日立神津山トンネル怪事件

 2022年9月13日7時

 

 「本当にどこから手をつけていいかわからん」

 私は珈琲を飲みながら、朝のルーチンワークを始める。

 今日の新聞の朝刊の山に目を通すのだ。無論珍妙な記事を探すためである。

 『月刊ジーランティア』に新連載予定の『クトゥルフ神話の秘密 日本編』のネタをなんとか見つけないといけないのだ。しかし連載するほど日本にクトゥルフ神話と関係したものがそうそう見つかるわけがない。特集だけでも組めたら御の字だろう。

 そう思った所でひとつの記事が目にとまった。

 『本日未明、茨城県神津山市の日立神津山トンネルでまた交通事故発生。これで4件目。対向車や動物と衝突したわけではない。乗員すべて行方不明。ドライブレコーダーにも記録されていない。そして交通規制がしかれた』

 かいつまんでみるとこんな感じの内容である。

 残りの新聞の山を調べると、同じ事件を取り上げた記事がいくつか見つかった。どれも何と衝突したのか不明とある。

 ネットでまず過去の記事を探してみる。するといくつかの情報を見つかった。

 1回目から3回目の記事。そして今日の記事。

 どれをとっても変わり映えしないのだが、何かにぶつかって事故を起こした事とドライブレコーダーに何も映っていないという共通点がある。後は1回目と2回目の事故を起こした車に乗っていた人は、全員自力で車の外に出られなかったくらいだ。そしてやはり彼らは何と衝突したのかわからないという。

 ただし3回目は外から車のドアをこじ開けようとした形跡がある、と。通報者か誰かが助けようとしたのかまでは書かれていなかった。

 そして4回目は行方不明?

 一般道路の交通事故なのに、それはありえないと思うのだが。

 ほかに情報はないかとSNSや掲示板をチェックしてみたが、信用に足るものは何もなかった。

 となるとできることはひとつ。現場に向かうだけだ。

 机の前で唸っているより、くだらない結末が判明する方がましである。

 私は取材に必要な物の入ったバックを取るとまずは六紋社、私の勤め先に向かうことにした。私は六紋社の専属ライターなのだ。

 目的は社用車を借りるためである。私の車、ランクルで道なき道を行くわけではない。普通の道路だ。

 それに現場に乗り込むにはデカすぎて、警察の現場調査の邪魔になるだろう。悲しい事に自分の車が役にたった事は一度もない。

 六紋社に着くと自分の所属する第六編集部へ向かう。そして御子柴徳蔵みこしばとくぞう編集長に新聞記事の切り抜きとネットの情報を印刷したものを渡し、目をつけたところを説明した。

 御子柴編集長も興味を持った様だ。

 「面白そうだな。車を使っていいぞ。しかし神宮寺、お前テレワークだからっていい加減にしろよ。自分の机を見ろ。郵便物の山だ。そこにネタが入っていたらどうする」

 すんなりと現地調査を認めてくれたが怒られた。

 直ぐ向かいの席の校正チェックを担当している安倍宏美さんが口を抑えて笑っている。私に恥ずかしい事が起こるたびに笑われている様な気がする。

 

 

  2022年9月13日10時

 

 駐車場に行き社用車の白いミライースに乗り込むと茨城の日立神津山トンネルに直行する。到着するとそばの路肩に車を止めて、トンネルの方へ急ぐ。

 出遅れた分マスコミはほとんどいなかった。まずはキープアウトのテープにできるだけ寄って、大破した車や鑑識、周りの警察官の写真を撮る。

 「おい、身を乗り出すな」と警察官に注意されたその時、突然山の森の奥の木々が折れ始めた。しかし何が木々を折っているのかわからない。

 その現象がこちらに近づくにつれて、警察官や鑑識の様子がおかしくなり始めた。

 警察官や鑑識、まだ残っていたマスコミが次々と倒れたり嘔吐したり、果ては意味もなく走り回っている者もいる。立っていられる連中も顔を青くし、胸や腹のあたりに手をやっている。私もそのひとりだ。これはいったい何なのだ。

