第39話

 カサンドラは海を越え帝国にきていた――テシュロン学園が長期休暇に入ったので、王都や隣国の騒ぎなど我関せずとばかりに領地に戻ったつもりだったのだが、いつのまにかトリスタンに連れ出され、大型船に乗せられてフラグア海の対岸へ。


 帝国へ行くとは言っていなかったが、行かないとも言っていなかったことを思い出し――領地にいる父親も、とくに何も言いはしなかった。


 カサンドラが本気で拒めば、トリスタンが連れていかないことは、理解しているようだった。


 カサンドラが乗せられた大型軍用船が停泊すると、


「姫さま、しっかりと捕まって」

「お前がしっかりと掴んでいればいいだけでしょう。わたくしを落とすなんて、もってのほかよ」

「台詞が言いたかっただけ。俺が姫さまを落とすわけないじゃないか」

「思いっきり落としそうな台詞ね」

「姫さまって、どこまでいっても姫さまだ」


 トリスタンに抱きかかえられ、海の上で小型の船に乗りかえた。

 小型の船といっても、船長や航海士や料理人に数名の雑用係。食糧はもちろん、生きた家畜も積み込まれている。

 船室はさすがに広々とはいかないが、ベッドは大きさも寝具も整っていて寝心地は悪くない。

 そんな小型船でフラグア海に流れ込む川を遡上し――


(帝国の首都へ向かうわけではないようね)


 帝国の首都とは別方向――反対ではなく、首都から少しずれた方向に進んでいるこは分かった。

 カサンドラはどこへ連れていかれるのか、もちろん聞かされていない。聞いたところでトリスタンが答えるとは思わなかった。


「目的地を聞かないの?」

「知らないほうが、楽しめそうだから、聞かないでおくわ。楽しませてくれるんでしょう? お前」


 カサンドラは隣で横になっているトリスタンに背を向けて、目を閉じた。船底から海とは違った水音が、微かに聞こえてくる。


「もちろん。この穏やかで静かな水の音、共鳴によく似ているよね」


 トリスタンに背を向けていたカサンドラは、体の向きを変えて文句を言う。


「お前の共鳴は、こんなに穏やかじゃないわ、とても煩いわよ。高い滝から落ちて来る水音もかき消すほどの轟音に似ているわ」


 がカサンドラの言うことを素直に聞くのは、カサンドラの血が彼らの凶暴性を、穏やかにできるからに他ならない。


「……え? そうなの」


 心の底から驚いたと、トリスタンは目を大きくひらく。トリスタンの目は切れ長。肌は象牙色で、カサンドラたちが住む大陸の人間とは、随分と顔だちが違う。

 海を挟んだ反対側だから……ということもあるが、どちらかと言えば、カサンドラたちが住む大陸から、神代の太陽の王家の血が根こそぎ奪われ、顔だちが急激に減ったことが大きい。


 かつては、カサンドラが生まれ育ったトラブゾン――神代の頃から闇の王家があった土地にも、太陽の王家の血を引く者はいた。

 太陽の王家があった土地に、カサンドラと同じく闇の王家の血を色濃く引く者もいた。

 それらが途絶えたのは、あの神兵を作り、世界を統一しようとした王が現れ――闇の王家の血は、安らぎを与えるので、攻撃性を求めた王にとっては必要なく、殺害、迫害され、カサンドラたちゼータ一族が住む、かつての領地に戻ってきた。

 反対に太陽の王家の者たちは集められ、には、ほとんど太陽の王家の血を引くものはいなくなった。



 その結果、花害が起こることになるのだが、ほんの僅かな歳月で人は忘れてしまった。

 だが昔から、花の王家が神代を滅ぼした頃から続いている者たちは、そのことを知っていた。


 繁栄しかできず滅ぶ。ならば繁栄の最中に滅ぼせば良い――強すぎる光は、すべての生き物を滅ぼすことができ、滅ぼしたという。

 

「わたくしは闇の血を引いているから、共鳴しても相手に安らぎを与えることができるのだけれど、お前の太陽の血はひときわ煩いのよ」


 トリスタンはカサンドラに覆い被さる姿勢になる――色の違う髪が一房零れおちた。


「それはそれは。でも俺は姫さまに触れていると、安らぐんだよ」

「安らぐだけで満足なのかしら?」


 カサンドラはトリスタンの一房の髪をつまんで軽く引っ張る。トリスタンはそれに応えるように顔を近づけてきて、そのまま口づけた――共鳴がトリスタンに安らぎを与えているなど、まったく信じられない二夜をカサンドラは過ごす。


 川を遡ること三日目の朝、乗っていた小型船が停まる。


 髪を緩やかな一本の三つ編みでまとめ、学園の作業服に似た、活動しやすい無地の黒いワンピースに着替え、テシュロン学園に持ち込んでいた、歩き慣れたレースアップブーツを履き替えたカサンドラが船室から出ると、陸地は見渡す限り青い花に覆われていた。


