五芒星の石と黄金のランプ

 目の前に海外からの小包がある。

 私の友人、フリーのルポライターの東出賢太郎から送られて来たものである。彼は何やら変なもの、いや私の仕事のネタになりそうなものを在住のニューヨークからしばしば送って来るのだ。

 何故私の自宅に送って来ないのかというと、東出曰く「もし当たりだったらお前の変死体が」ということで宛先を私が勤めている神田の六紋社の編集部宛にしているらしい。

 いや、それではもっと犠牲者を増やす事になるのでは?

 それでも奴の送ってくる物は面白い。今度は何を送りつけてきたのか。

 新連載のネタになるかと梱包を開けると、中から小綺麗な箱とメモが入っていった。

 『アーカムの骨董屋で見つけた。ネタにならないか?』

 メモにはそれだけが書かれていた。いや、東出よ。もう少し詳しく書いてくれないと私の作業が増えて困る。せめて骨董屋の名前と住所を書いてくれ。

 それはともかく、その箱を開けてみた。あまり大きい物ではない。中は紫の羅紗らしゃ張りで、3つの奇妙な石が嵌め込まれていた。その石はあまり大きくなく、手のひらにすっぽりとはいる程度で五芒星の形をしている。

 あえてヒトデの様なと言わなかったのは五芒星となる線と、文字の様な物が微かに刻まれていたからである。

 なんとなく何処かで見たような。いや本で読んだ気がする。

 そこへ総務部の岩崎知子さんが珈琲を煎れて持ってきてくれた。ショートヘアでビジネススーツを着ている。やり手のOLの様だ。実際なんでもきちっとこなす。彼女は私の在籍する第六編集部を担当しているのだ。

 来客の受付も総務部がしているので、ビジネススーツはしょうがない。私はといえば格子縞の茶色いシャツにジーンズという出で立ちである。会社勤めには全く見えない。

 「ありがとう。でもお茶汲みなんてやらなくてもいいんじゃ? 飲みたい奴が勝手に入れればいいのに」

 岩崎さんは腰に手をやり、胸を張って「ふん!」と鼻をならした。

 「皆さんに勝手されると給湯室が汚れます。あそこは総務部の縄張りです。お茶汲みより掃除の方が大変なんですよ。神宮寺さん、分かっていますか? あなたが珈琲のフィルターを捨てるとき、中身をこぼしてそのまま放置するの知ってますよ」

 岩崎さんはそう言うとぷりぷりしながら戻って行った。

 ああ、怒られた。すみません。インスタントや缶コーヒーはあまり好きではないのです。

 しかし給湯室が総務部の縄張りとはどういうことなのか、未だにわからない。

 ここのフロアの一角、私もたずさわっている『月刊ジーランティア』を発行している第六編集部は大抵人が席にいない。校正チェックの安倍宏美さんくらいだ。

 ちなみに『ジーランティア』とは既に存在が確認されているニュージーランド辺りの沈んだ大陸である。

 私も普段は在宅勤務が多い。資料を調べながら記事を書かねばならないのだ。ここは資料になる物が少なすぎる。

 ついでに言うなら私の著作の本も出ている。

 『アーカム不思議観光案内 神宮寺透著』

 私の連載をまとめた本だ。アメリカに度々出張できるという、仕事内容としてはかなり良いものだと思う。1冊私のデスクに飾ってある。決してその本を眺めてニヤニヤする為ではない。

 また記事が溜まったら第2弾を本にしてくれるかもしれないが、売れ行きはあまりかんばしくない。このままでいくと第2巻は駄目かもしれない。

 『月刊ジーランティア』はライバル雑誌『月刊アトランティス』みたいなオカルトチックで碌な調査もしていない題材を取り扱ってはいないのだ。きちんと調べた不思議を載せている。まあ調べても成果がそれほどある訳ではないのだが。

 なので派手なあっちより読者が少ない。コアな読者のおかげでっているようなものである。

 ともかく私は送られてきた小箱を持って御子柴徳蔵みこしばとくぞう第六編集部部長の方へ行く。

 「編集長、こんなものを手に入れたんですけど」と『月刊アトランティス』をパラパラ見ていた御子柴編集長に手渡す。

 「これなんですがウチより第三編集部の久留米さんが担当している、ええと依代よりしろ先生に渡した方がいいですかね。友人が手に入れたようですけど、これは陰陽師チックではないかと」

