番外編 クローヴェルの婚約  コーデリア視点

 私はコーデリア・アルハインと申します。アルハイン公爵であるオーギュスト・アルハインの妻です。


 私の実家はセペデラン公爵家といって、スランテル王国で代々宰相職を務める家柄です。私はそこの長女でした。


 公爵家というのは王族に次ぐ家柄です。大体王族が臣籍に下がって興る場合が多いですね。セベテラン家もスランテル王国王家と強い血の繋がりがあります。


 アルハイン公爵家への嫁入りが決まった時、正直に申しまして、私は少しがっかり致しました。というのは私は自分が王家に嫁入りするものだと思っていたからです。それが同格の公爵家への嫁入りとは。私は親に自分が疎かに扱われたのでは無いかと疑ったほどです。


 しかし、アルハイン公国に来てみましたら、驚きました。何しろスランテル王国の王都よりも大きくて活気のある都市が、アルハイン公国の公都なのだというではありませんか。


 聞けば、アルハイン公国は公爵領であるものの、スランテル王国よりも大きく豊かなのだということでした。軍事力も大きく、近年とみに帝国における存在感を増しているので、関係を重視したスランテル王国が宰相家長女たる私を嫁にやったのだという事でした。


 それなら王族に嫁ぐよりもよほど良いわけです。しかも夫になるオーギュストは、現在こそ少し太ってしまいましたが、当時は非常な美男子でした。私は故国の父母に深く感謝致しましたよ。


 そういうわけで私はアルハイン公国公妃となり、豊かな国の公妃として幸せに暮らしてきました。年に一度か二度は帝都に上がり、帝都の社交界にも出ましたよ。アルハイン公国の公妃ともなればほとんど王族と同等の扱いを受けます。下手をするとあまり栄えていないスランテル王国の王家の方々よりも尊重されたくらいです。


 夫は公爵家を継ぐと、まず堅実に農業産業を振興し、軍を整え、軍を率いて東の遊牧民やガルダリン皇国を何度となく打ち破りました。アルハイン公爵家は騎士の家系で、尚武の家です。夫も、息子たちも武芸に励み、自ら軍を率いて戦ったのです。


 私には四人の子供が生まれました。三男一女です。長男のエングウェイ、次男のホーラムル、長女のムーラルト、そして末の三男クローヴェルです。


 これに加えて、夫の愛妾の産んだ子供で、愛妾の死後に養子として引き取ったグレイドがいます。扱いとしてはグレイドが三男でクローヴェルは四男ということになります。全員無事に成人まで育てる事が出来ましたので、妻として母としての役目はしっかり果たしたと言ってもよろしいでしょう。


 どの子も私にとっては可愛い子供(養子のグレイドもです)ですが、クローヴェルは末っ子であり、病弱で手が掛かった事もあり、特に可愛がっておりました。


 私の子供は皆、父親に似て健康で頑健に育っていますのに、ただ一人クローヴェルだけは妙に虚弱体質に出てしまったのです。幼少時からしょっちゅう熱を出して寝込み、心配した私は乳母と二人で付きっきりで看病したものです。


 貴族の子供はほぼ乳母に育てられ、母親とは親密な交流を持たないものなのですが、熱を出した時に懸命に看病したためか、クローヴェルは私に非常に懐いてくれて、それで私もこの子が特別可愛くなってしまったのです。


 クローヴェルは幼少時は女の子のように可愛く、成長するに従って私にそっくりになっていきました。他の兄弟は父親の血と訓練とでがっちりした体格になったのですが、クローヴェルはあまり運動をしないためにほっそりしています。


 クローヴェルはとにかく虚弱でしたから、私や乳母だけでなく従僕や侍女にも苦労を掛けて育ちました。そういう子供は甘ったれになり、我儘になる事が多いです。私はそうさせないために、彼に常々こう言い聞かせました。


「貴方は他人に頼らなければ生きて行けないのですから、常に周囲の者に感謝して生きなければなりませんよ」


 クローヴェルは私の言う事を聞いて、周囲の者に何かをしてもらった時は「ありがとう」ときちんとお礼を言うようになりました。それだけでなく、クローヴェルは他人の事をきちんと見る人間に育ちました。人を悪く言わず、良い部分は素直に褒める事が出来、他人を気遣う心優しさを持った少年に育ったのです。


