2章 悪魔と過ごす日々③

「畑を借りたい?」

 後日、すっかり回復した女の子が家に帰った日の午後、久しぶりの土いじりにいそしんでいたクラウスはネリネのお願いに視線を上げた。こくんとうなずいたネリネは、森まで行って採取してきた様々な草を株ごとかかえている。

「はい。ここからそちらまで」

「それは構わないけど……」

 ネリネの全身には、無数のどろや葉っぱが付いている。それを見てまゆを寄せたクラウスは苦言をていした。

「一人で取りに行ったのか、危ないじゃないか」

「大丈夫です、毒草は交じっていません」

 そうじゃなくて、とぼやく神父をよそに、ネリネは空いているうねにそれらをドサッと落とした。許可を貰ったので移植ゴテでせっせと植え始める。青々とした並びを見たクラウスは口の端を上げた。

「また薬草かい?」

「はい、この国ではあまり知られていない民間りようほうですけど」

 ネリネは手にした薬草の簡単な効能を口頭でれつしていく。スラスラと流れ出る知識は付けやきではなく、自分のおくにきちんと根付いているものだ。

「教会である程度これらを育てておけば、きゆうかんが来たときにもそくに対応できるのではないかと思いまして……」

「なるほどね。しかし、この前も思ったけどずいぶんくわしいね。教会の教育課程には薬草学なんて無かったけど、どこで学んだのかな?」

 額にあせしながら作業を進めていたネリネは、少しだけ遠くを見ながら口を開いた。古い記憶と共に、い緑のにおいがよみがえる。

「産みの母親に教えて貰いました。母は他国からこの国に流れてきたらしいのですが、植物に関するぞうけいが深く、村の人たちから森のしやと呼ばれていたんです」

 ネリネは、つねごろから不思議に思っていることがあった。それは、この国の地方教会におけるりよう水準があまりにも低いことだ。月初めに『聖女様からのありがたい薬』として送られてくる物資は、ねつざいなどがわずかばかりで、今回のようにとくしゆしようじようが出ると対応しきれない。母から教わった知識の方が、ぜん応用がくのである。

 エーベルヴァイン家に引き取られたばかりの頃、ついその疑問点を養父にぶつけてしまったことがあった。当時は自分も立派な聖女になるんだと張り切っていたものだから、得意げになって薬草知識をろうしてしまったのだ。すると養父はめるどころかおそろしい顔で怒鳴りつけてきたのである。

 ──そんなうさんくさい知識、すぐに忘れるんだ!!

 お前のそれは教会の信用をおとしめることに他ならない、聖女とはほどとおじやあくじよの知識なのだと何回も「教育」された。敬愛する母は魔女だったのかとひどくショックを受けたネリネは、それ以降、だれにも話すことなく知識をふういんしてきたのだが……。