 「ああ?」と、御子柴編集長は雑誌をほおり出して箱を受け取る。

 石を手に取り表裏などを見た編集長は、石を箱にしまって私に突き返した。

 「お前、頭に脳みそ入ってるのか? 五芒星のものなんて世界中にあるだろうが。この石はどうやって手に入れたんだ?」

 「友人がアーカムの骨董屋で……」

 「阿呆が。アーカムと言ったらお前の領分だろうが。調べてから持ってこい」

 編集長はそう言って箱を私に突き返した。

 「あー」

 私は思わず情けない声を出してしまった。確かにその石は『アーカム不思議観光案内』のネタになるかもしれない物である。

 アーカムで見つけたという五芒星の石。クトゥルフ神話関係に思いっきり関係しているのかもしれない。編集長の言うとおり。多分。

 私は逃げるように自分の席に戻ると、ここでわかる範囲の情報を集める。

 「……いきなりあった。私は確かにボケか」

 マーチン・キーンの五芒星の形をした石。旧支配者達を封印した『ルルイエの封印』である。凄いネタじゃないか。

 マーチン・キーンとはかつてミスカトニック大学に在籍していた教授であるが、既に亡くなられている。『ネクロノミコン』の内容をすべて記憶していると自慢げに話していたらしい。

 私は身を乗り出し、御子柴編集長の方を見た。

 「編集長、また取材にアメリカへ行ってもいいですか」

 「たわけ。取材に行きたかったらそれなりの調査結果を出してからだと言ったろう。それに『日本編』だ。出張を許可するのは日本で関わりそうな物がひとつも無かったと判明した場合と、見つけた怪異の真実を確かめる時だけだ」

 それでは出張出来ないと同義ではないか。

 『日本編』というのは私の連載予定である『クトゥルフ神話の秘密 日本編』という記事の事である。

 私は情けない顔をしながら自分の席に戻り、珈琲をすすりながら箱の中の石を見た。

 これが本物ならば、ふたつは持って歩きたい。

 旧支配者を封じ込めた石。強力なお守りのような物だ。しかし旧支配者がまるごと封印されている訳ではないと思う。一体何が封印されているのだろう。

 使い方はまずひとつを肌身さず持っている事。もうひとつはこの石に関する思考のいっさいと、これから自分が何をするつもりかを心の中から追い出しておく事。

 いや、ふたつめの条件はかなり難しいと思う。好奇心を止められないからだ。

 他には石を置いて結界を作る事も出来る。もっと沢山あればの話だが、そのマーチン・キーン教授は沢山持っていた。

 現在わかっているのはキーン教授のいたアメリカと中国、そして本物ならこの3個だけだ。中国の石は太平天国の乱で所在がわからなくなっているが、確かに存在したという資料がある。

 私は相当クトゥルフ関連に首を突っ込んでいるので、いずれ本物にぶち当たるかもしれない。本物ならその時役に立つに違いない。

 勿論もちろん『月刊ジーランテア』で物書きをしている身として、クトゥルフ神話を真面目に取り上げているのである。私の仕事は危険なのだ。

 いや、それは言い過ぎか。今のところ呪われたりするような出来事に遭遇した事は無いのである。

 「うーん。『ルルイエの封印』ときたか。しかもアーカムの骨董屋に転がっていただと。限りなく偽物っぽい気もするが、どこから手をつけたらいいものか」

 私は思わずつぶやいてしまった。

 私は『ルルイエの封印』の入った箱の蓋を閉じると鞄にしまい、御子柴編集長にまずは自宅で調べる旨を伝えて会社を後にした。

 

 そもそも『クトゥルフ神話の秘密 日本編』という題材が間違っていたのかもしれない。

 日本以外なら、アメリカのアーカム、セイレム、ニューヨーク、ニューイングランド、プロビデンス、ダンウィチ、などなど。

 そしてイギリス、アイルランド、フランス、ハンガリー、オランダ、エジプト、オーストラリア、中国、コンゴ、タヒチ、イエメン、メンフィス、ダマスカスなどの世界各国で事象が確認されている。