 しかし、異常が起きたのにそのチャンスを逃してなるものかと、デジカメで木が折れたあたりを撮り始める。

 すると突然失神していた警察官のひとりが空中に浮いて、ずるずるとどこかに消えた。消えた瞬間『それ』が姿を現した。

 白と黒が渦巻いたような色をしたでかい芋虫に見えた。その身体はぶよぶよしているように感じる。

 その上先端には無数の触手がうねうねと動いた。こんな生物なんているわけがないと思ったが、目の前にいるではないか

 そのそばにいた警官達が次々と倒れ、痙攣したように身体を震わせている。

 これはなんだ? 毒ガスか? いやそんな生易しいものではない。

 計り知れないほどの瘴気をまとった妖気、狂気、そして湧き上がる恐怖。

  瘴気とは『悪い空気』という意味である。ペストやマラリアが大流行したときにそう呼ばれた。

 そして『それ』が芋虫そのもののような足で這い進んでくると、更にふたりの人間を触手で絡め取り、ばっくりと開けた穴、口であろうと思われるところに引きずり込んだ。

 警官3人を飲み込むと、また透明になる。『それ』が来た方の木々が更になぎ倒され、どこかに消えてしまった。

 気合のみで写真を録り続けた私も限界がきた。その場に座り込む。今だ立っていられる者は誰もいなかった。

 もし今暴れられたらここにいる人間は全滅したに違いない。

 なぜそれだけで帰って行ったのだろうか。『あれ』は3人喰らって満足したのか。

 

 私はいつの間にか車に乗っていた。座りこんでから車に乗り込むまでの記憶がない。

 誰かが呼んだのか、多くの救急車と消防車、新しく来た警官が倒れた者を運び出していく。

 私はプロのライターであると自認しているつもりだ。その思いだけで現場の写真を録り続けた。

 しかし、さすがに木々が倒れた方へ向かう事は無理であった。身体がいうことをきかなくなってきたのだ。

 車を運転できるほどに回復すると、その場を離れる。

 救助に来た連中もふらふらし始めたのだ。

 これ以上長くここにとどまるとやばい、そんな気がしたのだ。

 しかしまたこの場に来なくてはならない。警察などが『あれ』の居場所を探りに来るはずだ。

 そして『あれ』を排除しようとするだろう。またこんな状態になるのは御免だが、ここまできたら引くわけにはいかない。一部始終を記録するために。

 それにはこちらも準備が必用だ。ひとりでこんな思いをしたくない。

 あいつならホイホイついて来るはずだ。この事件に巻き込んでやる。

 

 

  2022年9月13日13時

 

 御子柴編集長に電話をし、簡単な報告を入れると自宅に戻る。マンションの5階だ。エレベーターがきつい。気分が悪すぎる。

 しかしそうはいっていられないので、更に必用になりそうな物をバックに詰め込み、道連れにしてやる男に連絡をとる。

 藤原智宏、私の友人であるフリーのカメラマンだ。そしてオカルト研究家を自称している。アマチュアだが何かと役に立つ男だ。

 とにかく荷物を準備すると、藤原智宏の入居するマンションへ向かった。そして彼の部屋にとおされる。

 「で? 何事だ。電話で聞いた話がまず理解できない」と、藤原智宏が問いかけてきた。私は改めて日立神津山トンネルでおきたことを説明してやる。

 「日立神津山トンネルの事故を知っているか? あそこにとんでもない『なにか』がいる。駆除されるまで二、三日がヤマだ。スクープを逃さない為にお前をカメラマンとして雇いたい。泊まり込みで現場に張り付くからその準備をしてくれ」

 「なんだ? 変なものがいるのか? よし行こう。すぐ行こう」

 「おい。『あれ』の気配だけでとんでもないことになる。姿を見たらもっとやばい」

 「確かにお前、かなり具合の悪そうな顔をしているな」

 「これでもだいぶ回復したんだ。死ぬ気で来い」

 「ははは、大げさな。詳しい話は車の中で聞く。ちょっと待て、準備はすぐできる。昼どきだ。何か食うか?」

 「大げさじゃないんだ。今はめしの話をしないでくれ」

 「それほどか?」

 「それ以上だ」

 私はそう答えると、藤原智宏の準備ができるまで座り込んでしまった。

 

 

  2022年9月13日16時

 

 日が傾いてきた。

 現場に着くと、かなり凄い事になっている。

 あたりにいるのは警察官、機動隊、鑑識の山盛り。

 マスコミの連中は警官に邪魔されて遠巻きに現場の方へ向いていた。私達もそこに加わる。

 こんなに大勢が集まるとは。嫌な予感しかしない。

 そこで見知った男を見つけた。警視庁の荒井康志郎警部とその子分の田中なんとか刑事だ。彼らは私の知り合いである。何度も邪魔して名前を覚えられてしまった。しかしいいタイミングだ。話をつけてやる事にする。

