バブーコックひまり

龍軒治政墫

バブーコックひまり

 レストランの女給、此木このきは困り果てていた。

 目の前にはクレーマーがいる。柄シャツにサングラスという、

(今時、そんな分かりやすい奴いないだろう)

 というコーデ。あまりな格好に訓練かと思ったが、ガチのクレーマーらしい。これは現実だ。

 このクレーマーが怒鳴り始めて、何分経っただろうか。半分ぐらいは聞き流しているが、時間が経つのがゆっくりに感じる。

「なんで出てきたばかりの料理が冷たいんだよ!!」

(――ビシソワーズですからぁ!)

 じゃがいもの冷製スープビシソワーズはそういう料理だと言っても、聞きやしない。冷たい料理が冷たいのは、当たり前なのに……。

 此木はもう、説明を諦めていた。

(もうクレーマーが満足するまで我慢するしかないのかな……ハハッ)

 と涙が流れ落ちそうな時だった。

「あたたかいスウプがおのぞみか?」

 どこからか、舌っ足らずな女の子の声が聞こえてきた。

「誰?」

「誰だぁ?」

 此木とクレーマーは辺りを見回すが、人影は見えない。

「ここだよ、ここ」

 後を振り向いていた此木は、すぐ下から声が聞こえたのに気付く。目線を落とすと、そこには籐製のレトロな乳母車が有った。

(いつの間に来たのだろう)

 此木は再び辺りを見回したが、親らしき姿は見えなかった。

 中を覗き込むと、右手にガラガラを持った赤ちゃんが横になっている。

「やっときづいたな」

「はいぃ!?」

 此木は思わず変な声が出てしまった。乳母車に乗る赤ちゃんが喋ったからだ。

 目をこすってもう一度見たが、赤ちゃんは存在する。

 頬をつねって三度目を見たが、赤ちゃんは存在する。

 クレーマーに続いて、喋る赤ちゃんも現実らしい。

 なんて日だ。

「あたたかいスウプだったな……」

 そう言うと、赤ちゃんはゆっくりと立ち上がり、ガラガラでクレーマーをさした。

「あたちがつくってやんよ」

 それを見た此木とクレーマーは同時に頬を叩いた。二人とも痛みを感じる。

 今見ている物は、夢や幻の類いでは無いらしい。どっかから転生してきた赤ちゃんかな?

「そこの」

「は、はいっ!!」

 指名された此木は、思わず姿勢を正してしまう。

「ちゅうぼうをあんないせよ」

「はい、こちらです」

 と、厨房の方へ行こうとして、此木はふと思った。

(あの乳母車、押さないといけないのでは?)

 そんな心配を余所に、乳母車は勝手に動いていた。

「え?」

 赤ちゃんは左手にリモコンを持っていた。これで動かしているらしい。

 此木は自分の頬をグーで殴ってみた。

 その痛みとともに、ようやく現実を受け入れる事にした。

「どうした?」

「はい。すぐに!」


 厨房では、赤ちゃんの指示で材料が用意された。

 ブロッコリー、人参、じゃがいも、牛乳、水で溶いた片栗粉。

 赤ちゃんは、まな板の前に乳母車に乗って立つ。

「エプロンもバッチリ。じゅんびかんりょう」

「それ、よだれかけですよね?」

 首にかけているのは、どう見てもエプロンでは無い。百人に訊いても、エプロンと答える人は一人もいないだろう。

「……エプロンだ」

 此木からの質問に、赤ちゃんからの回答は少しの間が有った。

「よだれかけですよね?」

 もう一度強めに訊いてみたが、今度は赤ちゃんからの回答が無かった。

「じゅんびかんりょう」

 あ、仕切り直した。

「それでは、りょうりをはじめる!」

 乳母車の上で仁王立ちする赤ちゃん。手にはガラガラを持ったままだった。

 此木は息を呑んだ。

(え? ガラガラで料理?)

 叩くぐらいしか出来なさそうだが?

 と思ってみていると、赤ちゃんは徐ろに左手でガラガラを掴んだ。

「かい・ほう……」

 そのままゆったりとした動作で、右手で持つ持ち手部分を引き抜く。持ち手の先には、ままごとで使うような小さな刀身が付いていた。

 あれは包丁だ。

 今からやる事は、ままごとではない。ままごとと違って、その可愛らしい包丁には刃が付いている。

(もうどうにでもなーれ)

 此木は、成り行きを見守るしかなかった。


「お待たせしました。こちら、コックの気まぐれスープでございます」

 赤ちゃんが作ったスープを、此木は運んできた。

 クレーマーがカップを覗き込むと、白いスープに細かく刻まれた人参、じゃがいも、ブロッコリーが入っている。

「なんだこれ。離乳食かよ」

 悪態を吐きながらも、クレーマーは添えられていた木製スプーンを手に取った。

「まずかったら……分かってんだろうなぁ? 姉ちゃぁん?」

 クレーマーはスプーンでスープをすくい、口へと運ぶ。

 とろっとしたスープは、口の中で豊かな風味が広がる。野菜の甘味が優しい。

「このミルキーな味……パパの味!」

「ママだよ」

 此木は思わず呟く。なんとか音量を抑えたので、多分他には聞こえてない。

「このスープを作ったシェフを呼べ!」

「よんだか!」

 呼ぶ前に、自走する乳母車がホールへとやってきた。自走する乳母車と、その上に立つ赤ちゃんは、やはり非現実的だ。

「あたちのとくせいシチウはどうだい?」

「――昔を……思い出しちまった」

 クレーマーはサングラスを取って目頭を押さえる。

 此木は、

(泣くところ有ったか?)

 と思ったが、クレーマーの意外とつぶらな瞳に吹き出しそうになった。

「――俺のパパはおかまバー、ママはおなべバーで働いていた」

「複雑すぎる家庭環境だな、おい」

 此木はもう小声で言うのはやめた。普通に言っても気付かれてないっぽい。

「それがイヤで飛び出してきたが、この優しい味はパパの味だったよ。ありがとう。実家に帰って久々に両親に会ってくるぜ」

 クレーマーは、そっと一万円札をテーブルに置いた。

「釣りはいらねえ。迷惑かけたな」

 クレーマーはスッと店を出て行った。店内は静まり返る。まさに嵐が過ぎ去った後のようだ。

「二度と来るな。塩でも撒いとこっか」

 騒動を収めてくれた赤ちゃんにお礼を言おうと此木は辺りを見回したが、乳母車の姿はなかった。

「あれ? 赤ちゃんは?」

 やはり夢だったのか? それにしては随分と痛みの有る夢だ。

 でもお礼は言いたい。ありがとう……。

 そこで此木は気付いた。

 ――名前も知らない。

 気になる……。


「プハーッ! ひとしごとおえたあとにキメるミルクは、さいこうでちゅね」

 密かに店を出ていた赤ちゃんは、乳母車を走らせながら哺乳瓶を傾けていた。

「そろそろかえらないと、ママにおこられまちゅ」

 赤ちゃんは家路に付く。


 流れのバブーコックひまり。

 もしかしたら、あなたの街にも?

 

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