 その上アトランティスやムー、レムリアなどの消えた大陸。それはどうでもいいか。調べようがない。

 これだけクトゥルフ神話に関連した国や都市があるというのに、なぜ日本には無いのか。関連しそうな場所はないのかという事がこの題材の発端である。

 私は帰宅して鞄をベッドに投げ出し、珈琲を入れる準備をしてパソコンの電源を入れる。

 「どう考えても日本に共通点がある場所が見つかるとは思えないんだよなあ。テーマを変えて貰うか、どうするか」

 独り言が多いのは自覚している。しかし頭の中で考え込んでも先に進めない。口にするか、メモるか、第三者に相談するか。そうすると思いがけない手がかりが浮かぶ事もあるのだ。

 珈琲が抽出されるとマグカップに注いでまた机に向かう。

 自分がメモしたテキスト、世界各国のクトゥルフ関連のまとめを見つめた。

 「日本じゃなくてアメリカ以外の国もいいよな。しかし取材費がなあ」

 世界各地を回れるほどうちの出版社に余裕はないし、いち編集部に所属する社員にそれだけの金を回してくれるはずもない。

 そんな具合で3日ほど潰れた。そもそも『ルルイエの封印』が何故幾つもあるのかがわからない。そもそもキーン教授はたくさんの『ルルイエの封印』をどこで手に入れたのだろうか。

 そう考えていると私用しようの方のスマホに電話がかかってきた。

 『藤原智宏』と表示されている。彼はアマチュアのクトゥルフ研究家で、本業はカメラマンである。大丈夫かと思うくらい痩せている男だ。私の友人のひとりであり、情報源でもある。

 私はスマホを取ると『おい、面白い物を手に入れたぞ』といきなり言ってきた。

 「どこで何を手に入れたんだ」

 『上野公園でたまに開かれている古物のフリマ。物はランプだが、見れば一発でわかる』

 「一発?」

 「そう。どうやって手に入れたのか聞いてみたのだが、物置から出てきたと。その人の祖父が変なものを集める趣味があったらしい。一応連絡先を聞いておいた。まだお宝があるかもしれないからな』

 「じゃあ今からお前んち行くわ」

 『早くこい。これが本物かどうかひとりで試すのはかなり怖いが、ふたりならまだマシだろうということで』

 電話はいきなり切れた。そういう奴だ。

 「ランプ、ランプねぇ……本物とかいうならあれしか思い浮かばん」

 私はそうつぶやきながら薄い黄土色のジャケットをはおり、ループタイを身につける。留具のところにカメラを仕込んだ細工がある。それと指輪。こいつでシャッターを切るのだ。

 そして最後は腕時計。これはボイスレコーダーだ。秋葉原に行けば簡単に買えるような物。

 役に立ったことは一度も無いが、こういうガジェットが好きなのである。

 あとはそこそこでかい鞄。パソコンやカメラなど、取材に必要なものが入っている。

 すこし考えて『ルルイエの封印』もその鞄に入れた。

 なんとなく。

 そしてマンションを出ると自分の車に乗り込む。ランドクルーザー、色はブロンズメタリック。いろの名前はもっと長かった気がするが、そんな事などうでもいい。

 ランクルにしたのはとんでもない山奥に行くことになるかもと思ったからだ。値段が高すぎてもっと稼がなければならないというのが痛い。その上この車もまだ役に立ったことはないのだ。

 

 藤原智宏が入居するマンションに着き、鞄を引きずり出そうとした時に『ルルイエの封印』を3つとも取り出しポケットに入れた。なんだか持っていなければなければならないという気がしたのだ。

 「石もランプも偽物くさいが、この気持ちはなんだ」

 私は首をひねりながら、藤原智宏の入居する一室へ向かった。

 彼の家は3LDK、一室は暗室に、もう一室は撮影スタジオに改造されている。ちなみに私の家は2LDK。片方を仕事場にしているが、窓とドア以外の壁は大量の書籍と資料が詰まった本棚がある。いつ床が抜けるか心配だ。