 私としてはそのような子に育ってくれて満足していたのですが、アルハインは尚武の家系です、夫もクローヴェルの兄たちも、クローヴェルの優しさを惰弱と看做しました。特に次男のホーラムルはあからさまにクローヴェルを馬鹿にして虐めましたので、私が気がついた時には厳しく叱りましたよ。


 さて、クローヴェルが十五歳の時、隣国であるイブリア王国の王女殿下であるイリューテシア姫が、婿取りのお見合いのために我が公国にやってくることになりました。これには少し複雑な事情があります。


 イブリア王国はアルハイン公爵家の旧主でした。そもそもイブリア王国が皇帝陛下に反旗を翻し帝国軍によって討伐された時に、当時の国王を拘束して帝国軍に降伏し、その功によってイブリア王国の旧領を賜って始まったのがアルハイン公国なのです。


 そのせいで当初イブリア王国とアルハイン公国の間は険悪だったそうで、今では大分マシにはなりましたが、まだ少しの緊張関係が両国の間にはあるそうです。


 名目上はその緊張関係を解消するためにイブリア王家に婿を出したい、と夫は申し入れたのです。しかしながら実際は違いました。実力は既に帝国でも一二を争う国に育ったアルハイン公国にイブリア王国の権威を取り込みたいというのが、今回の婚姻の狙いだったのです。


 というのは、アルハイン公国は実力は帝国屈指になったにも関わらず、国主が公爵であるために帝国七王国よりもどうしても一段下の扱いを受けていたからです。帝国全体の問題を話し合う竜首会議には公爵だから出られず、そのくせ竜首会議で決まった事については協力を要請されるのです。皇帝陛下以下、王国の国王達が決めた事ですから逆らえません。逆らえば帝国の敵と認定され、下手をすれば帝国上げての討伐を受ける事になるでしょう。


 なんとも馬鹿馬鹿しい話です。この状況を打開するためには、公国に権威を付け足すしかありません。そうですアルハイン公国に弱小国に成り下がっているイブリア王国を取り込むのです。そうすれば帝国からの無茶振りはイブリア王国の名前とアルハイン公国の実力で突っぱねられます。


 イブリア王国は今や零細国家とはいえ、これを力で押し潰して名前を奪うわけには行きません。王家は血統と正統性によって成り立ちます。簒奪をしてしまった場合、帝国の他王国は絶対にアルハイン家の王位を認めないでしょう。逆に討伐の絶好の口実になってしまいます。


 それを防ぐには、アルハイン家がイブリア王家であるブロードフォード家から正統を引き継ぐ形で王位を継承しなければなりません。アルハイン公爵家は元々王家の分家ですし、代々近隣の王族か高位諸侯と婚姻を結んでいますから、王家の血がかなり濃いので血統には問題が無い筈です。国家の実力も十分ですから、後は他王国が納得出来る形で王位を継承するだけです。


 それにはやはり婚姻政策と言う事になります。イブリア王国の現国王、マクリーン三世陛下には一女がある事は知られていました。ですから、夫はまずマクリーン陛下に我が家の息子の誰かを婿入りさせようとしました。これはクローヴェルがまだ七歳くらいの頃です。


 ところがマクリーン三世陛下の元に送った使者曰く、陛下は困ったようなお顔をして返答を避けたとの事。どうも使者の見るところによれば、姫君がいらっしゃるご様子が見受けられない(イブリア王国の王宮は狭いので、小さい子供がいれば気配くらいは分かったのではないかとのこと)らしいのです。


 これはどうも、姫君は幼くしてお亡くなりになったのではないか、と思われました。珍しい話ではございません。マクリーン三世陛下には他にはお子がいらっしゃいませんし、お妃様はかなり前に亡くなっておられ、もう五十歳を超えている筈の国王陛下には後妻もいらっしゃらない筈です。


