残で、絶対で、矛盾に満ちた世界から常識と法則で形作られた世界へ立ち返る為に必要な手順だったのだろうか。

 それとも、ただ単純にあーちゃんが見たくないと願ったからだったのだろうか。

 どちらであったとしても最早何も関係なく残酷な魔法は解けた。

 視界が開けるとそこは見知った通学路であり、いつもと何も変わらない光景があるように見えた。ただ一つ、本来ならあり得ないものがあることを除いて。

 白線の上、小さな腕が生えていた。何かを掴もうとして開きかけたまま固まってしまった様に見えるそれ。違和感。矛盾の世界が存在したことの唯一の証明。考えるまでもなくその小さな手は……。

「いっくん?」

 問い掛けに答えはなく、小さな違和感は音も立てることなく崩れて風に混じった。地面にはなにも残っていない。ここは『常識』と『法則』が支配する世界だ。矛盾の産物がいつまでも存在できるはずもない。

 だから、いっくんがここにいたという痕跡は微塵もなくなり、あーちゃんは立ち尽くす。ただ呆然と。

 これは魔法の物語。冷たく無残で残酷な、無邪気な魔法の物語。

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リアルマジシャン 此木晶(しょう) @syou2022

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