余談☆ いちおう、エッセイの醍醐味、書き手の立場紹介です。
私は……そうですね。フルボシと名乗りましょう。この余談は、感動の熱が引きつつも、やっぱり「彼の自由に関する研究」が好きだなあ、と実感しながら書いています。
熱が引いた、というよりも。きっと、私のなかで再結晶と化しているのです。きらきらと、面白いという感情が、輝いているのです。
フルボシは、悩んでしまいました。高校生になれて、良かったと実感できたのは、カクヨム甲子園があったからです。
ただ、ひとりで書いて。ときどき感想をもらっていた、その時間が。コンテストに参加するときに、また味わえるとは思いもしなかった。
嬉しくて、嬉しくて、ただただカクヨムや、色んなところで、文字を読みました。新しく手に入れた知識は、活用できそうなら、どんな形であれ、使ってきました。
私は、小説とは別の分野で、夏が終わる悔しさを知りました。……こう書くと、きっと、共感してくださる方は、何人もいらっしゃると思います。なぜって、カクヨムにも、小説以外の多様なことに挑み続ける、ユーザーさんがいらっしゃるからです。
いちばん好きなことは、いちばん長く、心に残っている、小説という分野です。でも、誰かに「小説を書いています」なんて朗らかに言えるようになったのは、高校生になってからなのです。
想像してください。
私は、学生の身分ですから、いまから、学生の描写を書いていきます。
小学校。ランドセル、校帽を身につけ、校門を目指して、歩く日々。世界が、はじまって終わる日々。
中学校。制服を着て、だんだん受験とか、メイクやアルバイトに興味が出てくるのです。
高校。小中よりも、もっと選択肢が広く、きっとそれまで同じ道を歩んでいた誰もが、ここから違う未来を目指すようになる。
高校生という時間は、いつ終わっていくのでしょう。私は、「彼の自由に関する研究」を知らなければ、素直に泣く機会も減っていったかもしれません。
どんな事情があったとしても、カクヨム甲子園に参加するならば、私たちは高校生として仲間でいられる。
それが心強く感じられるのは、私が私のなかの無関心に気付けたからだと、信じてみたい。
エッセイの前中後編は、さまざまな、好きな作品への感謝も込めて書きました。「彼の自由に関する研究」が好きだと言えたのは、はっきり伝える楽しさを、小説を読むなかで知ったからです。
泣いてしまったのは、ある作品で描写される涙の描写に、ただ綺麗だと思ったからです。
私は、現実ではきっと苦しいばかりでした。ただ、物語は、現実じゃあないから。だから、私のなかの好きを知ることも、美しさも歪さも知れました。
そして、現実じゃあないから、ありえないとおっしゃる方もいます。リアリティというものを意識して、私は、なんとか現実を直視しようと心がけていました。
ただ、書き手として、フルボシの作品にアドバイスをいただいて、その中で学んだことはたくさんあります。
教えてくださってありがとう。
優しく、わかりやすく、伝えようとしてくれてありがとう。
たしかに、世界には優しさもあるのだと知れました。そして、私の見ている世界はせまいことを実感しました。
これからも、私は「ありがとう」と言いたい。書き手として、読み手として、仲良くしていきたい。
その気持ちだけで、この余談を書けました。だから、「彼の自由に関する研究」、そして、私の作品を読んでくださっている方。
すごく大好きです。
レビューがもらえて、感想がもらえて、それはランキングに載ることよりも、嬉しいです。そういう、だれかに刺さる作品を書いてけるのなら、私は嬉しい。
そして、私のなかの無関心さに刺さるような作品も、好きです。
これからも、私は書き手を続けていきます!
「彼の自由に関する研究」を読んで。 旧星 零 @cakewalk
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