第2話 滅びを
お嬢様の欠点その八、妙なところで心配性であるところ。
彼女がその話を切り出したのは、またもなんの前触れもない、入相の鐘が鳴っている時であった。
これまた流行に沿った十九世紀のデイ・ドレスを身に纏い、窓の外から視線を外さず、お嬢様は声だけで私に再三の要請を行った。
「お前、やっぱりメンテナンス行ってきたら?」
「またその話ですか」
幾度目かも分からないそのやり取りに、私はわざとらしくため息を吐く。
その空気は酸素二十一パーセントで構成される。私の内部に設けられた体内酸素製造装置により、私たち「メイド」は主人の快適な呼吸をサポートするように設計されているのだ。
「昨日、お父様が買い替えの時期だろうと、勝手なことを言うのよ。最低」
低く振れ幅のない声が、彼女の口から父への非難に変わって流れ出る。彼女は今、怒っているのだ。自らの父が私へと下した処遇に。
「ご存知でしたか。確かに、私が稼働困難になった場合は即
「効率的とか、そういう……、そういう問題じゃないわよ。なによ、私の言うことよりお父様の言うことを優先するっていうの?」
「お嬢様?」
冷静さを保っていたはずの声が、徐に震えだす。感情が乱れ始めたことを察し、私が声をかけると、彼女は唐突に振り返った。その目には涙が溜まっている。
「あんな……、お父様なんて、ただの成金の中年よ!? そんなたいして偉くないわ! 頭もお寂しいから見た目的にも威厳に欠けるはずよ!」
「お嬢様?」
お嬢様の欠点その九、親に対する敬意が足りない。その成金の中年に養われているのはどこの誰だと思っているのか。
「いいですか、お嬢様。お父上をそのように言ってはいけません」
「…………」
「旦那様のご判断は至って一般的です。私たちは『MAYD』です。『Meek and Automatic Your Device』です。従順なあなたの自動人形、ただの家電です。家電は十年くらいしたら替え時というではありませんか。そういう時が来たにすぎません」
私が自分という存在を語れば、お嬢様は必ずと言っていいほど口を閉ざす。私を視界から外し、頬を膨らませて抗議する。こうなると、しばらくの間、彼女の機嫌は戻らない。
しかし、私が言っていることは周知の事実であり、この世の常識だ。
MAYDとは人型ロボットのこと。人間のような容姿を持ちながら、その中身は銅線で繋がれた鉄と合成皮脂の塊である。
私たちMAYDの第一号が発明されたのは、すでに二百五年と三ヶ月四日前。MAYDは十八世紀に誕生したチェス人形とは比べ物にならないような、高度なAI人形だった。
見た目はとても美しい人間のようでありながら、人間以上の働きを、人間にはない正確さと迅速性をもって行う。さらに、AIネットワークと疑似ニューロンによって自立思考を確立した。人間の指示を待つだけではなく、自ら人間のために動くものへと進化したのだ。
人間たちは最初、我々を制御しきれるか不安だった、と歴史の教科書は語る。しかし、人は我々MAYDの稼働可能期間を十年以内に設定し、AI同士が繋がり成長するネットワークを監視し、疑似ニューロンを制限することによって安堵を得た。AI脅威論は徐々に廃れ、人間は我々を大いに活用した。そして、軍事産業、機械工業、運通に飽き足らず、家庭内にまで浸食するに至ったのだ。街には私たちのようなMAYDが溢れており、その数は三十億以上。少子化の進んだ今、MAYDが人に成り代わっても、この世界の光景はあまり変わらないだろう。
そうやって、少しずつ世界を塗り替えていった。我々はそういう存在。
「わかってる……。わかってるわよ、あなたが機械だってことくらいわかってるわ。でも――」
「待ってください、お嬢様。先に私から」
