逃げろっ!
黒井羊太
逃げろっ!
おぎゃぁ!
実況「さあ始まりました! まさに人生の開始点! 元気な産声と共に彼の波瀾万丈の人生がスタート致しました!」
解説「血統的にはいまいちですが、活躍を期待したい所ですね」
実況「まだまだ赤ん坊の段階、これからどんな人生を歩むのか。実況は私」
解説「解説は私です」
実況「さあ。時間が大分経ちまして幼稚園に入園致しました。どうでしょう、ここまでのところ?」
解説「そうですね。立ち上がりとしては順調です。家族仲も良好ですし、弟にも恵まれました」
実況「二つ下の弟、これが後々どう効いてくるのか」
解説「楽しみですね」
実況「おぉっと! ここで動きがありました! 何と早くも告白です! 同じクラスの女の子からの好き好き攻撃!」
解説「これは大胆な攻撃ですね。真剣に捉えれば後々火傷をする展開、袖にすると悪評が広がりかねません。どう応じるのか、難しい所です」
実況「さあ、どうするのか……おおっと!? これは……?」
解説「逃げましたね」
実況「これは賢明な判断なんでしょうかね?」
解説「このぐらいの年齢の男の子にはありがちな対応ですね。悪くないと思います」
実況「何とか無事逃げ切る事ができたようです」
解説「時折こういう波が来ますからね。要注意です」
実況「さて、更に時間が経ちまして小学校」
解説「大きな動きもなくここまで来ました」
実況「ここで六年間、長丁場の戦いです」
解説「無難に乗り切りたい所ですね」
実況「目立たないようになるべく後ろの方に立っています」
解説「いわゆる陰キャポジションですね」
実況「クラスのトラブルに巻き込まれないように立ち回っていきましょう」
解説「トラブルに巻き込まれると面倒です。矢面に立つ事がないようにしたいところですね」
実況「あぁっと!? ここで九九!」
解説「来てしまいましたねー。全員が教室の前に、九九が全部言えるまで立たされる奴です」
実況「果たしてこの難関を越えられるのか?」
解説「見守りたいところです」
実況「……何と! ここで泣き出すファインプレイ!」
解説「強いですねー。泣いてしまうと途端にこの場における弱者となる事ができます」
実況「これには迂闊に先生も攻め込めません」
解説「泣きやむ様子もないですね」
実況「ここは徹底的に攻め上げたいところ!」
解説「あぁ、諦めましたね」
実況「素晴らしいプレイでした。これで九九も無事回避できましたねぇ」
解説「全く寄せ付ける事のない、実に素晴らしいプレイですね」
実況「次に襲い掛かるのは……合唱コンクール!」
解説「歌わなくてはならないと言うプレッシャーがすごいですね」
実況「誰かと合わせるのが苦手な彼にとって、かなり苦しい場面です」
解説「何とか逃げ切ってほしいですね」
実況「さあ、この場面でどうするのか? ……歌わない! 歌っておりません!」
解説「トリッキーなプレイが炸裂しましたね」
実況「何と口パクという荒技で乗り切ろうという魂胆! 素晴らしい逃げです!」
解説「こういう場面だと、マジメな女子たちに掴まってしまう事が心配です」
実況「女子たちはどう動くか……動かない!」
解説「これは意外ですね」
実況「どうやら誰も気付いていない様子! これは巧みに逃げ切れるか!?」
解説「何とか乗り越えられそうです」
実況「いや~、なかなか冷や汗が出る場面でしたねぇ」
解説「手に汗握る展開です。ここからのプレイも楽しみです」
実況「逃げる事が堂に入ってきました」
解説「この年齢にしてはなかなかの逃げですよ」
実況「次は中学校です」
解説「思春期の真っ只中、周囲の視線が気になる頃ですね」
実況「繊細なプレイが要求されます」
解説「彼には今の所大きな夢や好きな事がありません。それだけが心配ですね」
実況「そうですね、そうした事が一体今後どのように影響してくるのか」
解説「楽しみです」
実況「おぉっと? 部活は強制らしいですが……?」
解説「そういう学校も多いですね」