 それはともかく、藤原智宏の家にお邪魔した。

 彼はかなり興奮している様だ。しかしおかしい。いつもの奴とは雰囲気が違うというかなんというか。彼は殆ど無口で最低限の事しか言わない様な奴である。

 「ほら! 早くこっち来いよ」

 「ちょっと待て、荷物を出さないと。カメラとか」

 「写真は死ぬほど取ったし、これから動画も取る。お前のちゃちいカメラなんぞ要らん」

 「ちゃちくて悪かったな」

 そう言いながら撮影スタジオに連れ込まれた。

 「何だか暗くないか」

 「そうか? 気のせいだろう。撮影用のライトもほとんどつけているし、俺には明るすぎると思うくらいだが。そんな事よりこっちへ来い」

 藤原智宏が招いたテーブルには白い背景布が敷かれ、その中央にくだんのランプが置かれていた。レフ板が床に転がっている。多少神経質なきらいのある彼らしくない気がした。

 「良く見てみろ。一応そこの手袋をしてくれ。気をつけろよ、もう油を入れてあるんだ。俺はこれから動画の撮影の準備をする」

 そう藤原智宏にうながされて手袋をはめ、そしてボイスレコーダーをオンにした。

 動画を撮る準備を始めている藤原智宏を横目にランプへと近づく。

 「やけに綺麗だな」

 「写真を取る前に良く磨いた。最初は真鍮しんちゅう製と思ったくらい汚れてた」

 今は金色に輝いている。どれだけ磨いたのだろうか。

 私はそっとランプを持ち上げた。形は平べったい楕円形で、持ち手と注ぎ口がある水差しのようである。

 魔法のランプといえばコレ、みたいなやつだ。

 注ぎ口には火を灯す芯がある。藤原智宏が新しい芯をさしたのだろう。

 その表面には奇妙な紋様と共に象形文字と何語かわからない文字の組み合わせが彫り込まれていた。

 「おい、これまさか純金か? いや転がっていたのなら金箔を押しているだけかな」

 「わからん。傷つけたくないから調べていない」

 見た目からすると『アルハザードのランプ』のようにしか見えない。出回っている資料の描写が正しければ。

 アルハザードとは『ネクロノミコン』を書いたアラブ人、アブドゥル・アルハザードの事である。

 わかる範囲でのもともとの所有者はウイプル・フィリップスという人物だ。最後の所有者、ウォード・フィリップスはウイプルの孫である。そしてそのふたりとも失踪しているという笑えない話だ。

 失踪前のウォードは小説を書いていたが、鳴かず飛ばずで生計をたてる為に校正の仕事を受けていた。こちらは大変評判がよく、更に彼のアドバイスで見違えるほど良い作品になったらしい。

 かなりの依頼が来たそうだが、あまり裕福になれるほどの稼ぎにはならなかった様だ。それは今も昔も変わらない。

 ウォードが失踪したあと、ランプは使いみちがないということで骨董屋に売り払われた事まではわかっている。

 私の知る範囲の情報はこれだけだ。

 私がそっとランプをもとの場所へ置くと藤原智宏から声がかかった。

 「ビデオカメラの準備ができた。椅子に座ってくれ。始めるぞ」

 その言葉を聞いて、私は入り口側の席についた。

 「よし、撮影開始っと。ランプに火をつけて照明を全部落とす」

 何か私の心の奥底がざわめいた。

 「ちょっと待て。このランプが本物だとしたら、磨いたお前はヤバくないか。もしかしたらいきなり……」

 「その為にお前を呼んだんだ。お前こそきちんと記録していいネタにしろよ」

 藤原智宏は私の言葉をさえぎってランプの芯にライターで火をともす。

 ランプの火は少しも揺らぐこともなく辺りを照らした。

 「よし」

 彼はそういうと、すべての照明を落とした。そして私の左側の椅子に座る。私と藤原智宏の間の後方に、既に録画を始めているビデオカメラが三脚をつけて置かれている。

 しばらく何も起きなかった。火をつけてから、ランプの火は揺らぐ事がなかった。

 しばらく何も起きなかった。

 「やっぱりそれっぽいただのランプじゃ……」

 私がそこまで言うといきなり部屋の中が明るくなった。

 藤原智宏が「そらきた」と何の疑問も持たずに言う。

 おかしいとは思わないのか。何かまずい事が起こりそうだ。私はそう思うとポケットの中に手をいれて、ふたつの『ルルイエの封印』を取り出し両手にひとつずつ持って握りしめた。この石も本物なら何か役に立つにかもしれない。