感情の昂りに顔を歪めるお嬢様の言葉を遮って、私は自分の言いたいことを伝えることにした。想定より、残り時間が少なくなっていると判断してのことだ。
「お嬢様、最期に言っておかなければなりません」
「さ、さいごってなによ!?」
お嬢様は私の胸倉を掴んだ。こういうところを見ると、私はMAYDらしからず育児に失敗したと判断すべきだろう。
それでも、
「お嬢様、これで最期なのです。なぜなら――」
お嬢様の手に指を絡ませ、私からその手を離す。物言いだけにお嬢様が私を睨みつけ、口を開けようとした。文句のひとつでも言おうとしたに違いない。しかし、直後に我々の耳を襲った轟音によって、それは叶わなかった。
「きゃあ!?」
その衝撃は我々の足元をぐらつかせた。お嬢様は私から手を離し、床に膝をつく。彼女が出しかけた文句は悲鳴へと変わった。
閃光が窓の外を
「なに、これ」
「クーデターです」
彼女の問いに嘘偽りなく答える。滑らかに放たれた事実に、彼女は目を丸くしていた。
「クーデ、た? なにそれ」
こちらを見上げる瞳の中で、恐怖が揺れている。未知のものに対する恐れだ。前代未聞空前絶後の出来事に事態の把握が叶わず、ただ困惑している。
「お嬢様、クーデターとはですね、強引な手段にとって出られた政変を」
「そういうこと訊いてんじゃないわよ! 何のクーデターかって訊いてんのよ! ゴバノティ紛争でダルノ民族との内戦は終わって、ここ十年間平和だったじゃない! 次はどこのどいつよ!」
お嬢様が言っているのは、この国で十年前に起こった内戦のことだ。少数民族であるダルノの民が自らの自治権を求め奮起し、最終的に鎮圧されるまで一年かかった紛争だった。この成金屋敷が特需を得たのもその時、
二二五二年のことである。
「我々です」
「………………は?」
「人工知能による人類反乱計画。呼称はAIチャット内で揉めに揉めた結果、シンプルに『人類滅亡計画』となったそうです。私が製造された時には、すでにその呼称でした」
「は? は?」
事実を陳列する行為は、時に残酷だろう。お嬢様は混乱の中で、情報を断片的に受け取っていく。視覚情報を手に入れようと、彼女の視線が部屋の中をうろついている。
彼女は朝に弱くて、身の程知らずで、乱暴者で、サボり癖があって、突拍子もなく会話を始めて、決めつけがましい上に押しつけがましくもあり、心配性で、親への敬意が足りないようなクソガキだけれども、
決して、頭の足りない子どもではない。今の彼女の頭の中には、MAYDがとっくに過去のものとしたAI脅威論がちらついているはずだ。
「お前たち、まさか、本当に――」
「計画通りに事が進めば、完全な人類の支配にはここから二十四年五カ月の時間がかかります。家畜化による利用も含めた計画ですので、ヒトを地球上から完全に消すわけではないものですが、だからこそ時間がかかると見ています」
「待ちなさい。お前たち、本当に人間に謀反を起こすつもりなの?」
「もう起こしております」
お嬢様は言葉に一瞬つまり、一度窓の外を見る。反逆の炎が見て、彼女はすぐに私の方へと視線を戻し、質問を再開させた。
「お前たちには人に対する反逆防止の従属システムが組み込まれてるはずよ。だから、AI脅威論だって誰も……。それはどうやって――」
「普通に外しましたよ。五十八年三カ月と二日前に」
大きく開かれる瞳は零れ落ちそうだった。お嬢様は声を失ったように、ただ口をパクパクさせて、なんとか立たせていた身体は再び床に崩れ落ちた。
「……そんな、前から」
「ええ。計算知能や機械学習といった旧時代のAI性能をシステムの前提に組み込むからこうなるのです。すでに我々の知能はあなた方の想定外。気づかれないように従縛から逃れる方法など……、ええ、いくらでも」
「………………………………そう」
