第56話 祝・慶老と町会の配りし茶の小袋を仏壇へ供ふ何とはなしに
「祝・慶老と町会の配りし茶の小袋を仏壇へ供ふ何とはなしに」―。
両親が健在だったころは、町内会による敬老会の案内が届いたり、赤飯だとか紅白の饅頭だとか配られたりしたような記憶がある。
そんなことで、お茶の小袋を仏壇に供えてしまう。
自分宛てだったのに…。
◇
大正生まれの父が戦争からもどって母と結婚。
そしてベビーブーマーとして私が生まれたから、父とは30歳以上の差があったはずだ。
…であれば、父に敬老の祝いが届き始めたのは、私が40代のころだ。
当時の父は「だれがそんな年寄りの集まりに行くか」と意地になっていたようにも見えた。
◇
1990年代、75歳以上人口の割合は5%超だった。
それが今や20%以上で、70歳以上まで広げると30%近い。
そのうち、お茶の小袋さえ届かなくなるのだろう。
ベビーブームに生まれて「団塊世代」と呼ばれ生き抜いてきた我ら〈同期の桜〉は、今や〈散り始め〉から〈葉桜〉の間くらいだろうか。
◇
茶袋に巻かれた熨斗(のし)に印刷された「祝・慶老の日」の文字が、少しだけ気になる。
https://kakuyomu.jp/users/hyakuenbunko/news/16817139559170501570
「敬老の日」の単なる変換ミスだったのか。
まぁ「お祝いしていただいく」ということなら、どっちでもイイのかなぁ~。
(20220924)
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