 すると我々の反対側の壁に光が集中する。

 この光はランプの火ではない事だけは確かだ。

 光った壁に段々と何かが浮かび上がって来た。

 藤原智宏の方を見て声をかけようとしたが、彼は恍惚とした表情を浮かべていた。私の心も何か穏やかなものが満たしてくる。

 その壁にぼんやりと何かが浮かび上がって来る。浮かび上がってきたのはいいが、私にはそれが何なのかはっきりとは見えなかった。

 すると藤原智宏がうわ言のようにつぶやき始めた。

 「遥か昔の地球……砂漠の石柱の都……イレム……無名都市……」

 彼の方に目をやる。こいつは何を見ているんだ。私にはほとんど何も見えない。

 「砂漠の遥か彼方……極寒の荒地カダス……」

 本当にそんなものが見えるのか? 何故それがそうとわかるのだ。

 そこで藤原智宏の口調が少し変わった。

 「グロゼスター湖畔……霧の中に立つ『不思議な高みの家』……おお、これは知っている……アーカム……ミスカトニック川……インスマウスの町……悪魔の岩礁……」

 こいつは自分の妄想を見ているのか?

 それとも知識を絞り出されているのか?

 考えたくないが、本当にそれらが見えるのか?

 「海の奥底……ルルイエの水淵すいえん……風が……レンの高原……おお、ハリの湖……」

 そんなものが見えるのか?

 俺も見てみたいが、不吉なものを感じる。

 「ああ、これは……私の過去の……風景……あそこへ行けば……」

 藤原智宏は恍惚の表情を浮かべたまま立ち上がった。

 その瞬間、光が私達の周りで四方八方へと激しく爆散する。藤原智宏は走り出そうとしていた。彼の姿が段々とぼやけていくように見えた。

 何か非常にまずい。それだけが私の思考を満たした。

 私は反射的に彼に近寄り『ルルイエの封印』を彼の額に押し付ける。

 すると彼は激しく痙攣し、この世とも思えない叫び声を放って後ろざまに倒れた。椅子に後頭部を激しくぶつけ、びくんびくんとのたうち始める。そしてそのまま動かなくなった。

 私は慌てて藤原智宏に近づくと、握っていた片方の『ルルイエの封印』を彼の胸に置く。何故かそうしなければならないと感じたのだ。

 『ルルイエの封印』を握った私の両手から血が出ていた。あまりにも強く握ったため、指で手のひらを傷つけてしまったようだ。いや、私のことはどうでもいい。彼をどうにかしないといけない。まずはあのランプだ。

 ランプに近づき、燃える火の芯を指先でつまんで消すと、直ぐさま部屋の明かりを付けた。

 部屋には何の異常も感じられなかった。藤原智宏が倒れている以外は。

 私はしばらく呆然としながら彼を見ていたが、気を取り戻すと藤原智宏の脈や呼吸を確かめる。

 死んではいない。気絶しているだけだ。ただ口から泡をふいていたが。

 私はほっとしてスマホを取り出すと119番に電話をかける。そしてもうひとつの『ルルイエの封印』をポケットから取り出し、そのまましゃがみこんだ。

 藤原智宏はいったい何を見たのだろうか。

 私は救急車が来るまで呆けた様に両手に持った『ルルイエの封印』を見つめ続けた。

 

 藤原智宏は病院で精密検査を受け、目を覚ましたという連絡がはいると慌てて病院に向かう。彼は昏睡状態で3日間、目を覚まさなかったのだ。

 私が病室に入ると彼は私の方を見て「なんてこった」とつぶやいた。

 「まだ何か異常があるのか?」

 「あの時見たもの以外は。お前に止められなかったらどうなったんだろう」

 「推測でしかないが、ウイプル・フィリップスやウォード・フィリップスみたいに失踪したかも知れないな」

 「何でお前は平気だったのだ?」

 「多分ランプを磨かなかったせいだと思う。あとこれも関係あるかもしれないが、よくわからん」

 私はそう言ってポケットの中に入れて持ってきた『ルルイエの封印』を取り出した。

 「これが本物だったらな」

 そう言って藤原智宏に手渡す。

 「これは『ルルイエの封印』か?」

 「見た目は記録に残された物と同じだ」

 藤原智宏は一通り見て「うーん」とうなると私に返してくれた。

 「欲しく無いのか?」

 「欲しいといえば欲しいのだが、また今回みたいな事が起こった時もお前に助けてらう。その方が良さそうだからな。もし本物じゃなかったら、神宮寺、お前の頭というか精神がよほど耐性があるということになる」