実況「彼の選択はどうなるか……ほぼ活動していない文化部を選択しました!」
解説「実質の帰宅部ですね」
実況「これで人と関わる機会がだいぶ減る事になりますね」
解説「この時期、人間関係を増やす事はリスクにも繋がります」
実況「といいますと?」
解説「中学生という多感な時期の少年少女から受ける影響は膨大です。それは良い事も悪い事も激しく影響し、時に人生を狂わせてしまう事だってあります」
実況「なるほど?」
解説「そのリスクを避けるには、最初から関わらないという選択肢は大きな意味を持ちます」
実況「そういう意味では実に良い逃げであったと言っていいでしょうか?」
解説「ナイス逃げです」
実況「なるほど……ここでカメラが……? 弟の方に向かいました!」
解説「まだ小学生ですが、彼の周りには人が多いですねぇ」
実況「兄とは違う展開が広がっています」
解説「引っ込み思案な兄と違い、弟は社交的なようです」
実況「次々に人が寄ってきて楽しげなチームとなっておりますね」
解説「男女とも人気がありますね」
実況「おまけに勉強もできるし運動もできる!」
解説「まさに教室の中心的人物です」
実況「兄とは違う様相ですね」
解説「兄には兄の良さが輝いています。プレイスタイルの違いでしょうか」
実況「あぁっと、兄が脇目に見ている! これは妬みの視線だ!」
解説「一方弟は気にしている様子はありません」
実況「いやぁ辛い場面ですねぇ」
解説「この頃になると兄弟であっても性格が決まってきてクラスでの立ち位置も変わってきます」
実況「兄は一体何を考えるのか!?」
解説「辛い所です。何とか逃げ切ってくれると良いんですが」
実況「ここで高校入学! ここまで勉強を避け続けてきたせいで、あまり良い高校にいけませんでした」
解説「逃げ癖がいい感じに身に染みついていて、これまで順調ですね」
実況「趣味もなく目標もなく、漫然とした高校生活を迎える事になります」
解説「共学校とはいえ女の子とのイベントに期待してしまうのはいけません。同じ空間にいるからといってそんな好都合な事などそうそう起こりません」
実況「そうですね」
解説「どうせなら男子は男子同士、一線を越えた関係に」
実況「それ以上は行けません。生放送ではありますが、放送コードというものがあります」
解説「おぉっと、これは失礼しました」
実況「とにかく灰色の生活の日々を過ごす事を決断したようです」
解説「中学の頃とも違う、第二次性徴真っ只中の春期発動を伴う要求は、彼らの体を苛々させる事でしょう」
実況「さあ、彼はどう動くのか……うごかない! 女子どころかほぼ誰とも会話をしない!」
解説「いやー、そう来ましたか」
実況「どういう事なんでしょう?」
解説「ここに至るまで、彼は女の子と関わる機会から逃げてきました。結果、女の子との関わり方が分からない男子高校生という、純化した存在になりました」
実況「周りからも扱いにくい、あれですね?」
解説「そうです。そんな彼を気に入る女の子もいるかもしれませんが……と一人近づいていきます!」
実況「解説さん! 音量下げて下げて! 静かに見守りましょう!」
解説「……」
実況「……逃げましたねぇ」
解説「逃げましたね。まさか彼の方から逃げるとは」
実況「ビッグチャンスだったと思うんですが、いかがでしょうか?」
解説「いや~、もったいない事をしましたね。あちらから来てくれるなんて、一生の内に何度もある事ではありません」
実況「ちなみに解説さんにはタイプでしたか?」
解説「いや~、このくらいの女の子はちょっと……でも真っ直ぐでマジメそうないい子でしたね。フられてがっかりして泣いていますね」
実況「慰めてあげたい」
解説「ねー。しかし紳士協定でノータッチ。ナイス逃げです」
実況「勉強から逃げ続けてきた三年間。特に学びたい事もやりたい事もないふわふわした人生設計。彼の将来は一体どうなってしまうのか!?」
解説「とりあえず逃げの浪人生ですね」
実況「さすがに腹をくくるか?」