 「荒井警部〜どもども」

 「神宮寺透、またお前か。今度はただの幽霊話ではないぞ。邪魔をするな」

 「あの現場にいて状況を撮りまくったのは私だけだぞ。後で分けてやるから便宜を図ってくれないか」

 彼はしばらく沈黙した。

 「現場にいてまともに戻ってきたのは私だけじゃないのか?」

 私自身まともではないが、突っ込むしかない。

 「危険は承知だろうな。警察から犠牲者が出ているんだぞ」

 「充分すぎるほど経験した。たから今度は更につ、と思う」

 「思うって……わかった。解決するまで付き合え。やばい橋を渡っているのを承知しとけよ」

 「荒井警部の名前は死んでも言わないから」

 「死んだら何も言えないだろうが」

 そんなやり取りをして藤原智宏と共に堂々とキープアウトのシールの中へ入る。他のマスコミの連中からブーイングが聞こえた。

 「藤原、あっちの木が倒れているところから出てきた」

 そう言ってやると、藤原智宏は三脚を取り出し御大層なビデオカメラを設置する。そしてこれまた立派なカメラを取り出して、何やら調節し始める。

 「こんなに餌がいるんだ。来ないわけがないはずだ」

 「なんだ、断言しないのか。いい加減だな」

 「いや、現れた時は3人喰われた。4回目の行方不明者も喰われたに違いあるまい。それで腹いっぱいだったら来ないかもな。人間様がお口に合ったとしたらまあ、とんでもないない事になるかもしれん」

 「マジか。仕事道具がオシャカにならない様に気をつけないと。もう少しあっちに行くか。ポイントとしてはここがいいのだが、持って逃げ帰られるかどうか……」

 道具より命を大切にしろと言いたかったが、コイツに言っても無駄な事は知っている。死なれたら私の寝覚めが悪くなるから気をつけてやらねば。

 藤原智宏は「ふむ」と言って設置したビデオカメラと馬鹿でかいカメラで茂みの方を覗き見る。

 「やっぱりここがいい。やばい時は、このカメラを持って行ってくれ。俺はこのビデオカメラを背負しょって行く。お前、デジカメ持っているだろ。念の為にお前も写真をとれよ」

 こういう奴である。

 そして警戒する事30分。

 前回ひどい目にあったあの気配。そしてまた木々の倒れて行く音。

 「おい! 来るぞ!」私は藤原智宏に知らせる。

 「警部、まずいと思ったら部下を連れて逃げろよ。それくらいとんでもない『奴』なんだ! 話半分では済まないぞ」

 『そいつ』が段々と近づいて来る。緊張感が一気に高まる。

 近づいてくるだけで警官や機動隊の何人かが倒れて苦しみ始めた。

 「藤原、身体の具合は?」

 「吐き気がして鳥肌がたっているが、まだ我慢できる」

 藤原智宏はそう言いながら録画を始める。

 「まずいぞ! 『あれ』が出てきた! これからもっと酷くなる! 苦しいのはこんなものじゃないぞ。藤原、我慢できなくなったら逃げるぞ! 喰われたらたまらん!」

 藤原智宏は私の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、真っ青になりながらもビデオカメラから目を離さない。荒木警部も青ざめながら木々が倒れる方を見ている。田中なんとかは既にうずくまっていた。