 夫は、これは好機ではないか? と考えたようでした。婿ではなく養子を入れる事が出来れば、婿を入れるよりもずっと自然にイブリア王国を乗っ取ることが出来ます。例えば長男のエングウェイを養子に入れられれば、アルハインの家は次代から王家になります。家名は変わってしまいますが。


 夫は早速、イブリア王国へ働きかけを始めました。早くしないとマクリーン三世陛下が他王国の王家から養子を迎えてしまうかも知れません。イブリア王国への働きかけと同時に、他国への牽制も行いました。帝都の社交界で、アルハイン公国はイブリア王国と血縁を結びたいと強くアピールしたのです。マクリーン三世陛下はここ何年も帝都にお越しではありませんが、帝都に情報源はお持ちでしょう。アルハイン公国がどうしてもイブリア王国と血縁を持ちたいという意向は伝わっていると思います。


 この活動の甲斐あって、イブリア王国が他国から養子を迎える様子は見られませんでした。後はイブリア王国に圧力を掛けるだけです。イブリア王国はアルハイン公国と交易を行い、食料を輸入しています。イブリア王国の食糧自給力は低いでしょうから、アルハイン公国との交易が止まると困るはずです。その辺を匂わせながら、マクリーン三世陛下と交渉を行います。


 しかし、イブリア王国のマクリーン三世陛下と言えば、ちょっと前には帝都でくせ者切れ者として名を馳せた人物です。小国である事を利して他国に警戒心を抱かせずに交渉出来る事から、各国の利害調整に暗躍したのです。そんな方との交渉ですから一筋縄ではいきません。陛下はのらりくらりとこちらの要求を交わし、返答を先送りにし続けました。


 夫は苦い顔をしながらも、既に外堀は埋めてあるのだから、時間が掛かってもこちらの勝ちは動かないと考えていました。跡継ぎが無ければ困るのはマクリーン三世陛下も一緒です。他国には釘を刺してありますし、アルハイン公国の意向を無視すれば公国との交易が止まってしまうのですから、マクリーン三世陛下も最終的にはこちらの意向に従わざるを得ないと考えていたのです。


 ところがです。クローヴェルが十二歳か三歳の年、突然、イブリア王国から「姫との見合いの話なら考える」というような話が伝わって来たのです。夫も私も驚きました。今更どこから姫君が出て来たのでしょうか。


 アルハイン公国も馬鹿ではありません。今までに何度か送った使者の報告で、イブリア王国にはやはり姫君はいない、という確信を得ていました。それは、例えば王宮では無く郊外の離宮などでお育ちの可能性は無いとは言えませんけども。慌ててもう一度使者を送ると、なんと今までいなかった筈の姫君、イリューテシア姫がドレスを着てすましてご挨拶なさったそうです。


 これは、急遽王国の王家の近縁の家から養女を取ったに違いありません。恐らくですが、アルハイン家に王家を完全に乗っ取られるのを避けるためだろうと思われます。婿を取った方が養子を迎えるよりもブロードフォード家の影響が残し易い事は言うまでもありませんからね。


 そんなの偽王女だ、とは言えません。証拠がありませんから。夫は仕方なく作戦を養子入りから婿入りへと切り替えました。元々婿入りを最初に考えていたのですから、大きな問題ではありません。周辺の事情は変わらないのですから、イブリア王家はアルハイン公爵家から婿を取るしか無いのです。


 しかしながらこちらもなかなか話は進展しませんでした。マクリーン三世陛下はやはり姫には他王家から婿を迎えたいのだと渋り、交渉をだらだらと引き延ばしました。一体何が目的なのでしょうか? 婿を迎えるなら早いほうが良いと思うのですが。おかげで、婿入りの話が始まった時に「私がイブリア王国の王になるのだ!」と張り切って、決まり掛かっていた結婚を保留にしてまでお見合いを待っていたホーラムルは待ちぼうけを食わされています。


 ホーラムルの意向もありますが、愛妾の子であるグレイドや病弱なクローヴェルよりもホーラムルの方が婿に出すには適当だと考えていた夫も困り、辞を低くして、とりあえずお見合いだけでもしませんか? というような打診をマクリーン三世陛下にして、クローヴェルが十五歳の年にようやくやっとの事でイリューテシア姫の来訪が決まったのでした。


