かくしもの
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かくしもの
「ゴキブリ!」と母が悲鳴を上げた時、母の許へ真っ先に駆けつけたのは、わたしでも父でもなく妹でした。わたしは母と一緒に震えながら、父はときおり囃し立てながら、妹が標的にキッチョールをぶちまける始終を眺めます。
しばらくすると動かなくなるソレ。妹がおもむろにこちらへふり返ります。脅威が去ったことを妹の笑顔で察したわたしたちは、その忌々しい骸を見ないように目を逸らしながら、そそくさと自分の定位置に戻り、平穏な日常を再開しました。退治から後始末まで、ゴキブリに関することはすべて、妹の仕事でした。憶えている限りでは、わたしが小学校にあがる前から、ゴキブリ退治は三つ下の妹の仕事となっていたように思います。今思えば、三あるいは四歳くらいの女の子が無邪気にゴキブリを殺す場面は、かなりシュールかもしれないですね。
ところで、ゴキブリと聞くと感じるあの得体の知れない厭悪感は、誰にでもあるだろうと思います。ああ、ソレを見つけてしまった時の絶望感たるや。真っ暗な部屋の中でも異様に目に入ってしまう黒さ。聞いてもいないのに耳朶を蠢くカサカサという音。無秩序に翅を広げて飛ぶさまは、宛ら不穏な銃弾を思わせます。美術に詳しい父(自称)は、ゴキブリと遭遇する度に会田誠さんの『御器噛り草紙』を引き合いに出してニヤニヤしていますが、未だにわたしにはそのよさが分かりません。わたしにとって(そして多くの人にとって)ゴキブリは、芸術的価値はおろか、〝生命という神秘感〟すら抱くこともままならない、ちょっとかわいそうな存在でさえあります。
ただ、もし仮に、このわたしが、ゴキブリの芸術性を擁護するのだとしたら、父のように『御器噛り草紙』を挙げることはせずに、わたしのかわいい妹が引き起こした、例の凄惨な(?)事件を挙げます。そしてその事件こそ、今からわたしがみなさんに語るところのお話です。わたしが現在投稿している作品のいくつかにも、ゴキブリを潜ませている作品がありますが、このある種のオブセッション(ゴキブリ・コンプレックス?)は、わたしの妹の所為(おかげ)と言ってもいいでしょうね。多分にして。
先に結末を言うなら、妹は死んでしまいました。わたしが中学一年生の頃ですので、妹は四年生くらいだったのでしょう。肺の病気です。妹はもともと体が弱かったのです。病気です。わたしはそう信じています。
妹はね、もうほんとうにかわいかったんです。学校は休みがちでしたが、いじめられることなんてまったくなくて、むしろ妹の醸す独特な雰囲気に、クラスメイトは酔い痴れてたのではないでしょうか。←これは言い過ぎですかね(笑)。ファンも多かったみたいですよ。いみじくも、妹は学校で「アリスちゃん」と呼ばれていたそうです。たまに学校にやってきては不思議そうにきょろきょろしていることから。素敵な名前。――わたしに言わせてみれば、妹は「虫めづる姫君」になるでしょうか。むくつけき毛虫を掌の中で可愛がる姫です。もっとも、妹はゴキブリを愛でたりはしませんでしたが。妹は、いつも真剣でしたから。
とにかく、妹の見せる相好は、いつもどこか悲壮的というか、憔悴もしくは諦念の情緒があって、無感動ないし拒絶、ガラス越しに陳列されたお人形のようだったのです。なるほどその姿は父の言うように、「ミュンヒハウゼンの偶像」のようでもありました(苦笑)。でも、妹は法螺吹きでもアクティング・インな女の子でもありません。無邪気な、退行願望をもった、永遠の、永遠に、天真爛漫な姫君です。そのような――早退も多く体調が不安定な妹だけが持つ――蠱惑的な馨香は、小学生でもきっと分かったに違いありません。だから、妹は「アリス」であって「姫君」なのです。あるいは、妹こそは、蝶になれず、毛虫とともに幻想を垣間見た、赤く美しい永遠の蛹なのかもしれません。
さて、妹の奇矯が発露したのは、亡くなる一か月ほど前だったように思います。
ある日、中学校からわたしが帰ってくると、深窓の姫は寝込んでいました。傍には母がついて、なにやら低く呻いていました。父がこの光景を見たら、さしずめムンクの『病める子』だと言うような、そんな一瞬間でした。暗い。そう思いました。妹は恐らくいつものように早退したのでしょう、この光景はよくあることと言えばよくあることでした。しかし、その日は何やらいつもとは違った雰囲気が――卒然と、胸がざわざわしたことを憶えています。なにせ、ムンクの絵を思い浮かべてしまうくらいなのですから。
