後編【彼女は蛇みたいだった】


 私の友達は、蛇みたいだった。


「メッセージ欄まで確認してるの? ちょっとやり過ぎ……とか言われないんだ」


 すらりと背が高くて、スタイルが良かった。真っ黒な髪は天然物らしい。腰まで伸ばされた黒髪がさらっと揺れて、綺麗だといつも思ってた。


「やり過ぎなんてことなくない? だって私たちは好き同士なんだから、お互いのこと、ちゃんと分かってたいじゃん」


 これだけで蛇みたい、なんて言ってるわけじゃない。私はそんなに失礼な女じゃないんだから! 当然、理由がある。


「そういうもん?」

「そうだよ! 私とあんただって、位置情報アプリ登録してるんだし」

「それはそうね」


 私と向かい合う形で座っている彼女の口が、がぱりと──それでも控えめに開く。赤い舌の上にたこさんウィンナーが乗っかって、肉汁が溢れた。あ、箸ごと噛んだみたい。ガリって音がした。


 彼女は、人より口が大きかった。


 口裂け女というほどじゃないけど、やっぱり彼女の口は大きいと思う。まぁもしコンプレックスだったりしたらいけないから、私からそれについて言ったことはないけど。めいっぱい開いたら、私の拳なんてすっかり入っちゃうんじゃないかと常々思う。それくらい、彼女の口は大きい。

 でも、そんなの正直関係なかった。

 他のクラスメイトは彼女の大きな口について色々言っていたようけど、私は気にしないし。そうやってあえて触れてこない私と一緒にいる時の彼女は、他の誰といるときよりも幸せそうだったから。満足そうに彼女の口角が上がる様子を見るのが、私はちょっと好きだった。あの空間には、言葉にできない優越感があった。きっとお互いに。




 その優越感を、今は激しく後悔してる!!




 煮えたぎる心が徐々に落ち着いて。浅い眠りから覚めるように、意識が浮上したとき。ぷすぷすと、そんな可愛い擬音じゃ表せないような現実が、私の目の前に広がっていた。

 真っ赤な火が燃えている。ややそれも、丸焦げになった火種にまとわりついている程度。私は、それを見下ろしていた。


「……あ」


 どれくらい時間が経ったのか、空は夕焼けで。赤色の照明をあてたみたいに、周りは真っ赤に照らされてた。


 私の足元には、まっ黒焦げの塊。まだ人の形をしてる。これは、そうだ。絵本のページをめくるような速度で、記憶がよみがえっていく。浮気した彼氏を追って、私は、私は、ふたりを焼き殺したんだった。足元で黒い煙を立ち昇らせるこの焼死体は、私の彼氏。大好きな、一番大切だった……。


「……なんで」


 ひとたび口を開いてしまえば、もう止まれなかった。


「なんで! ねぇどうして浮気なんてしたの!?」


 煙が肺に入るけど、気にしていられない。私は気が狂いそうなくらい怒ってるから!


「一番好きって言ったよね!? 愛してるんじゃなかったの!? だれ、誰だよあの女!! 私より好きだったの、あれが? ねぇ!!!」


 ものを言わない黒い塊を責め立てる。焼いてる時にも、こんな風に問い詰めた気がする。なんて答えてたかな。なんにしろ。私の大好きな彼は、うずみ火を抱く単なる炭に成り果てた。達成感、とは違う。まだ胸の奥がじくじく痛む。そりゃそうだ、私は裏切られたんだから! 恋心を踏み潰された! こうなって当然だ、当然の報いだ! あのとき私を支配した嫉妬と怒りは、なにも間違ってない!


「私を蛇にしたのは、あんただからね!」


 腸が煮えくり返る。っていうやつだったんだと思う。あの女が憎くて、浮気されたことが悲しくて、このまま逃がしてなんてやれないって思って。私は感情のまま、蛇になった。

 でも、どうして蛇になれたんだろう?


「あぁ、彼氏も焼いたんだ」


 ひた、

 肩に置かれた両手が、服越しなのに驚くほど冷たかった。

 耳元で囁かれた声にぞっとして、ばっと振り返る。


「あ、んた」


 振り向いた先には、私の友達が、あの蛇みたいな友達が立っていた。にこにこ、にやにやして。口が大きいせいで、つり上がった口角がずいぶん高い位置にある。ちょっと不気味な笑顔だった。


「良かった、服はちゃんと着れたんだね」

「服……」


 つと胸元に手をやる。ちょっと乱れてるけど、いつもの制服。私は確か、川のそばで蛇になって……あ、合点がてんがいった。この私の友達が、私の制服を持ってきてくれたんだ。蛇から体が戻るとき、私は自分で服を着たんだろう。