 ようやく決まったお見合いでしたが、あれほどアルハイン公爵家からの婿入りを渋っていたマクリーン三世陛下ですから、まだまだ安心は出来ません。お見合いだけして「やっぱりアルハイン公爵家から婿は取れない」などと断られる可能性があります。この場合、お見合いまでやって駄目だったのならと、他王国から横やりが入る可能性は十分にあります。そのため、断らせないように色々な用意をいたしました。


 まずお見合いにホーラムルだけでは無く、グレイドとクローヴェルも出す事にしました。イリューテシア姫に選択肢を与えるためです。選択肢が無いと「押しつけだ」と反発される危険性が高くなりますからね。


 そして、帝都から「竜の手鏡」を取り寄せました。この鏡は、王家の血を引く者が顔を写すと光るもので、王家同士での婚姻で血統の証を立てる時に使われます。実際、試しにアルハイン公爵家の皆で使ってみたところ、全員が銀色のぼんやりとした光を浮かべる事が出来ました。母親が子爵家の者だったグレイドの光が一番弱かったですね。恐らく、王家の方ですともう少し強く光るのでしょう。


 この鏡をイリューテシア姫に使って貰うのです。私たちはイリューテシア姫は養子であると踏んでいました。それは、全く王家の血を引かない家から養女を迎えるとは思えませんが、それにしても純粋な王家の方よりは七つ首の竜より引き継いでいるという王家の血は薄いでしょう。良くても私たちと同じくらい、恐らくそれよりも淡い光になるものと思われます。


 それを確認したら「王家の方よりも光が弱いでは無いか!」と騒ぎ立てます。血統の正統性に疑問を呈する訳ですね。あからさまに養女であろうと論難するよりも効果的なクレームになるでしょう。イブリア王国側も養女である事実を公にしたくは無いでしょうから、その弱みを盾に取ればこちらの要求を受け入れるしかなくなると思われます。


 そうやって準備を整え、手ぐすねを引いて私たちはイリューテシア姫の来訪を待ち受けたのですが、その姫君がまさかあんなトンデモないお方だとは私たちが知る筈も無かったのです。


   ◇◇◇


 イリューテシア姫が到着なされ、私は謁見室で待ち受けました。本来は私は公妃ですから、公妃座に座って来訪者を待ち受けるのですが、今回はお客様が上位の王族です。ですから椅子は一つで夫だけの席とし、私は椅子のすぐ横に立って待ちました。夫も座らず姫の後に入場するようにしたようです。


 そうしてイリューテシア姫君をお迎えしたのですが、これがまた驚きましたね。


 大扉を恐れ気も無く潜って入場したイリューテシア姫は、これがもうあからさまに尊大な、こちらを見下した態度だったのです。普通、貴族女性は軽く目を伏せて歩きます。ところがイリューテシア姫は傲然と顎を上げて微笑みを浮かべ、こちらを紫色の瞳で見下ろしています。


 臨席した諸侯貴族達が思わず黙りました。イブリア王国の田舎姫君がどんなものかと笑っていた彼らもイリューテシア姫のただ事では無い迫力に押されたのでしょう。古くさいドレスと貴族にしては非常に珍しいショートヘア。宝飾品も豪奢ですが古いもので、さして格好は何という事もありません。ですからこの迫力はご本人の資質によるものでしょう。私は内心舌を巻きました。そして、お見合いの難航をこの時点で予測いたしましたよ。この方は簡単に私たちの思う通りに出来る方では無さそうです。


 そして更に大問題が起こります。私たちの切り札。王家の血を証明する竜の手鏡を、イリューテシア姫が面倒くさそうに手に取ってお顔を写した瞬間、鏡が盛大な金色の光を放ったのです。謁見室が響めきましたし、私も夫も驚愕です。


