値段
多賀 夢(元・みきてぃ)
値段
努力すれば報われる世の中こそが、正しいと思う。
ゲームの経験値じゃないけれど、年収だとか、商品の値段だとか、数字でも見えるのが当たり前であるべきだって思う。
だけど、実際はそうはいかない。
少なくとも、自分の世界はそうなってはいない。
「なんでかなー」
俺は、ぐでんぐでんになって一人酒を飲んでいた。いや、さっきまでは仲間と居酒屋で盛り上がり、帰ってきてからまた飲み直したのだ。
飲み直したことには、特に意味はない。ただ、なんだか寂しい。仲間と楽しく話していても、自分にとって肝になる部分で手ごたえが消える。
「なんでかなー!」
もやもやが爆発して、一人で大声を出してみる。酒は心地よく自分を包むが、急にどこかに落ちそうな恐怖がくる。それが怖くて更に飲む。ヤバいと分かりつつ飲み続ける。
不意に、どこかで鈴のような音がした。
ぐるっと見渡すと、さっき放り捨てたスマホの画面が光っている。俺はそこにはいよって、通知をタップした。
『起きてる?』
さっきまで一緒に飲んでいた中の一人、シゲ兄さんだ。
激しくこみあげる喜びそのままに、俺は大急ぎで返事を打った。
『起きてます!』
『なら、ちと話さんか』
俺は即電話を立ち上げ、シゲ兄さんの番号をタップした。
「早いなぁ、鈴木君」
少し困ったような、いつもの笑い声が聞こえた。
「兄さん、どうしたんですか」
「いや。今日は変に沈んどったけん。どないしたんかおもて」
「いやー、別になんもないんす」
無いわけじゃない。だけど、言ってはいけないことだと感じるから言えない。思うとか思わないじゃなく、この『仕事』をしているなら飲み込むべきことだと感じる。
「あるんじゃろ? 誰にも言わんけん、言うてみ」
シゲ兄さんはもう素面のようだ。さっきまでは誰よりも明るく弾けていた声が、今はちらほら聞こえる外の鈴虫のように静かに染み入る。
なんだか、この人なら甘えてもいいと感じた。きっと、聞いてはくれないだろうけど。
「うどんて、なんで安いんですか」
「は」
「――あ、いやいいです。忘れて下さい」
俺は、目の前の焼酎をストレートで煽った。今のは、絶対言ったらいかんやつ。酔ってたことにして消してしまおう。
「お前、また飲みよんか」
呆れた声を聞いて、俺はわざと大声で返事をした。
「飲んでますー!店あるのにすんませーん!」
けらけら笑ってみせたら、そこから急に沈黙が続いた。俺は焦った。やっぱり、この質問は愚問すぎたんだ。
「――安いんは、俺の場合、意地やな」
スマホの向こうから、ゆっくりした声がした。一生懸命考えながら出した、そう分かる声音だ。
「うちとこは、歴史があるけん。歴史をなるべく続けたいから安うしとる。けど、なんでもかんでも昔のまんまってのも違う思うから、メニューは色々考えよるけど」
「それは分かってるんです、でも、どこも同じような値段で、安すぎて、なんか――」
そこから言葉が続かなかった。どの言葉を選んでも、自分の好きな『仕事』をきっと貶してしまう。歴史だとか先輩だとか、そんなの全部の敵になりかねない。
「そこはジレンマよなあ」
俺から何を汲み取ってくれたのか、シゲ兄さんは困ったようにぼやいた。
「物価も上がって、これから厳しい時代になるとは思う。自分は意地やから努力はするけど、それが正しいんかは分からん。――ただな」
ビールの缶を開ける音がした。俺はそれにはっとする。
「ゆっちゃいかんことじゃあないと思うで。それは、どこの店でも、どこの世界でも抱えてることやから。で、他にはないか?」
俺は、不覚にも嗚咽を漏らしていた。えぐ、えぐ、としゃくりあげていたら、シゲ兄さんが喉を鳴らして笑った。
「お前、相当酔っとるじゃろ。もうちょいつきおうちゃるけん、全部言えや」
「にぃさんんん、優しすぎますてぇぇぇぇ」
「そんなこたあない」
俺らは結局、それから1時間ほど話した。
朝9時。店を開けるため外にでると、もう何人かが並んでいる。
「おはようございますー」
いつものように笑顔を振りまきながら、俺は自分の店の暖簾を出す。
『讃岐うどん あらた』
俺はうどん屋だ。この香川県の外から移住して、この店を始めた。気持ちをあらたにっていうのと、自分がよそから来た新参者だから店の名を『あらた』にした。
面白そうだから始めたけれど、いろんなことにぶつかった。それを乗り越えても乗り越えても次の波が来て、また俺にぶつかっていく。
昨日、シゲ兄さんにもその話をした。シゲ兄さんは、自分もそうだと言った。
『大きな成功なんて、きっとない。だけど、解決できることはあるし、実はもう【解決しとること】もあるんちゃうかと思うんよね』
「どうぞお入り下さい」
そう言うと、嬉し気なお客さんが次々と店内へ入っていく。俺も急いで厨房に戻り、うどんを出す用意をする。
――もう解決している、悩み。
ほんのりと、それが見えた気がした。だけども忙しく立ち回るうちに、思考はどんどん鈍っていった。
ああ。だから見える形で、努力が報われて欲しいんだ。
値段 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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