――ただいま。わたしが遠慮がちに妹と母にそう言うと、妹はいつものように微笑んで「おかえり」と、母は押し殺したような声で「あっちにいってなさい」と言いました。
――いつものお母さんじゃない。そう思いました。怒ってるの? 誰に? 妹に? 何かが変でした。
――わかった。母にそう言って、踵を返します。しかし、わたしは自分の部屋に行くふりをして、そっと耳を
「どうしてそんなことしたの?」確かに母はそう言いました。泣いているようにも、怒っているようにも感じられる声で。
「みつけないといけないの」妹のゆったりとした声は、いまにも消えてしまいそうなほどに儚く、美しい響きに感じられました。
自分の部屋に戻って、妹の意味深長な言葉を反芻しながら、わたしは上の空で宿題を済ませました。鴉がうるさい夕方でした。窓から見える電柱たちが、わたしを励ましてくれました。
――今日の夜、ゴキブリが出てくればいいのに。
そんなことを考えて、ちょっとだけ泣きました。
さて、ここにはカブトムシなどを飼育する、透明なプラスチック製の壁にかこまれた、いわゆる虫かごがあります。想像してください。そのかごの中には数十匹のゴキブリが所狭しと蠢いています。立錐の地なし。ぎゅうぎゅうです。
不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。でも、これが妹が最期にのぞんだものだったのです。わたしはもちろん実物を見ました。ここまでくると却って関心もの――いやいやいや気持ち悪いです。吐きました、がちで。
わたしが盗み聴きをしたあの日、妹はたしかに早退しましたが、その理由はいつもとは違っていました。その日、妹のクラスの掃除用具入れの下に、ゴキブリの死骸があったそうです。女子たちの悲鳴に始まり、クラスはもうベドラム状態。何事か! とたくさんの野次馬が妹のクラスに集まってきました。わいわいがやがや――授業どころではないようです。小学生ですし。(なんだか微笑ましくも感じます。)
さて、そんな生徒たちの波を掻き分けるようにして、数人の先生が用具入れの場所までやってきました。すると、先生たちはそこで「とんでもないもの」を見たそうです。
騒擾としたクラスの中、掃除用具入れの前で蹲る女子生徒がいます。妹でした。「気分が悪いのだろうか」そう思った先生は妹の名前を呼びます。しかし、妹は何事もなかったかのように振り返ったと言います。その手には、ひっくりかえったゴキブリが握られていました。腹はぱっくりと割かれていて、液体が垂れていたと言うからたしかに「とんでもない」光景です。度肝を抜かれた先生が「なにしてる!」と訊くと、至極穏やかに、妹はこう言ったと言います――「これじゃない」と。
先述した虫かごは、妹の死後、彼女のベッドの下から見つかりました。稠密に翅の模様を作っていた漆のようなその虫かごの中のゴキブリは、やはりすべて死骸だったそうです。わたしにはもぞもぞ蠢いているように見えたのですが、それは翅の光沢によるある種の錯覚だ、と言われました。そして、先の事件同様、それらすべての腹が割かれていたと言います。
つらくなってきたのでここらへんで筆を折ることにしますが、以上の事件が、わたしのトラウマであり強迫観念を生ぜしめた、ある意味美的な出来事です。
――みつけないといけないの
――これじゃない
妹は、いつからゴキブリの死骸を蒐集するようになったのでしょう。ゴキブリを退治した後のほほえみの真意は、妹しか知り得ません。ひっくり返ったゴキブリの腹をこじ開けて、妹は何を探し出そうとしていたのか。それも分かりません。妹はもういないのですから。――妹だけが知り得る小宇宙が、ゴキブリにあっただけのこと。そう言ってしまえば簡単ですが、わたしはどうしてもその意味が知りたかった。もっと妹と一緒に居たかった。
今でもゴキブリは嫌いです。『御器噛り草紙』の良さもまったく分かりません。わたしにできるのは、その黒さの中に隠された妹の俤を求めながら、目を瞑ってキッチョールをぶちまけることだけです。
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