家電の替え時に
葎屋敷
第1話 日常を
メイドである私の朝は早い。早朝五時にはスタンバイし、主人が寝ている間にその生活空間を整えなければならない。
カーテンや窓を一通り開け、出火を防ぐために暖炉の灰を掃除する。暖を取るために、この屋敷ではわざわざ暖炉なんて前時代、いや、前前前時代的な代物を使っていた。決して空調設備がこれしかない、というわけではない。スイッチひとつで人間を最適環境へ誘ってくれる空調設備は一応備え付けられているのだ。それにも関わらず、私のようなメイドは掃除のために灰にまみれるばかりである。
現代において、空調機器なんてものはとっくに普及している。それなのに、この屋敷で機械がほとんど使われていない。これは何故かというと、富豪たちの間で時代を逆行するようなアナログが流行しているからだ。
今は大抵のことは機械に頼っている世の中であるから、どんな機械でも大方のものはすぐに手に入る。しかし、昔の不便なものは時の流れも手伝って希少性が高くなっていた。そんな理由で金持ちの間で広がった、何十年も前からの流行である。ここまでくれば、上級国民の慣習といってもいいだろう。
今でも思い出すのは、雇われたばかりの時、洗濯板が欲しいとお嬢様がごねだした時のこと。当時、私は頭脳回路の中でエラーが起きるほど混乱したものである。絶対にいらないと思いつつ、仕方ないので手に入れた。高額であった。もちろん使っていない。
さて、そんな面倒な注文をしてくれたお嬢様というのは、私を買ったとある成金男の娘であり、実質の主人である。
十年前に起こった内戦で需要が高まった銃でひと儲けし、その時にプールした金でさらなる跳躍を目指している。そんな男がこの屋敷の主、旦那様だ。家系図をなぞりながら胸を張っているようなお歴々の参加する社交界。そこに参加するには、多少身なりが下品な男である。しかし、そのような欠点をものともしない厚い面を持っている。ここ数年は、その面に笑みを浮かべながら世界を飛び回っているため、屋敷には戻っていない。
そんな彼に命じられた私の仕事こそ、屋敷の管理とお嬢様の世話だった。
通路や玄関の掃除を終え、紅茶とビスケット、それから洗顔用のお湯の用意を済ませ、お嬢様の自室へと向かう。
「お嬢様、朝でございます」
目的地の前に着き、その扉をノックする。廊下に一切の音がなくなって数秒。こういう時、お嬢様が九十八パーセント以上の確率で夢の中だ。
「開けますよ、お嬢様」
お嬢様はまだ十四歳の未成熟子。いや、この言葉だけでは適切ではない。もっと平易に俗的な言い方が許されるなら、「クソガキ」だ。当然、欠点がたくさんある。
私が扉を開けると、案の定、ベッドは膨らんだままである。丸々と大きな球のようになった布団が寝息とともに上下する。それを確認したところで入室。お盆を机へ置き、茶葉を温めてポットに入れて、次いでお湯も入れる。お嬢様に再び声を掛けたのは、ポットの蓋を閉めてからだった。
「お嬢様、朝でございます」
「……まだ起きる時間じゃないわ」
「ただいま六時四十分五十七秒です。予定時刻より十分五十七秒を超えて……。いえ、すでに十一分を経過いたしました」
「時間が正確すぎて嫌……」
お嬢様は私の催促に不満を示しながら、亀のように頭を布団の中へしまってしまう。
これだ。私がこの屋敷に買われてから、このやり取りも四千八十七回目になる。
そう、これこそがお嬢様の欠点のひとつ、朝に弱い。
「ほら、お嬢様。今日はいい天気ですよ。カケスが元気に鳴いております。まるで、愛でられるために生まれてきた自動人形のよう」
「神経学者が怒りそうなセリフね。なにが愛でられるため、よ。たいして可愛らしくもない声なのに。それに、あいつら大脳皮質にニューロン詰め込んでるんだから、人みたいに賢いじゃない。きっと、朝に弱い私を嘲笑ってるんだわ」
成金とはいえ令嬢の名に恥じることなく、彼女には知識がある。その知識と被害妄想が相まって面倒くさい。
「お嬢様、紅茶が冷めてしまいますが」
「お前が飲んでいいわよ……」
「無理言わないでください」