 「ああっ!」

 誰かが声を出した。

 いきなり機動隊のひとりが空を舞い、姿を消した。そして『それ』が姿を現した。

 さらに何人かがうずくまり、嘔吐をした者や頭を抱え込んで倒れる連中が出始めた。

 私が注意を促す前に、荒木警部は真っ青になりながらも指示をだす。

 「構わん、撃て! 撃て! こちらに近づけさせるな!」

 しかし間に合わなかった。更に3人の犠牲者が出たのだ。残る警官達が銃を連射する。

 さすがにこたえたのか『そいつ』はまた姿を消して戻っていくのを感じた。すぐに藤原智宏の方へ目をやる。

 彼は青ざめふらつきながらビデオカメラを三脚から取り外そうとしていた。

 「神宮寺! 追うぞ! 『あれ』の寝床を見つける!」

 マジか。まあ言われなくても私は行くが、コイツはつのだろうか。

 藤原智宏は三脚を捨てて走り始めた。

 「馬鹿野郎! 先頭に立ってどうする!」

 そう怒鳴りながら私も彼に続く。更に荒木警部と何名かの警察官と機動隊も駆け出していた。動けるのはそれだけか。

 『そいつ』の通った後は前方の洞窟へ続いていた。

 洞窟周辺は草木が枯れてしまったのか、広い空き地の様になっている。以前はその洞窟も木々でさえぎられて見えなかったのであろう。

 「あ、あれはなんだ?」

 荒木警部がなにかを見つけたようだ。

 私はそちらを見ると、とんでもない物を見た。

 どう見てもストーンサークルにしか見えない。

 藤原智宏はビデオカメラを洞窟の方へ向けながら弱々しい声を絞り出して言った。

 「神宮寺、その遺跡みたいなのを写真に取れ」

 言われなくても私はカメラを向けて撮り始めている。

 「あの洞窟内が棲家すみかに違いないな。全員撤収! とにかく戻れ!」

 荒木警部が叫んだ。

 私と藤原智宏もそれに続く。そして日立神津山トンネルの前まで逃げ出した。

 「クソ!」と言いながら荒木警部がスマホを取り出し、どこかに連絡をとりはじめた。

 田中なんとかはそこに倒れていたが、死んではいないようだ。

 私と藤原智宏はなんとか車に辿りついた。

 「じ、神宮寺、お前凄えな」

 藤原智宏はそう言うと、機材を置いて草むらの方へ向かい嘔吐した。あくまで機材を台無しにしたくない様だ。

 「おい、次に来るまで車で休め。私はトンネルの前の警察官達の様子を撮ってくる」

 「お前もひどい顔色だぞ」

 「2、3枚だ。すぐ戻る」

 そう言って私はデジカメを構えてトンネルの方へ向かい、その惨状を撮る。

 幾らか写真を撮って戻ると車に乗り込む。既に助手席に座っていた藤原智宏は頭を抱え込んで身体を震わせていた。

 私はなんとか我慢出来たが、身体中から変な汗が出ていた。

 

 

  2022年9月13日18時

 

 とうとう日が暮れた。

 「多分銃撃に驚いただけだと思う。また来るかもしれない。藤原、行けるか?」

 「これだけの事をされたんだ。最期まで記録するぞ、馬鹿野郎」

 彼は投げ捨てた三脚を拾いながら言った。馬鹿野郎は『あれ』に言ったのか、私に言ったのか。

 しばらく息を整えていると増援が来た。

 とんでもない数の機動隊と……あれは陸上自衛隊か?

 ライオットシールドを持った機動隊と、ものものしい銃火器を携えた自衛隊。全員ガスマスクの様な物を装着している。

 どうせ半分以上の人間が保たないのなら、数で勝負するという馬鹿っぽい作戦らしい。

 「ガスマスクじゃ無理だろ」と藤原智宏。

 「吐き気が酷いのは『あれ』が撒き散らしている瘴気のせいだと思う。無いよりましだ」

 「瘴気? まさか病原菌を撒き散らしているのか?」

 「わからん。今日の今日だ。まだ誰も調べていないだろう。ガスマスクを借りてくるか?」

 「もう十分吸い込んだ。邪魔だからいらない」

 しかし瘴気より問題なものも発しているのだ。

 なんと言ったらいいのか。妖気、狂気、そして湧き上がる恐怖。これらガスマスクで防げるものではない。

 空からの攻撃はしないようだ。そりゃそうだ。ヘリコプターの操縦士がいきなり倒れたらとんでもない事になりかねない。

 自衛隊の指揮官らしい男と話をしていた荒木警部は私達の方へ来た。やはりひどい顔をしている。

 「お前ら……帰る気はなさそうだな」

 「まあね」

 私は痩せ我慢をしてそれに答える。

 「では出発する。まだ取材がしたけりゃ私の後についてこい」

 そして機動隊を先頭に自衛隊、そして私達が『あれ』の巣へ向かう。幸い辺りの倒れた木々を踏み倒す気配が無かった。こんな場所で襲われたら逃げ出すしかない。いや、逃げる事ができるのだろうか。

 多少の脱落者を出しながらも広場にでると、機動隊と自衛隊が配置につく。

 藤原智宏はまたビデオカメラを設置し、カメラの調節をし終えていた。

 私はデジカメで機動隊や自衛隊を撮ることしかやる事がない。いまのところは。問題はこれからなのだ。

 機動隊はあくまで防御に撤する。それが有効かどうか今までの顛末てんまつからしてあまり言いたくはないが、被害者を増やさないためにはしょうがない。犠牲者が出ないことを祈るのみだ。

