2章 悪魔と過ごす日々③
「畑を借りたい?」
後日、すっかり回復した女の子が家に帰った日の午後、久しぶりの土いじりに
「はい。ここからそちらまで」
「それは構わないけど……」
ネリネの全身には、無数の
「一人で取りに行ったのか、危ないじゃないか」
「大丈夫です、毒草は交じっていません」
そうじゃなくて、とぼやく神父をよそに、ネリネは空いている
「また薬草かい?」
「はい、この国ではあまり知られていない民間
ネリネは手にした薬草の簡単な効能を口頭で
「教会である程度これらを育てておけば、
「なるほどね。しかし、この前も思ったけどずいぶん
額に
「産みの母親に教えて貰いました。母は他国からこの国に流れてきたらしいのですが、植物に関する
ネリネは、
エーベルヴァイン家に引き取られたばかりの頃、ついその疑問点を養父にぶつけてしまったことがあった。当時は自分も立派な聖女になるんだと張り切っていたものだから、得意げになって薬草知識を
──そんなうさん
お前のそれは教会の信用を
「今回思い切って試してみてよかったです。あの子の命を救うことが出来ました」
「お母さんは、
「はい。人間はもちろん犬や
ここまで言ってハッと我に返る。
「なるほど、君が聖女候補として選出される前の話か」
「あ、あの」
「しかし神父の私が言うのも何だが、おかしな話だよ。先代聖女が死んだ直後に生まれた女の子が次の候補者だなんて。なあ、君はいくつの時に貴族家に引き取られて──」
ザクッと、とっさに移植ゴテを地面に
「そ、そんなことより、ここの管理はわたしがやるのであなたは
そのまま横にザッと引いて境界線を作る。精いっぱい
「ここからこっちは立ち入り禁止です。悪魔に
「傷つくなぁ、そんなことしないよ」
「しないってことは、やろうと思えばできるってことですか?」
「さぁ、どうだろうね」
「ちょっと」
へらりとはぐらかした悪魔は自分の
「いいじゃないか、私の花が心を
「思わないです、お断りします」
「おやおや、信用されないなぁ」
ゆるやかな風が
泥だらけになってまで女の子を助けたことが広まったのか、
以前は商店街を歩くだけでヒソヒソと声が聞こえてきたものだが、ここ最近はそんな気配も消え去り、
そのうち、
「ネリネ、お茶会をしよう!」
そんな事を考えながら教会に一歩足を
「お茶会、ですか? それはまた急に何で……」
勢いに押されて一歩
「教会行事で
「は、はぁ」
生返事で回答を
「裏庭の
来てくれると信じて疑わない表情に押し負ける。一つ
「仕方ありませんね、いいですよ」
焼きあがったばかりのクッキーを眼前に広げたネリネは、満足そうにむふーと鼻から息を漏らした。レシピだけを
(あとはこれに合うような紅茶とお砂糖、それとミルクを用意しても良いかもしれない)
白くて平たい皿に移し替えて、ティーポットとカップもまとめてトレーに
「わぁ……」
そして会場に着いたネリネは思わず声を上げた。そこは教会の裏庭にある一角で、咲き乱れる薔薇の生け
「いつの間にかこんなに咲いていたなんて……知らなかった」
テーブルにクッキーを置いて見回す。
「どうだい、なかなかのものだろう」
「はい、ちょっと感動してます……」
そうして、教会の
「そういえばジルもお茶会が好きでした。この茶葉も生前彼女から頂いたものなんですよ」
「へぇ、ライバルと言うからにはもっとギスギスしてるものかと思ったけど、交流があったのか」
「ギスギスだなんてとんでもない。彼女はぽっと出のわたしに対しても本当によくしてくれました」
思い出すと嬉しくなって、大好きな彼女のことを語り出す。
彼女は名門
「本当に非の打ちどころがない人で、聖女ってこういう人を指すんだろうなって思いました。ミュラー家にもよく招いて頂いて、お父様もお母様もお兄様も、
そういえばミュラー家の庭にも薔薇園があって、同じようにクッキーとお茶を楽しんだ
手元のソーサーにカップをカチャと置いたネリネは、そこで少し声のトーンを下げた。
