第21話 いくつかのお守りを胸に
少しだけ眠ったものの、まだ緊張感が抜けきらずにぼんやりとする。
まどろんだまま、考えていたのはずっと留守にしている家のこと。
虹の光が自分そっくりの形になることを想像する。
イーリスは手のひらに乗るような妖精サイズになった。
花屋の父親のもとへ飛ぶ。
懐かしい花々が鮮やかに並んでいた。
そよ風とともに店内に入っていく。
人の気配を感じ取ったのか、花の手入れをしていた父親が顔を上げた。
「いらっしゃいませ……おや、イーリスか?」
「お父さん……」
虹の光を通して、イーリスには父親の顔が見えた。懐かしい顔を見たとたんに泣きそうになる。
父親はまぶしそうに目を細めて、つぶやいた。
「そうか、魔法の力が開花したか……」
イーリスが魔法を使って現れたのだとわかったようだ。
たいして驚いていない。まるで、来るべきときが来たとわかったように。イーリスは父親の反応を見て確信した。
「私に魔法の力があるって知ってたの……。お母さんも魔女だったんでしょ? お父さんはわたしもその力を受け継いでいると知ってたんでしょ?」
「……ぜんぶ知っていた。黙っていて悪かったな」
それを聞いただけで泣きそうになった。
「……ううん、秘密にしてもらっていたから、今まで不自由なく育ったのかもしれない」
魔女の力が封印されていることを教えられずにいたことは、父親の優しさだ。目覚めることがなければ、普通の人として生活できたかもしれない。
「……わたし、もう花屋で暮らせないわ。王国から逃げるには、闇の薬屋で暮らすしか方法がないみたい。一緒にいられなくて、ごめんなさい」
「イーリス……魔法の力を開花させるにも、苦労があっただろう。頼りない父親で申し訳ない」
父親がイーリスの頭に手を置く。触れられた感覚はなかったけれど、あたたかい手のような気がした。
「そんなことないわ。わたしは元気だから心配しないで」
「心配するに決まっているよ。いつも心の中にイーリスがいる。……シヴァンによろしく頼む」
シヴァンの名前が出てきたことに驚く。知らないはずだったのに。驚くことばかりだ。
「母親同士で交流があったんだ。……さあ、もう行くんだ。王国の連中に魔法の気配を勘づかれる。とても名残惜しいが……」
「わかったわ。またね、大好きなお父さん」
「元気でな。大好きなイーリス」
再び父親に会えるかはわからない。けれど、「またね」と言えば、また会えるような気がした。
イーリスの姿は、風に粉じんが巻き上がるように、虹の光をキラキラさせながら消えた。
シヴァンの母親のことはまったく知らない。交流があったというのは、親しい友人だったのだろうか。聞ける機会があれば彼から聞いてみようとイーリスは思った。
目が覚めると、空間がにじんでいた。イーリスが頬に手を触れると涙の跡がある。
まばたきを数回して、天井を見上げた。
(眠りながら、泣いていたんだわ……)
夢ではないとわかっていた。たしかに、魔法を使っていた。
父親との別れは、もうしばらく会えないんだと思うと悲しみがこみあげてくる。自分の分身を飛ばすのは王国に見つかるリスクもあるし、そう簡単にはできないだろう。
寝ながら魔法を使ったので、まだ体力は回復しきっていない。少し体は重い。けれど、その脱力感は全然嫌ではなかった。
身支度を整えて、階段を降りて店内へ行くと、パンのいい匂いがした。スレーが焼きあがったパンを皿にのせているところだった。
目が合って、にこりと笑って話しかけてくれる。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「そうね。よく眠れたわ」
まるで父親に会えたのは良い夢を見ていたようだ。
魔法を使って分身を飛ばしたのは、きっと魔法使いのスレーにはバレているだろう。魔法の残り香でわかるものだ。でも、黙っていてくれている。
「おはよう」
シヴァンがコーヒーを飲んでいた。いつもはお寝坊さんなのに、今日は彼にしては早起きだ。
「そうだ。これ、イーリスのだろ?」
「あっ!」
シヴァンの差し出してきた手には、若草色のリボンがあった。どこかで落としたと思っていた、お気に入りのリボン。
「なくしちゃったと思ってた! ありがとう!」
