第15話 エピローグ

今日は、あいにくの曇り空。いつ、雨が降り出してもおかしくない天気だった。そんな残念な天気だけど、私は今日エリアスお兄様と結婚式を挙げる。


 一年半程前、私は華々しいデビュタントを迎えた。隣には、大好きなエリアスお兄様が婚約者として傍にいた。同じ日にデビュタントを迎えた令嬢たちから、羨望の眼差しを向けられた。きっとエリアスお兄様が素敵で、注目を集めてしまったのだと思った。

 そんなお兄様の隣に立つのが私で、隣にいるのが何だか恥ずかしくなってしまった。だけど、横を向くとエリアスお兄様が優しい笑顔を向けてくれたのでとても心強かった。


 時間を気にして先に出てきてしまったが、いつまで経ってもお父様もアンジェリカ様も来ることはなかった。

 デビュタントという、娘の晴れ舞台を今日くらいはお祝いしてくれると思っていたのに……。愛されていない子供だという事実を、改めてつきつけられてようで辛く感じた。

 目の前に広がる景色は、綺麗で華やかなのに私を取り巻く環境が暗く悲しい。そんなことを考えていたら、表情が強張ってしまった。


「エレーヌ、心配しなくても大丈夫だ。マーサが言っていたように、明日からは君があの屋敷の主になる。勿論、俺もエレーヌを支える。その為に、今日君の隣に立っているんだから」


 エレーヌは、エリアスの腕に自分の腕を絡めていた。その腕に優しく手を乗せてくれた。エリアスの瞳は、どこまでも優しくて頼もしい。


「ありがとうございます。でも、お父様やアンジェリカ様が大人しく私の言うことを聞いてくれるかしら?」


 私は、それがどうしても信じられなかった。今までいくら言っても、全く相手にしてくれなかったのに……。


「エレーヌの父君は、ブルックス家から籍が抜けてしまったからね。使用人たちも、従う必要はなくなるから。一番不思議なのは、マーサなんだが……。彼女はどうして、あんなに一生懸命エレーヌの味方になってくれたんだろうか?」


 エリアスはそう言いながら、とても不思議そうな顔をしている。

 私も、それは一番不思議だった。ほんの三カ月前までは、私のことなんて気にも留めていなかった。むしろ、私のことなんて嫌っていたはずだ。


「それは、私もずっと疑問で……。でも、頑なに手伝えるのはデビュタントまでだって、それしか言ってくれなかったの。明日からは、マーサはどうなっているのかしら?」


 私は、独り言のように呟く。明日から、何かが変わっているのだろうか……。


「とにかく、何かあったらすぐに俺に連絡するんだよ?」


 エリアスが、エレーヌの顔を覗き込んで念を押す。


「はい。頼りにしています」


 私は、沈んでいた心が段々とあったまっていった。今日、誰も私をお祝いしてくれる身内はいないけれど……。隣にこんなに私を想ってくれている人がいる。

 だから、笑顔で楽しまないといけない。


 そして、私たちは会場のホールで息の合ったダンスを披露した。私にとって、一生に一度のデビュタントは最高の思い出となった。


 エリアスに送ってもらって家に戻ると、屋敷の中は静まりかえっていた。いつもなら、すぐに執事が玄関ホールで出迎えてくれるのにそれもない。

 私は、嫌な胸騒ぎを覚えてエリアスお兄様に一緒に屋敷の中に入ってもらった。私は、自分が使っている客間に向かう。侍女が部屋に待機しているはずだがそれもいない。


「エリアスお兄様、おかしいわ。どうして誰も出てこないのかしら?」


 エリアスも、屋敷の雰囲気が異常で訝しんでいた。


「居間にいってみようか? 誰かいるかも知れないから」


 エリアスお兄様が私に提案してくれる。私は頷くと、居間へと向かった。居間の方に歩いていくと、段々と人の話し声聞こえた。どうやらみんな、居間に集まっているみたいだった。


 私は、ノックをして中に入るとお父様とアンジェリカ様、それにプリシラもいる。奥のソファーには、マーサが横になって眠っていた。


「お父様、一体どうなさったの?」


 私は、お父様に向かって声をかける。一斉に皆が私の方を向いた。


「ああ、エレーヌ。大変なんだ。マーサにフランシールが取りついていたんだ。だから父さんは、悪くないんだ」


 私に対して、ずっと素っ気なかったお父様が縋ってくる。どうしていいのかわからなかった。エリアスお兄様を見ると、怪訝な表情をしてお父様から私を庇ってくれた。


「どういうことなんですか? 最初から話してくれないとわかりません」


 エリアスお兄様が、お父様に向かって訊ねてくれた。私も、何が何だかさっぱりわからない。エリアスの質問を受けて、お父様が何があったのか説明し始めた。


 お父様が、話すのを聞くと驚くべきことが起きていた。私を心配したお母様の魂が、マーサに乗り移ってデビュタントの準備をしてくれていたのだそう。

 お母様は、天界からずっと私を見ていてくれた。マーサは、お母様の魂が抜けて気を失ったまま。

 私は、信じられない気持ちでマーサを見る。ソファーに横たわっているマーサからは、何も感じることはできなかった。


「そんなことが……」


 私が、ポツリと呟く。


「私だって信じられないが、この三カ月ほどマーサの様子がおかしかったのも、そうだとしたら辻褄が合うんだ。私は、間違っていた。フランシールに叱られて目が覚めたんだ。エレーヌ、私の娘はお前だけだったんだ」