「だからこそ、そんな彼女がどうして身投げなんてしたのか、今でもわからないんです」
向かいで楽しそうに
「何かきざしは無かったのか?」
「さぁ……その頃はもうすぐ
またカップを持ち上げて、少しだけ残っていたミルクティーを流し込む。話している内にすっかりぬるくなってしまったそれは、今の
「でも、会うたびに表情は暗くなっていた気がするんです。最後に遠くから見かけた時、『ごめんね』と口が動いたように見えて」
「……」
楽しかったお茶会の
それに気づいたネリネは一つ首を
「あなたの話も聞かせて貰えませんか? そういう場なんでしょう?」
無理に
「うーん、あんまり聞いてて楽しい話じゃないと思うけど……。何が聞きたい?」
何から聞こうと、改めて考える。いきなり
「そうですね……
悪魔的な常識がどうだかは知らないが、教会はあちらにとっても天敵だろう。すると、クラウスは少しだけ表情の
「どうだろう、どうでもいいんじゃないかな」
「どうでも……?」
「悪魔は基本的に子育てというものをしない放任主義なんだよ。生まれ落ちた瞬間からある程度の知能と生存能力は備わっているから基本は独り。私も親兄弟の存在は知っているが、人間のように特別な
想像以上に重い答えが返ってきて
「それにしては、あなたはやけに人間
そうでなければ教会の神父など務まるはずがないだろう。口にしたクッキーはサクッと
「そう見えるかい? だとしたら勉強した
「勉強したんですか?」
「ああ、元より私は悪魔の中でも変わり者でね、人間が持つ感情に強い興味があったんだ──このクッキー美味しいよ」
もう一枚、と
「だから人間界に来ようと決めた時に、こちらの書物を読み
クラウスは目を細めてその後も
「なるほど、だから少女小説を集めているんですね」
「あれ? そうだけど、見せたことあったっけ?」
不思議そうな声に紅茶がヘンなところに入る。
「ッげふ、がフ……。つ、次の質問いいですか」
「……なるほど、前に部屋の家具の位置が
ニヤリと笑った悪魔に苦い思いがこみ上げる。仕切り直しでコホンともう一度
「悪魔は、人間と
これは前々から気になっていたことだ。クラウスもネリネの魂を契約の対価として求めている。目には見えないものだが、何に使うのだろう。
新たに
「人間の魂はね、悪魔としての格を上げるための燃料なんだ。気高く
その答えに、じっと正面に座る悪魔を見つめる。少しだけ
「それじゃあ、その、あなたも過去に?」
魂を
「あぁ、そんなに多くはないけどね。私の一部となった彼らの事は全員覚えている。とりわけ最後に
「……」
それはそうかと自分に言い聞かせる。クラウスはかなり上位の悪魔のようだし、これまでに契約をした事があると考えるのが
「ただ誤解しないで欲しいのは、私は決して
そこまで
「それに、私は契約者の
誠実な悪魔なんて、数か月前の自分が聞いたら鼻で笑い飛ばして居ただろう。だがこうして知り合ってしまった今となっては……。反応が無いことで不安そうな表情になっていくクラウスに、ついフフッと笑ってしまう。
「良い悪魔ってなんですか、変なの」
すると、パッと表情を明るくした悪魔は、ニコニコと笑いながらこんな事を言い出した。
「あ、さっき
「何を安心しろっていうんですか」
「今まで会ってきたどの人物よりも、君の魂は純粋で気高く、美しい」
ポカンとするネリネの
「……悪魔に『
「え、そう受け取る?」
「言いましたよね、契約はしないって」
ツンと顔をそらして宣言する。
「そうだね……最近は、こんな日々も悪くないかなと思えてきたかな」
しみじみとした
「君といると本当に安らげる。この生活がいつまでも続けばいいと、願ってしまう自分が居るよ」
それはどこか
(わたしも、悪くないかもと思い始めている……)
心の中で浮かんだ言葉を口には出さず、手元に残った紅茶と
失格聖女の下克上 左遷先の悪魔な神父様になぜか溺愛されています 紗雪ロカ/角川ビーンズ文庫 @beans
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