「今回思い切って試してみてよかったです。あの子の命を救うことが出来ました」

 ひらいたばかりの薬草畑をネリネは、ほこらしい気持ちで見つめた。それを見守っていたらしいクラウスは、柔らかい口調でこう言う。

「お母さんは、うでのいいくすだったんだね」

「はい。人間はもちろん犬やねこなんかもあっという間に治してくれて……」

 ここまで言ってハッと我に返る。え替えに熱中していたので油断した。なぜあくに自分の身の上話をしているのだろう。だが彼はそれには気づかず、空を見上げて話し出した。

「なるほど、君が聖女候補として選出される前の話か」

「あ、あの」

「しかし神父の私が言うのも何だが、おかしな話だよ。先代聖女が死んだ直後に生まれた女の子が次の候補者だなんて。なあ、君はいくつの時に貴族家に引き取られて──」

 ザクッと、とっさに移植ゴテを地面にしていた。言葉を探していたネリネは、無理やり話題をらす。

「そ、そんなことより、ここの管理はわたしがやるのであなたはかかわらないでいいですから」

 そのまま横にザッと引いて境界線を作る。精いっぱいこわい顔をして低い声を出してみせた。

「ここからこっちは立ち入り禁止です。悪魔にさわられたらどんな毒草になるか」

「傷つくなぁ、そんなことしないよ」

 としもなく口をとがらせた神父に対して少しだけ罪悪感がこみ上げる。だが、はたとことじりとらえたネリネは半目で問いめた。

「しないってことは、やろうと思えばできるってことですか?」

「さぁ、どうだろうね」

「ちょっと」

 へらりとはぐらかした悪魔は自分のじんに引き返していった。ゆるく笑ってこう続ける。

「いいじゃないか、私の花が心をいやし、君の薬草が身体からだを治す。い相棒になれると思わないかい?」

「思わないです、お断りします」

「おやおや、信用されないなぁ」

 ゆるやかな風がき、豊かな土のかおりを巻き上げる。これから暖かくなっていく気配は、やさしくネリネの灰色のかみらしていった。



 泥だらけになってまで女の子を助けたことが広まったのか、ちかごろは村の人々の目が変わってきたように感じる。買い出しをしながらネリネはそんな事を改めて思った。

 以前は商店街を歩くだけでヒソヒソと声が聞こえてきたものだが、ここ最近はそんな気配も消え去り、えんりよな視線を感じることもない。少しずつホーセン村にけ込めてきているのではと、心の中でひそかにおどりをしてしまう。

 そのうち、かたきも『失格になった聖女候補』から『ホーセン村のシスター』にじよじよに切りわっていくだろう。過去の傷も時間が癒してくれるはずだ。

「ネリネ、お茶会をしよう!」

 そんな事を考えながら教会に一歩足をみ入れたしゆんかん、いいがおむかえられて思わず目をまたたく。今日も泥だらけの神父は実にうれしそうに顔をかがやかせていた。

「お茶会、ですか? それはまた急に何で……」

 勢いに押されて一歩あと退ずさる。あまり反応がよろしくなさそうな気配に気づいたのか、クラウスは人差し指を立て、もっともらしい理由付けをした。

「教会行事でしんぼく会を計画してるんだ。その予行練習に付き合って欲しい」

「は、はぁ」

 生返事で回答をにごす。どうしようか迷って居ると、子どものようなじゆんすいな笑みをかべた神父は、愛らしいももいろの花弁を一枚差し出してきた。

「裏庭のれいいて、今が一番いい時期なんだ。最近はいそがしかっただろう? ぜひ君にもゆっくりと見てもらいたくて」

 来てくれると信じて疑わない表情に押し負ける。一つしようを浮かべたネリネはその招待状を受け取った。

「仕方ありませんね、いいですよ」


 焼きあがったばかりのクッキーを眼前に広げたネリネは、満足そうにむふーと鼻から息を漏らした。レシピだけをたよりに初めて焼いてみたが、なかなかどうして美味おいしそうに出来たではないか。ふんわりとかおるバターの匂いがしよくよくげきする。

(あとはこれに合うような紅茶とお砂糖、それとミルクを用意しても良いかもしれない)

 白くて平たい皿に移し替えて、ティーポットとカップもまとめてトレーにせてお茶会場へと運ぶ。最初はしぶっていたものの、準備を始めると意外と楽しくなってきてしまった。案外自分は乗せられやすい性格なのかもしれない。

「わぁ……」

 そして会場に着いたネリネは思わず声を上げた。そこは教会の裏庭にある一角で、咲き乱れる薔薇の生けがきで囲われた小さなスペースになっていた。クラウスが持ち込んだ白いテーブルと椅子いすがこぢんまりと中央に置かれている。

「いつの間にかこんなに咲いていたなんて……知らなかった」

 テーブルにクッキーを置いて見回す。あわい桃色系の品種でまとめられた秘密のはなぞのは夢のような美しさだ。後ろからもう一きやく椅子を持ってきたクラウスが誇らしげにたずねた。

「どうだい、なかなかのものだろう」

「はい、ちょっと感動してます……」

 いろあざやかな光景になおな感想が出てくる。毎日どろまみれになっているだけの事はある。根気よく手入れしたであろう努力がずいしよに見て取れた。

 そうして、教会のかたすみで悪魔とシスターのお茶会は始まった。こんなに落ち着いて安らげる時間なんて久しぶりで、ネリネは終始ごげんだった。なごやかな気分のまま、気づけば白いカップをかたむけながら思い出を語り出していた。

「そういえばジルもお茶会が好きでした。この茶葉も生前彼女から頂いたものなんですよ」

「へぇ、ライバルと言うからにはもっとギスギスしてるものかと思ったけど、交流があったのか」

「ギスギスだなんてとんでもない。彼女はぽっと出のわたしに対しても本当によくしてくれました」

 思い出すと嬉しくなって、大好きな彼女のことを語り出す。

 彼女は名門こうしやくミュラー家の末娘で、黄色いドレスがよく似合うしようしんしようめいのおじようさまだった。なのに気取ったところが少しも無くて、初めて聖堂で引き合わされた時も正面から明るく話しかけてくれた。気おくれするネリネの手を取り、正々堂々と勝負して、どっちが勝ってもうらみっこなし! と笑いかけてくれた時のことは今もあざやかに思い出せる。

