第7話 歌

「うん、綺麗だったな」


 一言、浩平こうへいはこう言った。俺の方に歩いてきて、フェンスの向こうにある畑を見た。それから、すうっと息を吸い込んだ。


「よし! 真瀬浩平まなせ こうへい、歌います」


 隣からでかい声が聞こえた。え、今の浩平の声か?と驚いている間に、歌声は始まっていた。


 それは、合唱部で歌っている課題曲だった。

 浩平の声は、歌うと宣言したときは大きかったのに、いざ歌が始まってみると少しだけ小さかった。そして、ときどき掠れていた。それでも響きは綺麗で丁寧で、聴いていてとても心地良い歌声だった。何より、一生懸命に歌っている姿が可愛いと思った。


「俺も、すき」

 歌詞の一番を歌いきってから、ぽそり、と浩平がつぶやいた。おれはすごく胸が苦しくなった。


「歌、覚えてたんだな。図書室の方まで練習、聞こえてたりするの?」

「いや。り、璃央りお、休み時間とかけっこう歌ってるだろ。意識してないかもしれないけど……」

「え!」

「いつも聴いてるから…… ちゃんと璃央のこと見てるぜって主張しようと、思って……」


「あの、抱きしめてもいい?」

 堪らなくなって、ついそう言うと浩平は無言のまま、首を横に振って拒否した。おれがその行動に密かに傷ついていると、浩平が俺の手を控えめに掴んだ。


「昨日、兄貴がさ、俺が璃央のこと好きなんじゃないかって言ったんだ。俺が毎日毎日、璃央の話を兄貴にしてたからそう思ったらしい。俺は意識してなかったんだけど。……それで俺、璃央のこと好きだから、頑なに牧村って呼んでたんだなって、ようやく気づいたんだよな……」


 そこまでずっと目を地面に向けたままとつとつと話していた浩平が、そっと窺うようにおれの目を見た。その目は少し潤んでいた。


 おれはまた堪らなくなって。でも今度は、掴んでくれた恋人の手のひらをそっと指で優しく包み返した。浩平は繋がれた手を見て、小さく口元を緩ませていた。


 このときのあいつの手とか、表情とか、きちんと憶えておこうとおれは思った。浩平はやっぱり綺麗な人間だな。





(了)

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歌と鳥 夏来ちなこ @chi75_0805

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