 蛇になる、蛇から人間に戻る。おかしな話なのに、いざ自分の身に起きちゃうと、なにも気にならなかった。


「記憶、ある? あんた、蛇になったんだよ」

「ある。あるよ」

「そう。……スッキリした?」

「……ううん」


 もう一度、足元の炭に目を落とす。今も腹の底がぐつぐつ沸騰してる。


「ねぇ。私、悪くないよね」


 彼女が首を傾げる気配がした。


「浮気したほうが、悪いもんね。私間違ってないよね。裏切られたのは私だもん、被害者は私でしょ? ねぇ、あんたは私のこと裏切らないよね」


 彼女を見る。

 彼女は私をまっすぐ見つめていた。オレンジ色と赤色が混ざった空を背に、真っ黒な髪の毛先がちょぴっと揺れている。私は期待と──ほんの少しの焦燥を胸に、彼女の答えを待った。彼女は私を友達なんだから、裏切らないってわかってる。わかってる。でも彼氏あいつは裏切った。でも友達は、裏切らないでしょ。友達だもんね。私が唯一の親友だもんね。


「──うん。間違ってないよ」


 大きな口が、待ち焦がれた答えを言葉にした。

 喜びで胸がいっぱいになる。怒りが鎮火していくのを感じた。


「そうだよねえ! 私、正しいよね!」

「うん。正しいよ」


 彼女が一歩、二歩と足を進める。


「浮気するやつが最低だもんね!」

「そうよ、裏切りには天罰を、当然だもの」


 私の眼前で、足を止める。


「でも、私って人を焼いちゃったんだよね。ころし、たもんね。これからどうしよう……」

「大丈夫よ。だって私がいるじゃない」


 彼女が私の両手を持ち上げて、胸元できゅっと握りしめた。

 呟くように、優しい言葉をささやいてくれる。


「私と一緒なら、大丈夫」

「でも殺人だよ。あんたも、本当は怖いでしょ?」

「なんで?」

「だからあ」

「また一つが増えただけなんだから、嬉しいだけよ」


 今度は、私が首を傾げる番だった。


「何言ってんの?」


 背中に、一筋冷や汗が伝った。密着する距離で彼女が手を握ってくれてるのに、悪寒がする。彼女は夢物語を話すみたいに、ご機嫌で話し始めた。


「私もね、ずーっと昔、好きで好きでたまらない人がいたの。私の家に来て、一晩泊めてくれって。すんごい素敵な人だった。私は彼に迫ったけど、彼、お坊さんだったから。困ってたけど『帰りに必ず寄って行くから』って約束をしてくれてさ……、でも、裏切られた」

「それって」


 どこかで聞いたことがあるような話だった。なんだっけ、昔話かなにかで。


「私それに気付いて、悲しかった。だから追いかけた。蛇になってね。そしたら彼ね、お寺の鐘の中に隠れたの! 信じられる?」

「も、しかして、そのまま……」

「ええ。焼いたの」


 ぞっと背筋が凍った。興奮したみたいな声色なのに、至って普通の顔で話す彼女が、私は怖くてしょうがなかった。


「鐘の外から、ふーっと火を吹いてね。あぶっちゃったんだ」


 私だって、ふたりを殺した。火で焼いた。けど彼女はレベルが違う! 鐘の──よくあるあのお寺の、鉄だか銅だかの鐘の中にいるその男を、外から熱い火で包んだら、鐘の中でサウナ状態じゃない! 隙間なんてない、分厚い壁に挟まれて、ただ熱さだけが増して……。


「お揃いじゃ、ないよ」

「?」


 どうして、と彼女の唇が動いた。けど、私はそれを聞かなかった。手を振り払って、首を後ろに向けて。全身をひねって、逃げ出した。


「私とあんたは、全然、お揃いじゃない!」


 燃え尽きた彼氏だったものの体をハードル走よろしく飛び越えて、私は路地を一目散に走った。彼女が追いかけてくる音は聞こえない。走る。走る。どこへ行けばいい? 夕暮れの空はこうしてるうちに傾いていって、西日は遠くに。夜が顔を出し始めてる。暗くなる前に帰りたい。家族は受け入れてくれる。私が蛇でも、人殺しでも! だって私、何一つだって間違ってなんかいないんだから。


「っはあ」


 息が切れる。早く帰りたい。逃げたい。お母さん、「よく頑張ったね」って、抱きしめて。「辛かったね」って、頭撫でて。私の嫉妬を、怒りを、全部理解して!


「〝辛かったでしょ。もう、走らなくていいよ〟」

「は──!」


 曲がり角を曲がった先に、大きな、大きな、影。手も足もない。巨大な鎌首をもたげて、尻もちをついた私を見下ろしてる。


「なんで置いていくの? 一緒に帰ろうよ」


 大蛇が、彼女の声をしてそう言った。足がガクガク震える。もう立てない。逃げたいのに。


「私たち、唯一の友達、でしょ?」

「っあ……!!」


 引きった声が喉から絞り出される。お尻をついたまま後ずさる私に、彼女が絡みついた。


「私たちだけは、お互いを裏切らないでいようね」


 彼女の大きく裂けた口から吐かれる息が、熱い。







終/

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身を焦がすような束縛 夏々 @kaka_natunatu

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