第20話 空中散歩
風が舞い上がって、空飛ぶ船を上空へ押し上げていき、神殿と王城が小さくなっていく。
街は真っ暗で、家の明かりや街灯しか見えない。
びゅう、と強い風が吹いて、船が少し傾いた。
それだけで心臓がバクバクとした。イーリスは、おでこの汗を服の袖でぬぐい上げる。
「あわわ、落ちるかと思った……」
ミスが怖い。船が落ちたら終わりだ。みんなの命がかかっている。
手が震える。体が硬くなる。このままだと――。
助けて、と心が叫ぶ。
と、シヴァンから手をぎゅっと握られた。
「魔力が戻ったばかりなんだ。安定しなくて当然。イーリスはまっすぐ前を見ろ」
シヴァンの手も冷たかった。イーリスを勇気づけようと、優しく言ってくれているのだろうか。いつもの意地悪なシヴァンらしくない。
シヴァンの紫色の瞳を見つめ返すと、大丈夫だと思えた。
「わかったわ」
イーリスがうなづくと、そっと手を離された。
シヴァンの言うように、下を見るのはやめて、意識を集中する。みんなの命綱を握っているから、安全第一にしないと。
でも、あたりは真っ暗。ポツポツと街灯の光はあるが、とくに行き先の目印はない。どうしよう。不安がまた、押し寄せてきた。
「……こんなに暗くて、薬屋の場所はわかるの?」
「ああ。これを使えばわかる」
心配になって聞くと、シヴァンは胸ポケットから古びた銀色の方位磁石を出した。ふたを開くと、矢印が北をさしている。
「方位磁石だけで目的地に行くのは、難しくないかな?」
地図があるわけでもないし、現在地も不明確だ。方位磁石だけでは、闇の薬屋へ戻るのはできないように思えた。
「これはただの方位磁石じゃない。まずは、スレーの魔力を回復させよう」
そう言って、ポケットから取り出した小瓶から、茶色の液を黒猫の舌の上にたらす。コーヒーに牛乳を混ぜたような色だ。
黒猫は口を閉じてごっくんと飲む。すると、イーリスには、スレーの体の周りが光って、力がみなぎってくるのがわかった。
「用意がいいのね」
感心していると、シヴァンはニヤリと笑った。
「やつが『魔力を減らす薬』を盗んでいったのは、フクロウから報告を受けて知っている。スレーが狙われているのは、そのときに知った。今回はなにが起こるかわからないから、『魔力を増やす薬』を念のため持ってきたんだ」
「そうだったのね」
シヴァンはスレーの危険をいち早く察知していたらしい。
「副作用はあるの?」
「魔力が増えると、汗もかいて、喉が渇く。水分さえとっておけば、副作用は少ない」
副作用の少ない薬もあるらしい。
魔力が回復しても、スレーは黒猫の姿のままだ。意図的にそうしているらしい。
さらに乗船人数が増えたら、中がぎゅうぎゅうになってしまうからか、とイーリスは納得した。下手したら、重量オーバーで、船の底に穴があいてしまうかもしれない。
「黒猫の姿のままだと、喉の渇きが緩和されるんですよ」
スレーが教えてくれた。それなら、闇の薬屋に戻るまで黒猫の姿でいたほうがいい。
「スレー、魔力を注いでくれ」
「はい」
猫の手の吸盤を方位磁石に向けると、そこから緑色の光線が伸びて、一点をさす。それが、闇の薬屋の方向だ。
シヴァンは視線を送ってきた。
「あわてなくていい。光の方へ」
「わかったわ」
イーリスはこくんとうなづく。
行き先がわかって心のゆとりができたのか、操縦に集中できた。それで、空中散歩を楽しめればいいが、そんなわけにもいかない。
集中力を切らすと、すぐにバランスをくずしそうだ。
暗くても、さまざま色のパラソルが並んでいるのが見えた。目的地の市場だ。
上空から脇道に入って、トンネルの前に降りた。三人が船から降りると、イーリスは船を消す。
降り立つことができてホッとしつつも、他の不安が出てきた。
「ロマニオには薬屋の場所がバレてるよね。すぐに追手が来るんじゃあ……」
「今、やろうとしていた。このトンネルは場所を変えることができるんだ。すぐに引越しだな。スレー、やろう」
「はい。イーリスさんもトンネルに入ってください」
指示どおりにトンネルの中に入る。黒猫のスレーはお座りの姿勢で、その入り口に両手を置いた。まるで、前に見えないガラスの壁があるみたいだ。
「別の場所にトンネルの入り口を繋げます」
スレーが目を閉じると、手から魔法の光が出てくる。
しばらくすると、目を開けて、両手を離した。
「これで完了です」
「よかった……わ……」
安心したとたんに、イーリスの体がふらりとした。船の操縦で気を張っていたのに、地に足がついて緊張が解けたからだろうか。
「なんだか、すごく眠い……」
「無茶をしたんだ。当然だろ。今はゆっくり休め」
もう、目に力が入らない。体の力が抜けていって、倒れる……と思ったらシヴァンに両手で抱っこされるのがわかった。
眠ってしまった子どものように、揺られながら運ばれるのは心地よい。体は重くて、指先さえも動かせない。
闇の薬屋に着いた、というのは目を閉じていても薬品のにおいでわかった。イーリスの部屋のベッドの上に降ろされた。
「おつかれさま。ゆっくりと休んでほしい」
シヴァンが小さくささやいて、扉がパタンと閉じられる。
去り際に、シヴァンが優しく笑ったような気がした。
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