 父親が、私の手を握りしめて涙を滲ませている。マーサが、お母様だった……。にわかには信じられないけれど、最後に言われた言葉が頭の中でリフレインする。


『明日からは、貴方のいいようにこの屋敷を取仕切りなさい。エリアス様と二人で幸せになるのよ』


 言葉の意味を理解すると、どんどん感情の波がせり上がってくる。目頭が熱くなって、目には涙が滲む。やがて、ポタポタと涙が頬を伝った。


 お母様だった。いつからそうだったのか分からない。だけど今思うと、私に色々なことを話して聞かせてくれた時と同じように目を輝かせて、生き生きと自分のやりたいことを突き通すお母様だった。


「エレーヌ、大丈夫かい?」


 エリアスお兄様が、優しい声で名前を呼んでくれた。


「エリアスお兄様……、私、今はまだ頭の整理が付かないの……」


 私は、溢れ出る涙を拭いながら言葉にした。エリアスが、ハンカチを私の目元に当ててくれる。


「ああ、今日はもうゆっくり寝て。明日、考えればいい。どうしたらいいのか、一緒に考えよう」


 エリアスお兄様が、私に一緒にと言ってくれた。それが嬉しくて、今はただもう眠ってしまいたかった。


 デビュタントを終えた次の日に、私はお母様が最後に残した手紙を見つけた。そこには、生きていた頃の自分の不甲斐なさを反省する内容が書かれていた。

 一年間も辛い生活を送らせてごめんなさいと何度も何度も謝っていた。


 ブルックス家は、エレーヌ貴方が継いでいく家です。貴方が幸せになる様に、エリアス様と力を合わせてこれから生きていって欲しい。

 そしてお父様とアンジェリカ様のことも記されていた。二人を、あんな風にしてしまったのは卑屈に生きてきたお母様の責任でもある。家から出して本当に反省したのなら、一度だけは許してやって欲しいとそう手紙には記されていた。


 エリアスお兄様の方にも、同じ内容の手紙が届いたようで二人で相談をしてお父様とアンジェリカ様、そしてプリシラとマーサにはブルックス家から出て行ってもらうことになった。

 あの出来事の後、お父様が手のひらを返して私に縋っている姿を見たアンジェリカ様やプリシラは、怒り狂っていた。三人の仲は、一瞬で冷めたものになってしまった。

 それでも今更、別れることなんてできないとアンジェリカ様はお父様との離婚に同意しなかった。

 お父様は、最後まで私に許しを請うていたが最後は諦めて大人しくブルックス家から出て行った。エリアスお兄様から、「フランシール様が見ていますよ」と言われれば大人しくなるしかなかったようだ。


 マーサに関しては、三カ月間とても良くしてもらったので、何だか申し訳ない気持ちだった。だけど、目を覚ましたマーサは三カ月間の事を何も覚えていなかった。

 そして、その前と同じように私に対して嫌悪の目を向けた。マーサが溜め込んだ貴金属やお金は、領地に屋敷を買うお金にお母様が換えてしまっていた。

 その事を知ったマーサは、発狂してお父様に泣きついていた。


 その姿を見た私は、やはりマーサもお父様たちと一緒に家から出さざるを得なかった。とても残念だった。


 この一年半程、色んなことがあった。でもその都度、エリアスお兄様が相談に乗ってくれて一緒に考えてくれた。今、お父様やアンジェリカ様、そしてプリシラに見守られて結婚式を挙げることができたのは、エリアスお兄様がいてくれたお陰。


 そしてきっと空の上から、お母様が見守ってくれていると信じている。

 教会から式を終えて、外に出てきた私は空を見上げてとても驚く。結婚式の最中に雨が降ったらしく、地面や建物が雨で濡れていた。

 見上げた空には、晴れ間が覗きそこに綺麗な虹が出ていたから。


「エリアス様、お母様からのプレゼントかしら?」


 私は、エリアスお兄様に寄り添って明るい声で呟く。


「ああ、きっとそうだね」


 エリアスお兄様が、優しい声で優しい瞳で返事をくれた。純白の花嫁衣装を身に纏った私は、虹が掛かる空のその先に目を向ける。


「お母様、私、幸せです。だから、安心して見守っていてね」


 真っ赤なカーネーションのブーケを手に、私は虹のかかる空に向かって微笑んだ。





 エレーヌが結婚式を挙げた教会の傍には、大きな木が植えられていた。木のてっぺんの枝に、長い金髪の髪をした女性が腰かけている。

 足をブラブラさせてとても楽しそうな雰囲気だ。そこから、結婚式の様子を垣間見ることができる。

 彼女は、結婚式の一部始終を見終えると時間を気にしながらポンッと姿を消した。


 彼女に気づいた者は誰もいない。彼女の去った後には、空に虹がかかり雲の切れ間から地上に向かって光が差し込んでいた。

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幽霊令嬢の心残り~夫の専属侍女に憑依して、娘の恋を応援します~ 完菜 @happytime_kanna

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