01 ベタな黒歴史-3

 廃墟までは地味に距離がある、大体百メートルくらいだろうか。歩く度に足首をくすぐるカラスノエンドウの複葉ふくようが早鐘を打つ心臓に拍車をかけて嫌な想像を浮かび上がらせる。

 本当だったら今頃母さんの辛口カレーができるまで、自室の学習机で肝試しへ向けて対策する時間にててたはずなのにどうしてこうなったんだろう。おもちゃ屋に知り合いが来る可能性をまったく考えていなかった訳ではないが少し油断していた、寄り道なんかせずに真っすぐ帰っていれば……。既に僕の人生が懸かった恐怖の時間まで五時間を切っているのに、その前にこんな試練を受けていたら心身共に保つ気がしない。

 視界が心許ない闇の中、一際響く鈴虫の涼しい音色は一ミリの役にも立たないたらればによってき消された。



──はっきりとした境界線は見ただけではわからないけどなんだろう……強いて言うなら雑草が薄れて地肌が顔を出した辺りだったかもしれない…………全身につららのような突き刺す悪寒が走ったのは……。

 目標はもう目と鼻の先だった。遠目に見たときより木造建築の家は所々が劣化していて状態が酷い。下屋根を支える三本柱は元々固定されていただろうがその内の一本が傾いて雨樋あまどい諸共歪み、かすれすぎて読み取り不可な表札、投函とうかんするなと言わんばかりの斜めの赤ポスト、蓋だけが綺麗さっぱり無い二槽式洗濯機がカビまみれで放置されていた。

 かつて生命の営みがされていた空間からこうして人気だけが抜けた残骸を眺めているとなんだかセンチメンタルな気分になってくる。

 そんなこともお構いなしに玄関引戸と窓は全開のまま、まるで客人をもてなそうと誘われているような。


 「ぜ、絶対入らない……こんな所に長居するわけにはいか、ないんだ……早くミントス入れなきゃ……」


 結局、究極の選択を迫られた時に自分がどうしょうもなく可愛く見えるんだから醜い。手ぶらで帰ったらチリペッパーの返却はおろか酷な仕打ちが待ってるに違いない。怖さも当然あるけど無人とはいえ人様の敷地内で罰当たりなことはしたくなかった。

 だけどごめんなさい。

 言う通りにしないといけないから……。

 ぎこちなくスマホの電源を立ち上げアプリを開き、カメラから映像録画へモードへと切り替えた。玄関前でやれとの指示だが流石に家を汚せないので、大股二歩分余裕を持って下がると打ち上げの準備に取り掛かる。


 「紐の切れた数珠じゅずみた、いになってるけど……こんなに装填したらどんな、威力になるんだ……」


 先端の尖った爪楊枝つまようじやら針で小さな穴を開けたミントスに適当な紐を通して作ったみたいだ、あとはこれをカラメル色のプールにドボンするだけ。

 さあ、暗い雰囲気に呑まれず元気よくカウントダウンを始めよう。


 「さんっ…………にぃっ…………いちっ…………ボォールをっー! 奥手の廃墟にシュッーーッ!!! ちょぉっー!! エキサ──」


 「ティィーンッ!!」

 

 !??? ッ 

 え、ちょっと待てよ……。

 誰だ、僕のエキサイティングを横取りしたのは…………気のせいだよね、どうやら思ってる以上に精神が追い詰められて幻聴まで聴こえるようになってしまったらしい。

 落ち着け……気を取り直して……。


  「「奥手の廃墟にシューーッ!!!」」


 ッ!?! ッ ッ!


 ハモったぁーぁー!!? 