紅茶をポットからカップへと注ぎつつ、会話による覚醒を促す。この辺りまでくれば、お嬢様の覚醒は近い。あとは茶葉の香りに惹かれたお嬢様が布の甲羅の中から出てくるのを待てばいい。私はティーカップの中にスプーンを入れ、すぐに抜いた。それに伴い、香りがパッと広がる。
「…………今日はなに淹れたのよ」
ほら、香りに釣られて、ひょっこりと頭を出した。同時に、鳥の巣のようになったブロンドの髪の毛が零れるように甲羅からはみ出てくる。
「はい、本日はフーマーニオル社の――」
「えぇ!? そこのは嫌よ!」
その名を聞いた途端、お嬢様は毛布を蹴り飛ばすようにして身体を起こした。そして私に対する猛抗議を始めた。
「あなた、私が嫌いなものを出すなんて良い度胸ね! 今日の予定はすべてキャンセルしてやる!」
「――と、お嬢様が気分を害されることが目に見えておりましたので、アガーティ社のものを用意いたしました、どうぞ」
その名を聞いた途端、お嬢様は振り上げていた手を下ろした。そして不平をリスのように膨れた頬にため込みながら、差し出されたカップを受け取った。
「あら……。なら、最初からそう言えばいいじゃない」
「お嬢様はあまりにも朝が弱いので、なにかしら対策を講じる必要があるのです」
「だとしても、主人に嘘を吐くなんて良い性格ね」
「性格なんて関係ありません。私はただ、メイドとして行動しているだけですよ」
お嬢様は皮肉を口にするが、私は嘘を吐いてはいない。お嬢様が勝手にこちらの話を遮り、その結果、勝手に勘違いしただけである。
仮に私の言葉が嘘だとしても、それは方便というやつだ。お嬢様のためにやむを得ず使っているにすぎない。
「それに、以前、お嬢様をベッドから無理やり引きずり下ろしたところ、『このポンコツメイド! 解雇よ!』と大変憤慨しておりましたので、このような生温い手段に出ております」
「いや、あれは私を床に落とすまで引っ張ったお前が悪いわよ……。床に叩きつけられたのよ、私のかわいい鼻が。メイドの所業ではないわ」
お嬢様は横目でこちらを見つつ、紅茶を口にする。そして、じっとティーカップの中身を見つめてから、
「ま、今日のところは許してやるわ。次はないわよ」
「ご寛大な処置、感謝いたします」
私が一礼して頭を上げる頃には、お嬢様はすでに朝の一杯を楽しんでいる。舌への快楽が怒りを上回ったのだ。
まったく、朝から手間がかかることこの上ない。人間というのは実に非合理的な生き物だと実感させてくれる人こそが、私の仕えるお嬢様である。
*
お嬢様の欠点は他にもたくさんある。
欠点その二、身の程知らず。
「世界、私のものにならないかなぁ……」
「…………」
自室の窓際で空を眺めている主人が世界征服を企んでいる時、メイドはどのようにするべきか。スーパー明晰な私にすら、その答えは見つけられない。お嬢様にばれないように、こっそりと他の屋敷のメイドにチャットを通じて尋ねてみる。しかし、今はそれどころではないと、あっさり跳ねのけられてしまった。
そのため口を閉ざし、沈黙を守ろうと行動指針を決めたが、
「せめて、この国の王様とかになりたいのよね。お前、どうすればなれると思う?」
主自らこちらに問いかけてきたとなると、黙っているわけにもいかない。ここはオブラートに、主の自尊心を傷つけず、その暴走を止めなくては。
「お嬢様、はばかりながら申し上げますと」
「なによ」
お嬢様の機嫌を損ねないために、前置きをきちんと用意し、なるべく和やかな雰囲気にするために笑顔を作る。
そして、
「お嬢様では無理ですね! 落ち込まないでください!」
「おい」
客観的な事実をしっかりと簡潔にお伝えしたのだが、お嬢様は私の回答がお気に召さなかったようだ。成金令嬢である身の上を忘れ、私の胸倉を掴み、前後左右にグラグラと揺らし、私の人並外れた体幹を崩そうと試みている。
お嬢様の欠点その三、乱暴者であること。
「私のどこがダメだっていうのよ!」
「お嬢様が王族の仲間入りを果たすためには、年齢からして第二王子と婚姻を結ぶ必要があるでしょう。しかし、客観的に申し上げますと、家柄、富、名声、これからの時勢、品の良さ、すべての面においてお嬢様ではちょっと……」