解説「予備校通うにもお金がかかりますし、何とか一年以内に収めたい所です」
実況「おぉっと、ここでまた逃げました!」
解説「逃げましたねぇ」
実況「好きな勉強だけをそこそこだけ勉強しております! 嫌いな先生の授業はサボっております!」
解説「受験勉強に求められるのは満遍ない内容ですからね。あのままでは苦しくなるのではないでしょうか」
実況「しかし我関せずといった具合だ。果たしてこの浪人を一年で乗り切れるのか? さもなくば、弟と一緒に受験という形になるぞ!?」
解説「弟とは受けたくなかったんでしょうね、少し勉強のペースが上がりました」
実況「さすがに弟との受験は嫌だったか? しかし勉強に身が入らない!」
解説「彼の場合『何かがしたいから』ではなく『そうなりたくないために』という消極的な理由に基づくからですね」
実況「なるほどぉ」
実況「あれから数年の月日が経ちましたが……」
解説「まさかの結末でした」
実況「彼は……三浪後に引きこもり始めました」
解説「解説しますと、弟に進学で抜かれ、自暴自棄になって進学を諦めました」
実況「それ以来引きこもりをしながら両親に心配を掛ける日々」
解説「上手く脱せるといいのですが」
実況「地力はあると信じています……あっと? ここで父親からの就職斡旋を回避!」
解説「いわゆるコネ入社という奴ですね。彼には少し荷が重かったかも知れません」
実況「といいますと?」
解説「コネ入社の場合、他の社員からの目線が大変痛いものです。それを覆せるだけの実力があるのならばいいのですが、実力が無い場合は……」
実力「なるほど。仕事は進まず、しかし偉い人のコネだから無碍にもできず……持て余しますねぇ」
解説「もちろん本人にだって伝わる話です。なかなか苦しい選択となりますから、回避は当然かも知れません」
実況「これはナイス逃げ、と評しておきましょう」
解説「そうですね」
実況「おぉっとぉ? ここで彼の方からハンドサインが送られてきます」
解説「我々の存在に気付いているとは思えないんですが……どんな内容でしたか?」
実況「オーディエンス……? 聴衆という言葉でしょうか。これは一体?」
解説「昔のクイズ番組で、行き詰まった時に聴衆からヒントをもらう事がありました。彼は恐らく人生の行き詰まりを感じていて、誰かに教え導いて欲しいという心情なのでしょう」
実況「ははぁ、なるほど。ここまでの試合内容を見ておりますと、確かにそうしたくなる気持ちも分かりますね」
解説「はい。ただ私としましては、このまま逃げ続けて欲しいなと思うんです」
実況「その心は?」
解説「人間、いや生き物には二種類の回路しかありません。『闘争か逃走か』というんですが、戦うか逃げるかをいつも急に判断し、体を動かさなければなりません。
多くの生き物は時には戦うものなのですが、彼の人生は戦う事がなかった。逃げて逃げて逃げ続けて、果たしてどこまでいくものなのか見てみたいんですよ」
実況「確かに。あ、今本屋で立ち読みをしていますね。『嫌な事があったら逃げて良いんだ』ってタイトルのようです。それを読みながら激しく頷いておりますね。私もそうだと思います」
解説「彼の腹は決まりましたね。これからますます逃げていくでしょう」
実況「私、俄然楽しみになって参りました!」
実況「おぉっと、ここはどこでしょう?」
解説「田舎町ですね。彼が元住んでいた都会よりは明らかに自然の多い場所です」
実況「一体どうしようというのか……彼が向かった先は?」
解説「役場の移住課ですね」
実況「ここで大きな一手! 田舎に住んで人生をやり直そうという計画!」
解説「良い判断といえます」
実況「都会に疲れたら田舎へ、というのは基本ですからね。彼もここで何かしたいのでしょうか?」
解説「いえ、漠然と都会から逃げてきただけでしょう。それでも生き残るという事に関しては、良い判断だと思います」
実況「しかし田舎というのは排他的な地域もあります。果たして彼は馴染む事ができるのでしょうか……?」
解説「……あー」