 絶対に何かいるよ、この廃墟……粋米君達のイタズラでもない……明らかに女性みたいな柔らかな声だった。この挑戦が悪行認定されたのか、激情を帯びたように雨音が加速度をつけて響き渡る。


 「うわ、降ってきた! 傘も持ってきて、ないし、こんな中じゃ撮影もできっこ、ないし、このまま引き返しても……撮るまで帰してくれない、だろうし……」


 脳裏で「雨宿り」という案が過ると現実逃避したくて仕方がない。屋根下でならまだ譲歩の余地もあったのだけれど、生憎今にも崩れ落ちそうな状態では別の心配をしなくてはいけなくなる。

 だから必然的に目線はさらにその奥……玄関前を越えたその先…………室内を満たす闇へ向き合わざるを得なかった。

 Tシャツの色の濃度が徐々に統一されてくると思考は強制的に体調優先へ切り替わる。


 「あーーもうっ! このままじゃ濡ちゃう!! 明日の予行練習だと思って……えいっ!」


 浅い水溜りを勢いよく踏みつけて、勝手のわらない廃墟へ恐る恐る入った。



──鈍い足取りで歩きつつも小さくなる後ろ姿を嘲笑しながら見ていると、競骨そうぼねが気の毒そうに上目遣いを向けてくる。


 「ンだよ? 野郎の上目遣いなんて需要ねえんだよ」


 「いやぁ、そのぉー流石にぃーあともう数時間したらぁ肝試しやるわけだしぃ、そのぉーなんというかぁ……」


 歯切れ悪く言い淀みながら目を伏せた。

 言いたいことは大方予想はつくが進行しない流れにじれったさが生じる。


 「へえ〜オレに意見するのか? とりあえず言ってみろ」


 「別にぃ文句があるわけじゃあぁーないんだぁ、ただまぁーあのビビリがぁボロ屋敷で疲れ果てたらぁ本番でぇ本領発揮できないんじゃぁないかとぉー」


 こちらの様子をチラチラと窺って、身構えてしまっている。

 まだ何にもしてないんだがな。


 「忠告ありがとな競骨……確かにお前の言う通りかもしれねえな……今から連れ戻してくるわ……」


 「べっ君……」


 長年苦悩し続けた冤罪えんざいの真実を白日の下に晒して理解者がいたように、感極まった目でこちらを凝視する。


 「ただな、競骨……」


 「なんだぁいぃ?」


 「それは……文句って言うんだよ」


 鷲掴みポーズの手を競骨の側頭部に添えると、そこにある長細い楕円形だえんけいから整った立方体へと変貌を遂げた(本人のイメージです)。やがて六面それぞれが違う色に染まり、一面が四角に九つずつ区切られていく。

 誰がどう見ても正真正銘のルービックキューブだよな(余裕で違います)。


 「べっ君ぅん!?」


 「じゃあまずは色をバラすか」


 規則正しく並んだ色達を引き離す、簡単に隣り合わないようにいろんな色をかき混ぜ……は? 何だよこれ、指が突っ掛かってクソ動かねえ……

ああそうか、色を揃えながら指力も鍛えられるっつう代物なのかこれは(連れの人の頭です)。

 ニヤリと口元が緩み、なんだかモチベが上がってきて俄然がぜん指先に力が入る。


 「イダぃー! べっぐぅんっやめ、あゔぁぁぁー!!!」


 「中々硬いな……生意気なルービックキューブだなほんと、じゃあこれならどうだ?」


 「ゔぇっ!? ルービックキューブゥ??? べっ君ぅん何言ってぇー? ヤベェ薬キメちゃってんじゃあぁー? あゔぁぁぁーーいだあぁー!?!?」


 「こうかっ?」


 「あぁあぁゔあぁーっ!」

 

