第40話
静かすぎず、かと言って耳障りするような騒々しさもない居心地のよさを感じさせる空間に似つかわしくない、「パリーン」という鋭い音が響く。
「うそ、やっちゃった……」
今日も今日とて、喫茶ラニでいつものように給仕を行っているときだった。
どうやら女子高生らしき客が、グラスを落としてしまったらしく、床に散らばった破片を見て慌てているようで、俺はすぐさまその場へかけ寄った。
「お怪我はありませんか?危ないので、お客様はお席に座っていてください」
「……はい」
そう声をかけたあと、箒と塵取りでグラスの破片を丁寧に集める。
周囲にそれ以上破片がないことを確認してから、俺が片付け終わるのを健気に待っている客にもう一度声をかけた。
「これで大丈夫ですから、引き続きごゆっくりどうぞ」
「……あの、本当にすみませんでした」
俺は鈴さんが「終わったなら次を運べ」と言いたげな合図を目で送ってくるのを横目で確認するが、ひどく申し訳なさそうにしているその客を放っておくことができず、もう一言声をかけておくことにした。
「どうかお気になさらないでください。それにここだけの話ですが、僕なんてグラスだけじゃなくお皿だって何枚も割ってますから」
「ええ、本当ですか?」
最後の質問には答えず、わずかに微笑みを返すだけして俺は持ち場に戻ることにした。
決して広くない静かな店内には、俺の最後の一言が聞こえていた客もしばしばいたようで、ちょっとした拍手があがったりもしている。何はともあれ、店に笑顔が増えたようで何よりだ。
2時間ほど働いたのち、放課後の学生たちのまとまった注文も一段落したので休憩室で休んでいるところに、鈴さんが顔を出してきて唐突に言った。
「ちょっとアルマくん。さっきのアレ、おかしすぎて笑いを堪えるのに必死だったわよ」
「アレ」というのは間違いなく先ほどのグラスを割ってしまった女子高生への対応の話だろう。
「確かに他のお客さんも笑ってましたしね」
「もう!お客さんたちと私が笑っている理由が違うってことは君もわかってるでしょ!」
と言うのも、俺は実はこの喫茶ラニで働き始めてから一度も食器の類いを割ったことがない。
「あの女の子に澄ました顔して何を言うのかと思ったら、グラスもお皿も一度だって割ったことないくせに偉そうにいうものだから……」
「いや割ったことないのが未熟みたいな言い方してますけど、いいことですからね?」
「アルマくんのそういう何でも完璧にこなせちゃうとこ、お姉さん的にはちょっと可愛げが無くて面白くないな〜」
「はいはい、どうせ俺は真面目で面白くない人間なのでこれからも食器類破損記録はゼロのままですよ」
そう言いながら俺は立ち上がり、まだ何か言ってる鈴さんのことは無視して仕事を再開することにした。
……そしてその数分後、何もないところで突然よろけてバランスを崩し、盛大にグラスを割る俺の姿があった。
***
「……三十七度六分、か」
ここ最近はいつも通りバイトもしながら、クラスマッチの練習で慣れない運動をして体を酷使していたかもしれないと、一人自宅のベッドで思い返す。
まあ他にもこうなる要因はいくらでもあったわけで、体調管理を怠った俺の自業自得の風邪というわけだ。
バイトでグラスを割ったときのことについてだが、直前にグラスを割ってしまった女子高生は「さっそくですね!」とか言って笑っていた。
俺は、「はは、やっちゃいました」と言いながらおどけて見せたが、初めて失敗したという焦りからおそらく顔は笑っていなかっただろう。
ちなみに鈴さんは、客がいる手前大笑いというわけにもいかず、それはもう必死に笑いを堪えていた。あれはそういう顔だった。本当にいい性格してる。
まあ、俺が正直に体の調子が悪いことを伝えると、早めに店を閉めて俺を家まで送ってくれたのだからあまり悪くいう気もないわけだが。
「……はあ、暇だ」
言葉が口をついて出た。先ほどまでの回想が昨日の出来事。昨日は三十八度を越えようかという熱があり、今は少し下がってはいるが今日は大事をとって学校を休むように鈴さんから念押しされている。
とはいえ学校を休んだところで無趣味の俺にやることなどなく……。そう思うと、最近の忙しなさも案外楽しんでいたのかもしれないとらしくないことを考えてしまうものだから風邪というものは恐ろしい。
「……そういえば今日はクラスマッチの打ち上げがあるんだったか」
語るのが遅れたが、結果的に俺たちのクラスは一学年の中で総合優勝という成績を収めた。
その中には当然俺が出場したバスケの戦果も少なからず含まれているわけで、俺も打ち上げに参加するよう声をかけられていた。
といっても、こうして体調不良でもなければ今日もバイトをしていただろうし、そもそも打ち上げとか面倒くさい。なので、わざわざ断る必要がなくなったのはまさに怪我の功名といえる。正確には風邪だが。
こうも暇だとくだらないことばかり考えてしまう。食欲も回復してきたが、この体では用意するのも一苦労だしそもそも食材自体がうちにはない。
「和泉のやつに住所教えて、看病ついでに図書館から適当な本でも持って来させるか……」
ふとそんな考えがよぎり、これは名案だと思った俺はノータイムで和泉にメッセージを送った。
現在の時刻は11時を若干過ぎた頃。放課後まではまだ時間があるので、食欲や暇を紛らわすために俺はひとまず寝ることにした。
……後で気づくのだが、普段の俺であれば絶対にこんなことはしなかった。少なくとも看病を頼むのであれば、和泉ではなく鈴さんであったはずだった。
風邪が判断を鈍らせた結果がこんな事態を招くとは、この時の俺は想像もしていなかった。
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前回の更新からまた大きく時間を空けてしまいました。今回の更新を長らくお待ちくださり、またいつも読んでくださっている読者の皆様大変ありがとうございます。しばらくはできる限り日を空けず更新していきたいと考えていますので、またしばらくお付き合いくだされば幸いです。
女子高生に大人気のカフェの通称王子様系イケメン店員の正体がどこにでもいるただの陰キャ男子高校生の俺だってバレたら生きていけない〜あまり目立ちたくないので美少女はお断りさせていただきます〜 あすとりあ @Astlia
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