 鏡が金色の光を放つのは「竜の力」を持つ者の姿を写した時だけだと聞いております。竜の力、すなわち王家の力です。あんなに盛大な金色の光を放ったイリューテシア姫は、もう間違い無く王家の姫君なのだということになります。そんな馬鹿な、と思いますけどそうなのです。たとえ養女であったとしても、金色の竜の力の持ち主こそ王であるという考えからすれば、イリューテシア姫こそ王族の中の王族だという事になってしまうのです。


 これでは難癖を付けるどころではありません。夫は頭を抱えてしまいましたね。事前の計画は全て吹き飛びました。しかしながら相手が真の王家の姫であればこれはもう何をどうしても婚姻を成立させなければなりません。夫はホーラムル、グレイド、クローヴェルに発破を掛けていました。


 しかしながらイリューテシア姫はやはり唯々諾々と男性に従うような性質では無いようでしたね。私は自分の侍女を息子達と姫のお見合いの席に付けて、様子を報告させました。


 すると、どうもホーラムルはイリューテシア姫にしきりと自分の優秀性や功績をアピールし続けたそうで、姫はお見合いの途中から明らかに退屈そうなご様子だったとのこと。私は頭を抱えました。あの子は非常に努力家でその分自信家で、親の目から見ても自信過剰が目に付くことがありました。自信満々な態度は男に導かれたいと願っているような女にであれば効果的ですが、自立心の強い女性には敬遠されてしまうでしょう。そしてイリューテシア姫は明らかに後者です。


 グレイドとのお見合いは、それほど雰囲気は悪くなかったとの事でしたが。こちらは明らかにグレイドにやる気が無さそうだったとのこと。無理もありません。この頃グレイドは後の妻であるフレランスに熱烈に求愛しているところで、ようやく少しずつ振り向いてくれていると喜んでいたところだったのです。お見合いなどしてフレランスに振られたら泣くに泣けないと思っていた事でしょう。


 どうにも、我が家の息子どもはこのお見合いの重要性が分かっていないのでは無いか? と思わざるを得ませんでしたね。


 残るはクローヴェルだけな訳ですが、いかに可愛いクローヴェルとはいえ、母である私としても病弱な彼はお勧めとは言い難いです。それに、すぐに熱を出すようなクローヴェルを山奥のイブリア王国に送り出すのは私が心配です。ですがとりあえずはお見合いに向かわせるしかありませんね。クローヴェルが駄目なら、なんとかイリューテシア姫と交渉してホーラムルを婿にねじ込む方法を考えましょう。恐らく多大な引き換え条件を要求されると思いますけど。


 ところが侍女の報告曰く、クローヴェルとイリューテシア姫のお見合いは大変良い雰囲気で、明らかに姫はクローヴェルに好感を抱いた様子だったとの事。何でもお互いに本が好きで意気投合して、二人で図書室で楽しく本の話をしていたそうです。そ、それは朗報です。そして、どうもクローヴェルの方もイリューテシア姫に非常に強い影響を受けたそうで、部屋に戻る時にはなにやら目の色を変えて考え込んでいたそうです。


 私はその報告を聞いてちょっと複雑な気分でした。もちろん、お見合いが成功すれば公国のためには良い事です。しかし、母としては病弱なクローヴェルを手放したくありませんし、縁談を保留にしてまでこのお見合いに賭けていたホーラムルが可哀想とも思います。しかしながら同時に私は感心していました。イリューテシア姫にです。


 あの方は的確に自国のためになる相手を選んだと思ったからです。アルハイン公国が今回の婚姻で、イブリア王国を取り込もうとしている事など分かり切った事です。そのためには婿はホーラムルが望ましいです。あの子は能力も功績も十分ですし、実績も積んでいます。イブリア王国に乗り込んだら実力で王国を支配出来る事でしょう。しかしそれはイブリア王国に取っては歓迎出来ない事でしょう。


 それに比べて若く、実績も無いクローヴェルならいきなり王国を支配する事は出来ません。病弱ですから無理も出来ません。イブリア王国にとってはホーラムルよりも都合の良い婿なのです。恐らくイリューテシア姫はそこまでちゃんと考えてクローヴェルを選んだのです。