「本当に非の打ちどころがない人で、聖女ってこういう人を指すんだろうなって思いました。ミュラー家にもよく招いて頂いて、お父様もお母様もお兄様も、らしい人たちで……」

 そういえばミュラー家の庭にも薔薇園があって、同じようにクッキーとお茶を楽しんだおくがよみがえる。エーベルヴァイン家で道具のようにあつかわれていたネリネにとって、あの時間だけがゆいいつ心休まる時間だったと言っても過言ではない。

 手元のソーサーにカップをカチャと置いたネリネは、そこで少し声のトーンを下げた。

「だからこそ、そんな彼女がどうして身投げなんてしたのか、今でもわからないんです」

 向かいで楽しそうにあいづちを打っていた神父も、まゆを寄せる。

「何かきざしは無かったのか?」

「さぁ……その頃はもうすぐせんばつ時期ということで、聖女候補同士の必要以上のせつしよくは禁止されていましたから」

 またカップを持ち上げて、少しだけ残っていたミルクティーを流し込む。話している内にすっかりぬるくなってしまったそれは、今のくもりかけた気持ちを表しているかのように渋みを残しながらトロリとのどもとを通過し落ちていった。

「でも、会うたびに表情は暗くなっていた気がするんです。最後に遠くから見かけた時、『ごめんね』と口が動いたように見えて」

「……」

 楽しかったお茶会のふんは、少ししずんだものになる。

 それに気づいたネリネは一つ首をって気持ちを切り替える事にした。もう過ぎ去ったことは仕方ない。母と同じでとむらいの心は忘れないけれど、こうして故人は思い出の中の人になっていくのだろう。

「あなたの話も聞かせて貰えませんか? そういう場なんでしょう?」

 無理に微笑ほほえんだネリネは、向かいのあくに話を振る。紅茶のおかわりを二人のカップに注ぎながらうながすと、彼は少しだけ渋い顔をした。

「うーん、あんまり聞いてて楽しい話じゃないと思うけど……。何が聞きたい?」

 何から聞こうと、改めて考える。いきなりかくしんせまるよりは──と、別の所からめることにした。

「そうですね……かいにご家族などは居ないんですか? こんなところで神父をやっているだなんて知られたらお𠮟しかりを受けるのでは?」

 悪魔的な常識がどうだかは知らないが、教会はあちらにとっても天敵だろう。すると、クラウスは少しだけ表情のけ落ちた顔で答えた。

「どうだろう、どうでもいいんじゃないかな」

「どうでも……?」

「悪魔は基本的に子育てというものをしない放任主義なんだよ。生まれ落ちた瞬間からある程度の知能と生存能力は備わっているから基本は独り。私も親兄弟の存在は知っているが、人間のように特別なつながりといったものを感じた事はないかな。それは向こうも同じだと思う。会話をしたことすら数えるほどしかないよ」

 想像以上に重い答えが返ってきてだまり込む。種族としては人よりはるかに上位の存在だと思っていた悪魔に、れんびんの気持ちがきあがる。だが、痛ましく感じていたネリネははたと気づき、クッキーに手をばしながら聞いてみた。

「それにしては、あなたはやけに人間くさいというか、愛情というものが何たるかをきちんと理解しているように見えますが……子どもの相手も上手うまいですし」

 そうでなければ教会の神父など務まるはずがないだろう。口にしたクッキーはサクッとくだけ、ほうじゆんなバターの香りを口いっぱいに広げてからホロホロとほどけていった。上出来、と満足していると、向かいの悪魔はパッと顔を輝かせた。

「そう見えるかい? だとしたら勉強したがあった」

「勉強したんですか?」

「ああ、元より私は悪魔の中でも変わり者でね、人間が持つ感情に強い興味があったんだ──このクッキー美味しいよ」

 もう一枚、とめてくれる彼は、やはり人間と対話しているようにしか感じなかった。

「だから人間界に来ようと決めた時に、こちらの書物を読みあさったんだ。その中でも物語……とりわけれんあい物はい、せんさいな感情のが一冊の中にちゃんと答えとしてえがかれているから大好きなんだ。登場人物の気持ちに共感できると、私も人間に近しい感性を持ち始められているような気がしてうれしくなる」

 クラウスは目を細めてその後もじようぜつに語る。好きなものを語る時の嬉しそうな顔に、人間も悪魔もちがいは無いのが新しい発見だった。自分がいつの間にかつられて笑っていることに気づいたネリネは、ごまかすように紅茶を一口飲む。