 「耐性がある? なんでそう思う」

 「お前の頭に脳みそが入ってないということだ」

 藤原よ、お前もそう言うのか。

 私は少しむかつきながら『ルルイエの封印』をポケットにしまった。

 おかけで我が家と会社の私のロッカーに備え付けた金庫には怪しげなものでいっぱいになる。

 「1週間ほどで退院できそうだ。神宮寺、迎えに来い。何が起きたのか調べなきゃいかん」

 「行くのはいいが。ろくな事を考えていないだろうな」

 

  6日後、退院した藤原智宏を連れて彼の自宅に向かった。到着するなり藤原智宏はバタバタとあちこちを見て回りだした。どうやら彼は大丈夫そうだ。

 まずは録画した映像を映し出してみる。

 「見事に何も映っていないな」

 「多分俺の頭の中にあるんじゃないかな」

 怖い事をさらりと言うな。

 「ボイスレコーダーは、私たちふたりの声しか記録されていない」

 「別段何も聞こえなかったんだろ」

 「お前のつぶやき以外はな。聞くか?」

 藤原智宏は再生された自分の声を聞いて「うわあ」と言った。

 「俺は何を言っていたんだ。もう嫌だ。これをお前に送る。買った時の代金はいらない。側に置きたくない」

 彼はそう言ってランプを指差した。ろくでもないという事はこれか。

 「受け取りたくはないがしょうがねえな。私の会社に送ってくれ。私も自分の部屋に置きたくない。ここでは受け取らんぞ」

 「面倒くさいなあ。あ、あとランプを使う前の写真とフイルムもいるか?」

 「一応預かっておく。記事に使ってもいいか?」

 「好きなだけ使え。もうアレに関わりたくない」

 「もう少しだけ付き合え。見たものをありのままに書くか、録音して送れ」

 「嫌だなあ。思い出すと胃が痛くなる」

 そんなやりとりをしながら写真とフイルムを受け取る。

 わたしは鞄の中からバインダーを取り戻出し、その中の書類入れにしまった。

 「こいつはどう処理する?」と、藤原智宏はなんともいえない顔をしてランプを見る。

 「本物だから欲しいといえば欲しいのだが、あのお前の姿を見たからなあ。ミスカトニック大学で世話になったジョン・カーター教授に押し付けるよ。博物館か倉庫に入れてくれるだろう。彼なら本物だと信じてくれるはずだ」

 私はそう言って、出版社に戻ることにした。

 

 私は藤原智宏と別れてから、毎日出勤している。

 『アルハザードのランプ』を他人に受け取らせるのはやばいのでは、ということで。

 とにかく今回の出来事をまとめてみた。藤原智宏のレポートを何度も目に通す。

 「うーむ」

 唸り声しか出てこない。机に置いた珈琲に口をつける。もちろん岩崎知子さんに入れてもらった珈琲である。

 今回の事件をどう書いても何だか嘘臭くなる。何しろ体験したのは藤原智宏で、私は彼を横で見ていたにすぎないのだ。なんの証拠もない。たぶん『ルルイエの封印』も本物の様な気がするが、それも証明できない。

 そう頭を悩ませていると、私宛の荷物が届いた。発送者は藤原智宏だ。

 一応中を確認してみる。きれいに梱包材にくるまれた問題のランプがはいっていた。

 今回の経緯をまとめてみた資料を印刷して封筒に入れると、ランプの入っているダンボールに放り込み厳重に封をする。

 カーター教授が試さないといいのだが。そのむねはきちっと書いた。

 私はパソコンに向かい、簡単にまとめた説明を書いたメールをカーター教授に送る。

 「さて、コイツをさっさと送りつけないと」

 私は海外便の伝票にミスカトニック大学の住所とカーター教授の名前を書き込むと、そのダンボールを岩崎さんに押し付けようと持ち上げた。

 

 やはりクトゥルフ神話に関係あるものが日本にも紛れこんでいる。あんな目に会うのはもうゴメンだが、調査するしかないのだ。できれば海外に出張したかったのだが。

 

 それが私の仕事なのだからしょうがない。

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神宮寺透の不思議事件簿『月刊ジーランティア』クトゥルフ神話特集 埴谷台 透 @HANIWADAI_TORU

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