 翌日、私は夫より、イリューテシア姫がクローヴェルを選んだ事を聞かされました。予想していた事とは言え、私は可愛がっているクローヴェルを失う事が悲しく、そしてあの頼りない子が国王になどなれるのだろうかと心配になりました。


 すると、夫は言いました。


「心配しなくても良さそうだ。クローヴェルはどうも姫に影響されて、すっかり自信を付けたようだから」


 驚く私に、夫はクローヴェルが婿入りに際して夫が付けようとしたお目付役を断ったと言いました。護衛名目で送り込もうとした軍の同行も断ったと。


「どうにも困ったものだが、あいつは既にイブリア王国の将来の国王として振るまい始めている。あの軟弱なクローヴェルにしては上出来では無いか」


 アルハイン公国としては、クローヴェルが頼りなければお目付役を付けてイブリア王国の内政に干渉したいところです。軍も同様です。イブリア王国を将来的に取り込むには必要な処置です。それをクローヴェルはイブリア王国のためにならないと断ったというのです。いつも通りの柔らかな笑顔で、しかし断固として夫の言う事を受け入れなかったといいます。なんとまぁ。あの気弱なクローヴェルとは思えない仕業ではありませんか。


 そして、クローヴェルはホーラムルの恫喝もはね除けたそうです。その時に「もう母には報告した」と言ってホーラムルを黙らせたのだとか。もちろん私はクローヴェルから報告など受けていませんよ。はったりです。クローヴェルにそんな事が出来ると思わなかった私はこれにも驚きましたね。


 実際、すぐ後に私に報告に来たクローヴェルは見違えるほど表情に覇気が出て、しっかりしていました。ほんの数日で別人のようです。私がそう言うと、クローヴェルはそれはそれは幸せそうに、誇らしげに笑いました。


「私は世界一の女性に、兄二人を差し置いて選ばれたのです。それが自信になっているのですよ」


 なんとも、驚くしかありません。夫と私は話し合い、しばらくはクローヴェルの思うようにやらせてみる事に決めました。私はクローヴェルの変わりようが寂しいながら嬉しかったですし、夫も軟弱すぎて心配していた息子が見違えるようになった事が非常に嬉しいらしく、アルハイン公国にとっては多少マイナスになろうとも、クローヴェルに任せようと仰いました。それに、息子を婿に入れて国王にする事には成功したのです。イブリア王国をアルハイン公国の権威的な裏付けにする計画は達成出来たと言って良いでしょう。


 ただ、夫は言いました。


「あのイリューテシア姫には下手に手を出さない方が良さそうだ。何をしでかすか想像も付かない」


 アルハイン公国の国主として武勇にも権謀術数にも長け、実績も十分。その分自信家で他人を見下して扱う事の多い夫が、イリューテシア姫には一目置いたようです。王族の姫とは言え、田舎の何の実績も無い小娘です。夫までが警戒する理由が分かりません。興味が沸きました。


 私はイリューテシア姫と二人で会ってみる事に致しました。



 あまりに遠くて、私はイブリア王国で行われるクローヴェルの結婚式には出られません。ですから、婚約披露宴を結婚披露宴に代える事にしました。そのためのドレスを作るために、イリューテシア姫の採寸をしようという口実で、彼女を私の部屋まで招いたのです。


 イリューテシア姫は全く緊張した様子も無く、優雅に私の部屋に入って来ました。採寸を終えて私は彼女をお茶に招きます。イリューテシア姫のお作法はほとんど完璧で、微笑みも優雅、所作も美しく、王族の姫君らしい雰囲気をその身から漂わせていました。私は内心舌を巻きます。情報が正しければこの娘は養女で、しかも公都に来てから社交界に初めて出た筈です。とてもそんな風には見えません。


 そして義理の母になる私に対しても緊張した様子は見せません。私だって嫁入りした後は、義理の母である前公妃様に会うのは若干気が重かったというのに。


 特にその目ですね。アメジスト色で大きい瞳。その瞳は全く恐れ気も無く、真っ直ぐに私の事を見つめます。その得体の知れない眼光は私の頭の中まで見通すようで、私は寒気を覚えました。こんな貴族婦人には会った事がございません。確かにこれは、夫が彼女を恐れるのも無理はありません。