受け取って、すぐに頭に結ぶ。キュッとリボンの形に。
「……ああ、落ち着くなぁ」
リボンがあるべきところに収まって、気持ちがいい。
「フクロウが届けてくれたんだ。よかったな」
フクロウがイーリスの危機を教えてくれたことを、イーリスは知らない。忘れものを届けてくれたぐらいにしか思っていない。
「どこで落としたんだろう……? クーちゃん、ありがとう!」
イーリスはカウンターに座るフクロウに、かがんで目を合わせてお礼を言うと、くるっと頭を180度回転して後ろを向いた。全然目が合わない。
「あれ?」
「こいつ、恥ずかしがってるんだ。どう反応していいのか困っている」
「へえ。そうなんだ。かわいいね!」
反対側に回り込んで、顔を見ようとしても、今度もまたくるっと回転。
「……恥ずかしがっている顔、見たかったのになぁ」
残念。無表情のクーちゃんの新たな一面を見たかったのに。
顔を真っ赤にするのだろうか。たくさんまばたきをするのだろうか。それとも……。
想像して、イーリスはくすりと笑った。
「あの――」
「どうした?」
イーリスの言いかけた声に、シヴァンが反応する。
昨日は逃げ出すために必死で言い忘れてたけど、二人にお礼が言いたい。
「助けに来てくれてありがとう。シヴァンと喧嘩しちゃったから、見捨てられたと思ったの。王城まで駆けつけてくれて嬉しかった」
ようやく言えて、少し心の中がすっきりとした。
「俺も強く言い過ぎた。しっかりと意思疎通していれば、イーリスが無理に外に出ようと思わなかっただろう。……だが、みんなで無事に帰ってくることができたのが奇跡なくらいだ。だが、こんな無茶は二度としないでほしい」
「ごめんなさい。もう心配かけることはしないわ」
心配かけることはしない。父親との約束。父親と離れても、どこの場所に行っても、大事な約束だ。
「イーリスは人の痛みがわかる人だ。いろいろと苦しんでいるだろうと思った。それに……店員の危機だからな。いなくなったら困る」
「店員の危機……」
(もちろん店員なんだけど、どうして胸が苦しいんだろう……?)
考えてもわからない。
イーリスは気のせいだろうと思うことにした。
「正式に店員になりたいです。あらためて、ここで働かせてください」
「こちらこそ、よろしくな」
シヴァンに手を差し出されて、握り返した。骨張った手。船の操縦で不安になったときに握りしめてくれた手。力強い手だ。
イーリスは手の感触でわかった。
助けに来てくれたときに、剣で応戦していた。それなりの腕前なのかもしれない。
「もちろんです。イーリスさんは薬屋の一員です! ほら、みんなのおそろいのエプロンを作ったんです」
スレーは黒いエプロンの布地を広げた。真ん中に白い猫の足あとが刺繍されている。
「いいね! かわいい! ……ん?」
ふと気づいて、イーリスはエプロンをのぞき込む。見た目のかわいさだけでなく、その布に魔法の力がこめられているのがわかった。
「もしかして、結界が張られているの……?」
「そうです。これを着れば、エプロンに隠れていない指先まで守ってくれるんです。ちょっと液体がかかったくらいでは、薬の影響を受けません」
画期的な発明品だ。おそろいも嬉しいし、お守りのようで安心感もある。
「イーリスさん、どうぞ」
「ありがとうございます。大切に使います」
受け取ったエプロンを身につけてみる。後ろに手を回してヒモを結ぶと、気持ちがさらに引き締まった。
髪のリボンにエプロン。胸のブローチはなくなってしまったけれど、代わりに大事なものができた。
シヴァンとスレーもエプロンをつけた。二人が着ると、カフェの店員のような印象になるから不思議。
みんなで一緒のものを持っていると、一体感が生まれて嬉しい。
「今日も一日、頑張りましょうね!」
「はい!」
スレーの声がけに、イーリスは腹から声を出して返事をした。すっきりとした気分だ。
魔法使いの一員として、家を離れることになったが、闇の薬屋の仲間ができた。
もっと魔法の力を磨いて、薬作りも手伝いたい。
失敗をおそれずに続けていけば、きっと光が見えてくるはずだから。
1000本の薔薇と闇の薬屋 八木愛里 @eriyagi
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