 カサンドラが初めて見た花害――穀倉地帯を染め上げ、人々の糧を奪う

 風に揺れる小さな青い花たちは、悪意など欠片もなく、ただそこに咲いている。青い花に悪意はない――花害に関しては、それは正しくはない。


 一面に広がる青い花は、一人の男が咲かせている――トリスタンはカサンドラを抱き上げて船から下り、


「気を付けて、姫さま」


 ゆっくりと地面に降ろした。久しぶりに地に足をつけたカサンドラは、感触に少しふらついたが、トリスタンに支えられて倒れることはなかった。


「もう、大丈夫よ」

「初めて会った日のことを、思い出して」


 墓地で会った時のことを思い出したと言われて、カサンドラは笑い返す。


「お前、そんなこと思い出したりするの?」

「姫さま、俺のことをなんだと」

「ハンス・シュミット。それで、お前、ここはどこなの?」

「ああ、ここは――」


 それは帝国の始まりの国。神兵を作り世界征服しようとした国の首都だった。

 人の王の愚かな欲望の残骸が、青く青く広がっていた。


「似合わないわね」

「言うと思った」


 腰に背骨ザハルを差し、片手にピクニックバスケットというちぐはぐな格好のトリスタンとともに、カサンドラは青い花に覆われた平地を少し歩き、同じく青い花に埋め尽くされた緩やかな傾斜の丘を登る。

 歩いていると青い花に隠れているが、かつては規則正しく石畳が敷かれていたのがカサンドラにも分かった。

 ところどころに、青い花が盛り上がり――折れた柱を覆い尽くしていた。柱の大きさから、この辺りに巨大な建物があったのが分かる。


(ということは、この先は――)


 一歩一歩進むほどに、徐々に大きくなる、丘の上の建築物。


「かつての王宮。いまは眠れる墓と呼ばれている」


 登りきったカサンドラの目の前にあったのは、ここに来るまでと同じく、青い花に浸食された赤みがかった大きな建物。

 神兵たちに国を滅ぼされてから、ここはずっと放置されたままだと、トリスタンが言う。


「へえ、ここがねえ」


 カサンドラは雨風に晒されざらついた大きな柱を撫でる――地面に生えていた青い花が、急激に伸びて、カサンドラの手を絡め取り、腕を覆い尽くす。


「今頃オルフロンデッタも、なっているはず」

「青い花に取り囲まれているということ?」


 カサンドラは腕の青い花をそのままにして膝を折り、別の青い花の花弁を引きちぎり、風に乗せた。


「二十数年前、海の向こうのバースクレイズ国に仕掛けた花害は、半分くらいしか成功しなかったが、あの失敗から学んだことも大きかった……と、カエターンが言っていた」


 カサンドラは青い花に覆われた手をトリスタンの方へと伸ばし――青い花は見る間に萎れてゆく。


「そして今回は海の向こうのオルフロンデッタ国に仕掛けて成功したわけね?」


 トリスタンから答えはなく、運んだバスケットを開く。


「姫さま、散歩をして疲れたでしょう?」

「当たり前でしょう。早くクッションを用意なさい」


 カサンドラは萎れた青い花を腕から剥がしながら、クッションに腰を降ろし、水筒の水で喉を潤し――風に揺れる青い花をを目を細めて眺める。


「これ、お前の仕業なのでしょう?」


 見える全てを埋め尽くす青い花――大陸を征服しようなどと考えた始まりの国は、その国土のすべてをこの青い花によって埋め尽くされ、食糧を一切生産することができない、不毛の大地と化した。


「最初は俺じゃない。俺は引き継いだだけ。それでこれ花害、とても綺麗だと思うんだ。姫さまはどう思う?」


 オフターディンゲンはこの青い花を、すべて枯らすことできる。


「美しいと感じるわ。お前と同意見になるなんて、珍しいわね。嫌ではないけれど」


 ゼータはこの青い花を、すべて枯らすことができる。


「じゃあ、このままでいいよね」


 この青い花を、すべて枯らすことができるのはオフターディンゲンともう一人しかいない。


「勝手になさい。でも花を勝手に枯らすことは、許さないわ。クリームとジャムを塗ったビスケットが食べたいわ」


 この青い花を、すべて枯らすことができるのは、ゼータともう一人しかいない。


「やったことないから、上手くできるかな」

「期待しているわ」

「俺も」


 そして二人は青く染まった美しき永遠の不毛の大地で笑い合う――人がこの美しい不毛の地を踏むことは、もうしばらくない。終わりがどこにあるかは分からない



【終わり】

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矢車菊の花咲く丘で 六道イオリ/剣崎月 @RikudouI

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