 私は内心の怯みを隠して、イリューテシア姫とお話しました。姫は明るくコロコロと楽しそうにお笑いになりますし、実に幸せそうでした。クローヴェルと婚約出来て嬉しいのだと仰いましたね。実際、婚約後に毎日デートをしている二人の様子はまったく恋人同士にしか見えない、と侍女から報告を受けております。


 私はイリューテシア姫に、どうしてホーラムルでは無くクローヴェルを選んだのかと尋ねました。私はイリューテシア姫がクローヴェルを愛している素振りが演技では無いかと疑っていたのです。冷徹に、アルハイン公国の影響力をなるべく受けない事だけを考えてクローヴェルを婿に選んだのでは無いかと。そうであっても文句は言えませんが、母としてはクローヴェルが疎かに扱われるような婿入りはさせたく無いと思ったのです。だから姫の真意が知りたいと考えたのでした。


 すると、イリューテシア姫は少し目を細めます。私の背筋に冷たいものが伝いました。私の考えが見透かされたような気が致しました。


「私にはホーラムル様は合わないと思ったからです」


 意外な言葉でした。姫は「私には」と仰いました。普通、王族が政略結婚の相手を選ぶのですから、個人の感情は置いて、国家に一番ふさわしい婿を選ぶべきではありませんか。それなのに姫は「私」を優先したのだと言いました。私は思わず言いました。


「国にとってはホーラムルの方が役に立つのに?」


 しかしイリューテシア姫はこれを明確に否定します。


「そうとは思いません。ホーラムル様は我が国の王になりたいのであって、私の夫になりたいわけでは無さそうでした。あれではあの人が我が国に来たら、国民と軋轢が生まれるだけだと思います」


 これは……。私はそのイリューテシア姫の自信に驚きました。「我は国家である。国家は我である」とは王の心得として広く知られています。イリューテシア姫の言葉は明らかにその心得を表しています。


 自分の気に入らぬ者は、国家も気に入らない。そういう絶対的な自信が無ければこんな発言は出ません。彼女がいかに国民を慈しんでいるか、いかに国民が彼女を敬愛しているか、それがにじみ出るような発言ではありませんか。


「我が国に必要な王は、お父様と同じように国民の意見を受け入れて、国民と共に国を運営していけるような人です」


 更にイリューテシア姫はこうも言いました。これも彼女がイブリア王国を率い導いて行く、強い自覚と覚悟を表していました。私は夫がイリューテシア姫を強圧的に従わせようとするのを諦めた理由を悟りました。彼女の機嫌を損ねれば、イブリア王国は彼女の元に団結して、火の玉のようになって最後の一人までアルハイン公国に反抗するでしょう。


 私はイリューテシア姫に圧倒されつつも、気がかりな事を尋ねました。


「クローヴェルならそれが出来ると?」


 私の可愛いクローヴェルですが、彼はどうしても病弱ですし、経験も浅いです。気も弱くていつも私に甘えていたのです。そんな子に国王など本当に務まるのか。見違えるように自信に溢れていたクローヴェルを見てもなお、私には不安だったのです。


 しかし、イリューテシア姫は顔をほころばせました。そして我が事のように誇らしげにこう言ったのです。


「クローヴェル様は人のお話に耳を傾けられる人だと思いました」


 それを聞いて、私はクローヴェルを婿に出す覚悟を固めましたよ。この娘にならクローヴェルを預けられる。この強く気高い姫なら、クローヴェルを遙かに高く遠いところまで導いてくれるに違いない。私はそう思ったのです。それは母として寂しい事ではありましたが、同時に心がワクワクする素晴らしい事だと思えましたね。同時に、彼女と手を携える事が出来ればアルハイン公国の未来も大きく広がるに違いないとも思いました。


 そうして婿に行ったクローヴェルが、まさか私の想像を遙かに超えたところまでイリューテシア姫と共に飛んでいってしまおうとは、この時の私は知る由も無かったのです。


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