 「ここで赤をペアかっ?」


 「いだぁっあぁっー!!」


 「ここは待って別面からいくかっ?」


 「あああああぁーっーっーーどうか慈悲おぉぉーーー!!!」


 切望の絶叫が耳に届くときっちり揃えられたルービックキューブは消えて、変わりに見慣れた楕円形が視界に現れた(こっちが現実です)。


 「競骨、お前オレの目の前で何してんの?」


 「あぁーべっ君! やっとぉー戻ってきてくれたぁー! 心配してぇ──」


 「真正面に立つなって何度言わせんだ? 喰らえ」


 「へ?」


 隙だらけの野郎のケツに腰の入ったローキックを放つ。我ながらしなる脚は悶絶モノだと気の毒に思わなくもなかったが、ルールは絶対だ異論は認めない。


 「あいだぁーーっ! 頭とぉー尻のぉー厄日だぁーーー!!!」


 遣る瀬ない佇まいで蹌踉よろめいている競骨に構わず、急に降り出し始めた雨の中二人は全速力で自転車を漕いで帰った。

 籠に袋の入った自転車を一つ置き去りにして。



──暗い室内の静寂を支配する雨が寂しさを掻き立て、僕は玄関のテラコッタタイル上で棒立ちしていた。

 見渡せば引戸から上がり框にかけて幅のある靴箱、蔦と羽で縁取られた壁掛けアンティーク調の円型鏡、その下には真ん中周辺が割れている障子ガラス。

 玄関の少し奥はスケルトン階段と半開きのドアがあるがあまり直視できない。何かと目が合ってしまいそうで怖いから。

 と言いつつ、諦めかけてた可能性を思い出しスマホを取り出すと「電池残量が少ないです、残り十パーセント」と出た警告文をスライドし、写真、動画撮影用アプリを立ち上げた。


 「このまま、じゃ帰れないんだ……七時だってとっくに、過ぎてるし……母さん晩御飯、の食材がなくて困ってる、はずだ……だから…………」


 ごめんなさい……。

 家が汚れたら僕の服でちゃんと拭き取るからどうか今回だけは許してください…………。


 片ポケットから湿ったミントス数珠とコーラを取り、床にスタンバろうとしたその時──



 何が部屋を照らした。

 スマホの明かりだけでは不十分だった玄関が僅かに明るい。

 …………あ、そっか! いつまでも戻ってこないから心配して粋米君達が様子を見に来てくれたんだ!

 なんだぁ〜びっくりしたなぁ〜


 「ご、ごめん……今撮影してそっちに、行く所だっ……」


 安堵のしながら振り返るとそこには誰もいない、それどころか明かり一つ無い。

 嘘だ。

 この細やかな灯火とうかは外から来てるんじゃなくて……ここから……この玄関から発されているなんてそんなわけ…………

 恐怖に歪みに歪んだであろう自分の顔をなんとなく確認するべく、玄関左側にある円型鏡に目をやる。

 うわぁ〜酷い顔だな、期間限定でゴブリンのお嫁さんたくさん作れそう、うんうんハーレムハーレム、どっちの目もしょぼしょぼしてておじいちゃんにも見えるぞ、あれ? こっちの目はやけに切れ長で赤黒いなぁ……へ? 目が三つ?

 気づくのに時間は掛からなかった。

 その時僕達は見つめ合っていたのです、目と目があぅ〜的なニュアンスだったらどんなによかったか。

 

 「あぁなぁだぁはいまぁっーーどぉんなぁぎもぢぃでぇーーいぃーるゔぅーのおぉー!? ……純粋に怖くて漏らしそうです……いやあぁぁぁぁでたあぁぁぁーっーっー!!?」


 街中のちっこい光目掛けて短距離選手顔負けのロケットスタートをまし、コーラ、ミントスを見境なくぶっ飛ばした。

 どんなに遠く離れても後ろは振り向かない、これが前向きなニュアンスだったらどんなに格好良かったことか。ただチキンなだけです、はい。

 びしょ濡れになった自転車に超スピードで跨り、急いで帰路に着いた。

 足元も覚束おぼつかない闇の中でどこか寂しそうに光る青白い物、鏡の縁をくるくる回ると弱く呟く。


 「また驚かしちゃった……」 

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一服廃墟ちゃん うなぎ昇再 @hatimiu2882

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