 そしてサーチライトが洞窟を照らし始めた。

 自衛隊の指揮官の号令でまず榴弾を洞窟へ撃ち込む。暴徒を鎮圧するために使っているアレだ。催涙弾とかを撃つだけではなく、こういう使い方もあるのか。さすがにひどい武器だと思う。

 洞窟に撃ち込まれた榴弾が爆発すると、穴が崩れ落ちる。これで生き埋め、はい終わり。などと思っているものはひとりもいなかった。

 次いで散弾銃やショットガンみたいな武器を持った自衛隊員と交代する。なんだかロケットランチャーみたいなヤバげな武器をかかえている隊員もいた。

 そこで洞窟を塞いた瓦礫を吹き飛ばして『あれ』が出てきた。かなり怒っているのか、身体が白色と黒に点滅し、へびが鎌首を持ち上げる様な姿勢をとった。『あれ』の無気味な足がわさわさと動いているのが見える。瘴気、妖気、狂気、恐怖が更に増大する。

 「第二陣、攻撃開始!」

 その指令とともに多くの銃弾が打ち込まれ、トドメのミサイルランチャーが火を噴いた。

 激しい爆発とともに砂塵が巻き上がる。

 その爆発とともに吹き飛ばされた『あれ』の肉片が飛び散る。

 砂塵がおさまるとボロボロになった『あれ』が姿を表した。

 再び自衛隊が更に弾丸を撃ち込む。『それ』は荒れ狂って何人もの人間を弾き飛ばすと、とうとう動かなくなった。

 『あれ』は死んだのか、悪臭を放ちながらドロドロと溶け始めた。

 それを呆然と眺める一同。『あれ』の撒き散らす瘴気と恐怖に身体が動かないのか。

 真っ先に正気を取り戻したのは私だ。

 そして自失している藤原智宏の顔面にビンタをくれ、荒木警部と指揮官の所へと行く。

 「倒した、のか」

 腐った臭いを撒き散らしながら溶け消えていく『それ』を見ながら荒木警部がつぶやいた。

 そこで私はあるものに気がついた。

 「警部! あと自衛隊の指揮官の! 私はあれがまずいと思うのだが、破壊しといた方がいいんじゃないか」

 そう言って洞窟のそばにあるストーンサークルみたいなものを指差す。そこそこ大きい遺跡の様に見える。『あれ』のせいでしっかりと周りの様子を確認する余裕がなかったのだ。

 茨城にこんな遺跡があるとは誰も考えてみなかったことであろう。ここはトンネルからそれなりに離れているので工事前の調査対象外だったのかもしれない。

 しかしトンネル工事の時に現れずに今頃出てくるとはどういう事だ。

 もしかしたら最近あの遺跡を使用して『あれ』を呼び出した奴がいるのではないか。それは考え過ぎだろうか。

 「お前の言いたい事はわかる気がするが、現状を維持しろと指示されている」

 にえきらない言葉が荒井警部の口から発せられた。

 「現状を維持しろって? また何か起きたら……」

 「偉い学者先生どもの調査が済むまで待てだと」

 「やけに命令が早いな。まあ、その学者先生とやらが調査を始めたら知らせてくださいよ。私達の記録と交換という事で」

 「神宮寺、お前は働き者だな。いやブラック企業ってやつか」

 「自分が見つけたネタを横取りされたくないだけですよ。私達はもう帰ります。さすがに具合の限界が来たので」

 そう言って私は荒木警部のもとから離れた。

 本当は機動隊員や自衛隊員のインタビューをしたいところだったのだが、もう無理だ。

 これからこの気持ち悪い空気の中で働かなければならない警察官や自衛隊員を哀れに思いながら帰ることにする。

 「藤原、遺跡みたいのは撮ったか? もう帰ろう。私は会社に戻る」

 「あ、ああ。俺も早くここから出たい。ちょっと待て」

 私はげんなりしながら藤原智宏が機材を片付け始めるのを眺めていた。

 

 

 2022年9月13日21時

 

 もう夜の街は薄暗い。この事件が1日で済むとは思わなかったのだが、2日も3日も張り付いていたら頭がおかしくなったに違いない。

 私は藤原智宏を彼の自宅へと送ると、会社に連絡を取る。さすがに御子柴編集長も詳しい状況を知りたかったのだろう。まだ会社に居残っていた。

 早く休みたい一心で会社に戻り、御子柴編集長の元へ向かった。安倍さんも気になっていたのか、まだ帰宅していなかった。

 そして編集長に事のあらましを報告する。

 「神宮寺よ、よくやった。今回のはクトゥルフ関連でなくとも問題ない。臨時ボーナスを貰えるようにかけあってやる」

 「いや、あの……」

 「もちろんお前の連れのカメラマンにもそれ相応の仕事代は出す」

 「そうではなくて……」

 「あ、ああ、あれか。『アーカム不思議旅案内』の2巻も出してやるぞ」

 「私の話も聞いてくださいよ。何日か休ま……」

 「さて、取材の後始末だ。神宮寺よ、1週間で記事を書き上げろ。できるだけ早く『ジーランティア』の号外を出さねばならない。『アトランティス』のようなやからにいい加減な記事を書かれる前にな」