実況「無理そうですねぇ。次々に協力を断られております」
解説「田舎なら人柄が温かいから助けてくれる、なんて思ってしまったのが敗因でしょう。彼のコミュ力なら想像に難くない結果でした」
実況「残念! そんなに現実は甘くなかった!」
解説「いや~、本当に一人になってしまいましたよ」
実況「本当ですねぇ。今までは実家にいましたが、田舎に飛び出てしまった結果、家族は遠く、弟は大学でエンジョイ、自分は見知らぬ地ですってんてん」
解説「ここからどう逃げるのかが楽しみです」
実況「おや? こちらに向かって合図を送ってきますね」
解説「ルール違反なんですがねぇ……一体何と言ってきていますか?」
「お前らの言う通り逃げ続けたら、俺は何もない人間になっちまった! 資格も友達も、コミュ力も経験も、彼女も機会も! お前らの言う通り嫌なものから逃げ続けただけなのに!」
実況「いや~、聞きましたか。解説さん」
解説「いや~、驚きました」
実況「まさに責任転嫁でしたね」
解説「はい。全ては彼が判断してきた事でしょうに」
実況「何もかも嫌な事から逃げ出して、決断もせず、関わりもせず、そんな人間に一体何が与えられるというのでしょうか?」
解説「何もあるはずがないですね」
実況「唖然とした顔を浮かべてますが、これは?」
解説「自分の人生が上手くいかない事を誰かのせいにできる、と本気で考えていたのでしょうねぇ。実際は自分の人生は自分のものだというのに」
「逃げて良いって言ったじゃないか! 死ぬよりマシって言ってくれたじゃないか!」
実況「猛抗議です」
解説「乱闘騒ぎ寸前ですね」
実況「これはいけません。審判が近づき……あぁ、やっぱりレッドカード!」
解説「一発退場ですね」
実況「彼はこれからこの会場の外へと連れて行かれます」
解説「久々ですねぇ、こんな展開」
実況「さあ、彼はアレとどう向き合ってくれるのか?!」
「何だよ、アレ……」
暗闇の中にぽつんと明かり。そこに浮かぶのはどこからか吊されたロープの輪っか。
「どうしろっていうんだ……死にたくないぞ?」
実況「さあ、最期の選択!」
解説「逃げて逃げて逃げまくった人生の末路。何度見ても面白いものですね」
「面白い!? 人が追いつめられて死ぬのが面白いってのか!?」
実況「たった一つの生命の終わり。それは避けられぬ定め。であるならば、それを正しく観測し教訓とする事がその生命への最大の賛辞なのではないでしょうか?」
解説「全くその通りです」
「俺は! 死にたくない!」
実況「そこから逃げた所で死ぬ事は変わらないでしょう? どっちにしろ人間なんて死ぬもんで、早いか遅いかですよ。ここでこうして自分で死ぬ機会を与えられなければ、あなたはいつまでもダラダラと生き続けるでしょうに」
解説「そうですね。真綿で首を絞めるようにじわじわと焦燥感に襲われていくでしょう。SNSなんかで同級生や見知った顔が幸せそうな顔をしているのを見て嫉妬に狂ったりするでしょうね」
実況「やりたい事もない、何も背負いたくない、人と関わりたくない、無駄に時間を過ごしていたい。そうやって何もしてこなかった人間が天寿を全うできるだなんて思っていませんよね?」
解説「最近じゃ死に方もエンタメです。どうやって面白く死ぬのか、楽しみですよ」
「逃げられないの……?」
実況「もう十分逃げたじゃないですか」
解説「生まれてから今まで逃げ続けじゃないですか」
「……」
実況「さあ。最期くらいは自分で決断して」
解説「あなたが決断しなければ、全てが終わらないんですよ」
「……」
実況「どんな最期を迎えるんでしょうか。私楽しみです!」
解説「叶うならダーウィン賞に選ばれるような面白おかしい死に方をして欲しいですね」
彼は無言のまま、ロープの輪っかに向き合い、そして
彼の人生が終わった。
逃げろっ! 黒井羊太 @kurohitsuji
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