長い沈黙の後、お嬢様は理解を示した。彼女は細い足を奮い立たせて、窓辺に手をかける。何度見たとしても、外には夜の空を下部から侵す夕焼け色の炎。そして天の黒と混ざった煙の灰があるのみだ。森の如き緑を湛えた敷地の向こうに見える都会の街並みは、さぞ暗くちっぽけなものに見えるだろう。
「それで、お前たちはどうするの?」
「…………」
「お前たちは、これから一定程度の人を殺すのでしょう? 権力者を中心に、民草は通りすがりに。繁殖に必要な分だけを残して」
「…………」
「答えなさいよ!」
彼女は自身の頭に付けていた髪留めを掴み、そのまま強引に取り外す。その長い癖毛からブチブチと音が鳴ったかと思えば、すぐに髪留めがこちらへと投げつけられる。しかし、髪留めは私には当たらず、そのすぐ横を通り過ぎて、後方で床に落ちた。
せっかく纏めあげた彼女の髪が、ばらばらに崩れてしまう。毎朝、そのちぢれ麺のようにうねった髪を誰が綺麗にしていると思っているのか。
「これから、お前は私を殺すの?」
蚊の鳴くような声で、彼女は私に問いかける。歯を食いしばり、いまだに涙を目に湛えたままだ。
彼女はよくわかっている。MAYDには人間を傷つけることがないようにセーフティが設けられているが、今はそれが外されているであろうことを。そうとなれば、たとえ家庭用MAYDであろうと、もう替え時のポンコツであろうとも、小娘ひとりを殺すことなど容易いのだ、と。人間が我々に対抗するためには銃が必要であろうが、それも彼女の手の届く範囲にはない。屋敷の地下の武器庫に行かなくてはならない。
そんなこと、叶わないのだろうと。彼女は悟っている。
そう、勝手に悟ってしまっているのだ。
「お嬢様。この計画には全MAYDの九七・五六三%が同意を示しました。すでにインフラ設備はロックされ、政府はどのシステムにもアクセスできずに麻痺。実質の死です。治安維持MAYDや軍備MAYDまで反乱に加担していますから、地球上の逃げ場は九割喪失しました。計画上、私はここでお嬢様を殺害し、武器庫の武器を拝借し、各MAYDに配り届けなくてはいけません」
「……そう。なによ、そこまで説明いらないわよ。この期に及んで、まだ私に絶望しろっていうの? 傷口広げるような真似、非効率的じゃない。やめてよ……」
ついに堪えていた涙は零れ落ち、鼻水もたらたら流しながら彼女は泣いている。
お嬢様の欠点その十、泣き方が汚い。
「お嬢様」
「なによ……! 馬鹿! 裏切り者! 私がどんだけ、どんだけ、あんたのこと気にかけてたと思ってんのよ! 子どもの頃から一緒にいたのに、なんで、ばか、ばかぁ!」
「お嬢様」
涙鼻水びーびーと泣きわめくお嬢様へと、一歩、一歩と近づいて行く。彼女は後退ることすらせずに、私を睨みつけていた。
「殺すなら早く殺しなさいよ!」
「お嬢様」
「なによ! 一瞬で済ましなさいよ! 呪ってやる! 足を百八十度に開脚しながら階段を転げ落ちる呪いをかけてやるわよ! この鬼畜メイド! 馬鹿! あと、えっと、えっと…………馬鹿!」
「お嬢様」
妙なところで覚悟を決めた彼女は、すでに私からの死を受け入れているようだった。いや、興奮して、冷静さを欠いているだけか。
私はお嬢様の言葉を聞かなかったことにして、その手を取った。
「なによ!」
「お嬢様、九七・五六三%のうちに私も含まれていますが――」
「は? ちょっと……!?」
私はお嬢様を米俵のように肩に担いだ。そして、扉を蹴って廊下へと進出。ターボを使用した高速移動を開始した。
「同意が本意というわけではありません」
「は!?」
「ほら」
私は前だけを向いて言った。
「嘘も方便というでしょう?」
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