「なるほど、だから少女小説を集めているんですね」

「あれ? そうだけど、見せたことあったっけ?」

 不思議そうな声に紅茶がヘンなところに入る。けつったネリネは、盛大にむせながら何とかそうとした。

「ッげふ、がフ……。つ、次の質問いいですか」

「……なるほど、前に部屋の家具の位置がみように変わっていた件についてはれないでおいてあげよう。それでは質問をどうぞ」

 ニヤリと笑った悪魔に苦い思いがこみ上げる。仕切り直しでコホンともう一度せきばらいをして、本題に入った。

「悪魔は、人間とけいやくしてたましいを得るんですよね? 何の目的があってそんなことを?」

 これは前々から気になっていたことだ。クラウスもネリネの魂を契約の対価として求めている。目には見えないものだが、何に使うのだろう。

 新たにれられた紅茶を一口飲んだクラウスは、し目がちに目を開ける。赤く見えるひとみほんしようが出ているのか、それとも見つめる先の水面みなもを反射しているだけなのか分からなかった。ゆっくりと言葉を選ぶように彼は言う。

「人間の魂はね、悪魔としての格を上げるための燃料なんだ。気高くじゆんすいな魂を内に取り込むほど、強くなれる」

 その答えに、じっと正面に座る悪魔を見つめる。少しだけおくするように声をふるわせたネリネは、おそるおそる聞いてみた。

「それじゃあ、その、あなたも過去に?」

 魂をらったことがあるのかと無言で尋ねると、クラウスは少し遠い目をした。もう一度口をうるおしてから静かに答える。

「あぁ、そんなに多くはないけどね。私の一部となった彼らの事は全員覚えている。とりわけ最後にたくされた魂は本当にすごかった。〝彼女〟は本当に人として立派な人物だったよ」

「……」

 それはそうかと自分に言い聞かせる。クラウスはかなり上位の悪魔のようだし、これまでに契約をした事があると考えるのがつうだ。それでもどこか複雑な気持ちになっていると、カップをテーブルにもどした彼は、まっすぐにこちらを見ながら続けた。

「ただ誤解しないで欲しいのは、私は決してだまして契約などは結ばない。そうほうなつとくした上でしか魂は受け取らないことに決めている」

 そこまでしんけんに言った悪魔は、ここでじようだんを飛ばすように少しだけ声の調子を上げた。

「それに、私は契約者の寿じゆみようが来るまではきちんと『マテ』ができる良い悪魔なんだよ」

 誠実な悪魔なんて、数か月前の自分が聞いたら鼻で笑い飛ばして居ただろう。だがこうして知り合ってしまった今となっては……。反応が無いことで不安そうな表情になっていくクラウスに、ついフフッと笑ってしまう。

「良い悪魔ってなんですか、変なの」

 すると、パッと表情を明るくした悪魔は、ニコニコと笑いながらこんな事を言い出した。

「あ、さっきほかの女性を褒めたけど安心してくれ、ネリネの方がもっとすごいから」

「何を安心しろっていうんですか」

 しようかべると、クラウスは真正面からこちらを見つめ、確信を持って言い切った。

「今まで会ってきたどの人物よりも、君の魂は純粋で気高く、美しい」

 ポカンとするネリネのほおが少しずつ染まっていく。ごまかすようにグイッとカップをあおった彼女は、表情をかくたてのようにそれを口元へ持っていった。ふちしにジト目をのぞかせるとボソリと言う。

「……悪魔に『美味おいしそう』って言われても、別に嬉しくないんですけど」

「え、そう受け取る?」

「言いましたよね、契約はしないって」

 ツンと顔をそらして宣言する。はやどうを感じながらチラと彼の様子をうかがうと、意外にも悪魔はおだやかで満ち足りた表情をしていた。手元のカップを見つめながらゆるく言う。

「そうだね……最近は、こんな日々も悪くないかなと思えてきたかな」

 しみじみとしたこわで、その言葉が本心だという事が何となく伝わってくる。目を見開いていると、ひじけにほおづえをついた彼は、流れる風を楽しむように目を閉じた。

「君といると本当に安らげる。この生活がいつまでも続けばいいと、願ってしまう自分が居るよ」

 それはどこかかなわぬいのりのようで、否定もこうていもせずネリネはちんもくを返した。

(わたしも、悪くないかもと思い始めている……)

 心の中で浮かんだ言葉を口には出さず、手元に残った紅茶といつしよに飲み込んだ。

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失格聖女の下克上 左遷先の悪魔な神父様になぜか溺愛されています 紗雪ロカ/角川ビーンズ文庫 @beans

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