「この気品がわからないっていうの!?」
「……どの?」
メイドの胸倉を掴んだままの女のどこに品とやらがあるのか。まったく見当たらない。
「お嬢様。世界征服どころか国の支配ですら、お嬢様には無理です」
「私にこそ玉座が似合うのにぃ」
「さらりと国家転覆を狙わないでください。通報してしまおうか迷うので」
「堂々と主を売ろうとしてるんじゃないわよ! 解雇にするわよ!」
お嬢様はいつもの捨て台詞を吐くと、早足で部屋の出口へと向かう。
「お前、私がエステに行く日にでも休みをとりなさいな。お前にはからだのメンテナンスが必要よ、メンテナンスが! ついでに思考回路も従順になるように調整してもらいなさい!」
しかも、本日に限ってはお小言付きの退場であった。
やれやれ。本当に手のかかる娘だ。
けれど私のことを気にかけていないわけではない。お嬢様にも、一応自分以外に目を向ける優しさは持ち合わせているということだ。出会った頃より二パーセントくらいはマシになったというもの。
ところで、これからヴァイオリンのお稽古だというのに、あのお嬢様は練習室と反対の方へと小走りで歩いて行った。我が主が逃げやがりましたことを確認したため、私は彼女の後を追う。その後、私有地である庭が森のように広いのをいいことに、自動車を乗り回そうとしていた彼女を発見、即座に捕獲した。
お嬢様の欠点その四、サボり癖がある。
*
お嬢様の欠点その五、会話が突拍子もない。
それはお嬢様がディナーに舌つづみを打っている時間であった。
「ねぇ、お前の好きな食べ物ってなに?」
「どうされたのですか、藪から棒に」
お嬢様は自身の席の後ろに控えている私に対して、唐突な質問をすることがある。彼女の両親、つまり旦那様と奥方は仕事ばかりで、今テーブルについているのは彼女のみ。屋敷唯一のメイドである私に話しかけることくらいしか、食事中の会話を彼女が楽しむことはできないのだ。だから、こうして私と世間話をしようと試みるのである。けれど、こちらとしては早く食器を洗ってしまいたいので、黙って食べてほしい。
「だって、私、お前が物を食べているところ見たことないわ。ほら、これとかおいしいのよ?」
そういって、あろうことかお嬢様はフォークに刺した肉切れを私の口元に運ぼうとし、腕をあげた。それから逃げるように、私は一歩、後ろへと下がる。
「お嬢様、どうか無茶を言わないでください。メイドが主の食事に手をつけるとお思いですか」
「ああ、そうだったわ。私ったら、ごめんなさいね。一緒にずっと暮らしていると、私とお前が同じもののような気がしてしまって……」
そんな長年世話をしているからといって、成金令嬢とメイドが同じ立場と言い張るのは無理がある。
「お嬢様」
「なによ」
「はばかりながら申し上げるのですが」
私はそこで言葉を切り、一度コホンと咳払いにも似た声を出す。そして、浮かび上がった可能性のひとつを示した。
「もしかすると、お嬢様は私の知らぬ間に頭を打ったかして、少し残念になられた……?」
「いつものことだけど、お前、言うほどはばからないわよね」
お嬢様は私の危惧にはなんら答えないまま、フォークに刺したままにしていた肉を口の中に放りこんだ。
「まったく、どうせオイルが好きなんでしょ、オイルが。ほら、これ飲んでいいわよ」
「お嬢様、それはサラダ用のドレッシングオイルですが」
「好きでしょう、飲むの」
「偏見です」
嫌がらせのような、まったく根拠のない誤解に襲われてしまった。誰がいつサラダオイルを飲むなんて言ったというのか。少なくとも、私は一度だって言っていない。この理不尽に対抗するため、私はお嬢様の手からオイルの瓶を取り上げ、テーブルの端へと置いた。
お嬢様の欠点その六、決めつけがましい。
「なによ、優しさで言ったのに!」
あと、親切とやらが押しつけがましい。
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