 「これから1週間だって? 私はマジで死にそうなんですよ」

 「死ぬ前に書いてくれ。そうしたら休みをくれてやる。ああ、次号には間に合わないな。その次に特集も組もう。休みが開けたらバリバリ頼むぞ」

 「編集長……」

 荒木編集長は私から目を離し、パソコンのディスプレイを見るふりをした。

 視線を感じてそちらを向くと、阿部さんが私を見て気の毒そうな顔をしている。助け舟は出してくれない。荒木警部の言うとおり、ここはブラック企業だ。間違いない。

 味方は誰もいないのか。私はがっくりと肩を落とした。

 自宅へ戻ろうと出入り口に向かおうとすると、岩崎さんが寄ってきた。彼女も帰っていなかったのか。総務部が居残ってやる様な仕事も無いだろうに。これは偏見か? 偏見だったら申し訳ない。

 「ご苦労様でした。あんまりこんを詰めないでね」

 なんとなく岩崎さんに慰められた様な気がした。味方になってくれるのか。

 そこで岩崎さんは私の頭をぺしんと叩いて総務部の方へ行った。わざわざ私の頭をはたくために待っていたのか。

 そんなわけはないだろうが、何故いつも叩くのだ。

 多分彼女も味方ではない事は確かだ。

 とにかくだ。私は日本にクトゥルフ神話が存在する事をするのが仕事であって、怪獣退治なんか知ったことでは……ネタを見つけて首を突っ込んだのは私だった。

 なんだかとても悲しくなりながら私は会社を後にした。


 

 2022年9月14日8時

 

 翌朝、無理矢理起き上がる。あんな体験のあとではぐっすりと眠れる訳がない。いっそのこと気絶したほうがマシに思える。

 しばらく頭が働かなくなる。つけっぱなしのパソコンのディスプレイに写っているリモートワーク用の画面には誰も表示されていない。当たり前だ。まだ出勤前の時間だ。

 本当は黙って二度寝したい所であったのだが、リモートワークの画面から編集長が私を監視している顔が浮かんで諦めた。

 それでなんとなく『クトゥルフ神話百科辞典』という分厚くてでかい本を手に取る。パラパラとイラストを見ながらページをめくる。

 そしていきなり開いたページを凝視した。穴があくようにそのページの説明文を読む。

 「あ! もしかしてこいつか?!」

 

 『ドール族』

 

 『巨大なイモムシやミミズの形状をしている。そして不可視の存在。シュブ=ニグラス崇拝している。口から有毒な酸を含んだ粘液を噴出させる。そして暗闇の中でしか活動しない』

 説明にはそのような事が書かれていた。

 しかし今回現れた怪物は酸を噴出させなかった。瘴気の事だろうか。

 生物を喰らうとも記述されていない。

 それに昼間から出現したし、人間を喰うとき姿を現したので不可視ではない。しかし記述されているということは姿を現す事もあると考えていいのではないだろうか。

 私はこの本のイラストが数々の文献を参照して描かれていることを知っていた。

 似て非なるものか、伝えられた記述に多少の誤りがあるのか。それは誰にもわからないことであった。


 

 2022年9月14日9時

 

 「クトゥルフ関連と言ってもいいな。シュブ=ニグラスの名前が出てきたことだし」

 私の頭はまだまだぐらぐらしている。

 やはり休むべきだと思う。

 そこでパソコンの方から声がした。御子柴編集長である。

 「神宮寺、顔を出せ。起きているんだろう。早く書けばその分余計に休みが取れるぞ」

 無茶を言わないでください。頼みますよ、編集長。

 私はふらふらになりながら机に向かうと、今回の記録をまとめる事にした。

 1分1秒でも早く終わりにしたい。

 私は手思わず手にもっていた本を投げつけようとしたがやめた。かなりお高い本であり、資料としても役にたつ貴重なものなのだ。

 「はぁあ」とため息をつく事しかできなかった。

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