8. えくぼ

「太郎さん、早くしないと、寿美香すみかの入園式に遅れちゃう」

 階段の下から玲奈の声が響いてくる。

「ごめん、すぐ行く。翔太しょうた、早く、靴下を履きなさい」

「だってぼく、ハダシの方が好きなんだもん」

「しょうがないな」

 そう呟いて、僕が靴下を履かせようとすると、翔太は顔を上げて、ニマッと笑った。ま、幼い頃、玲奈から何度も言われたのに、さんざん芝生の庭を裸足で遊ばせていた僕のせいだ。

「ねえ、トトロの森は今度いつ連れて行ってくれる?」

「そうだな。五月の連休だな」

「わかった。自分で履く」

 翔太はあっという間に靴下を履くと、飛ぶように下に降りて行った。

 階段の下から、「スミ! パパが五月にトトロの森に連れてってくれるって!」と翔太の声がしてくる。

 階段を降りかけていると、スーツを着た玲奈が上がってくる。相変わらず見惚みとれるほど綺麗だ。

「もう、太郎さん、勝手に約束して!」

 目の前の怒った顔さえも美しい。

 同じ段に立った玲奈はふっとを浮かべると、僕を抱き締め、それからそっとキスをしてくれた。


          *


玲奈へ


この手紙をあなたが読むことはないでしょう。だってここには郵便局がないから。


あなたがしあわせになってくれるか、それだけが心残りだった。

だから最後の最後まで迷って、太郎ちゃんに会いに行きました。

前に話したあの大木リサの弟だし、本当に幼い頃しか知らないからどんな男に成長していたかもわからなかったし。

たまたまあのタイミングで搭乗してくれたから、なんとか会うことができたみたい。わたしだって最後の力を振り絞って、あそこに行ったし、そもそもそんなことができるかどうかもわからなかったんだから。


おかげでわたしは最後の職務に就くことができました。楽しかった。それとあとからみんなが太郎ちゃんの話を聞いて、怖がらないどころか、聖なる出来事なんて言ってくれて、幸せでした。客室乗務員になれて本当に良かった。幸せでした。


太郎ちゃんはカッコいいタイプではないけど、そう見た目も悪くないし、たぶん玲奈が気に入ってくれると思ってました。

彼はリサから毛嫌いされていたこともあって、人生は上手く行っていないけど、ポテンシャルはあると思うし、狭山ヶ丘に行って自分を取り戻したのだから、これからはきっと上手く生きていけると思います。女性との距離をうまく把握できないところもあるみたいけど、逆にそこは玲奈との共通点でもあるから、かえって良く作用するかなと思ってたけど、ほんとにそうなったみたい。

雑木林では、わたしが想像していたよりもずっと玲奈が積極的になっていたのでちょっと驚きました。わたしが思っていたよりもずっと相性がよかったみたいね。よかった。

そして玲奈が、人間としての幸せと、女としての幸せをちゃんとつかんでくれたことに心をおろしています。


あなたと出会えて、わたしの短い人生の最後の方はすごく楽しかったよ。

ありがとう。


あらためて、わたしの心の妹、玲奈へ


玲奈の心の姉、香澄より


                            (了)

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武蔵野の雑木林。幸福な太陽の記憶。 百一 里優 @Momoi_Riyu

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