身を焦がすような束縛

夏々

前編【彼女は蛇みたい】


 私の友達は、執着心が強い。


 それは自分の持ち物にでも、友達の私にもはたらいた。とかくお揃いの物を持ちたがったし、私が他のクラスメイトと長く話しているのを見て、機嫌を損ねてしまうこともざらにあった。決して悪い子じゃない。ただちょっと思い入れが強いと言うか、人を繋げ止めたがると言おうか。まぁ、悪く言うと束縛が激しいのだ。


 そしてその束縛は、一番近いところで彼女の彼氏に向いた。


「メッセージ欄まで確認してるの? ちょっとやり過ぎ……とか言われないんだ」


 私と彼女は、昼休みは総じて一緒の机を使って昼食を食べていた。私の席で、彼女が前の椅子を借りて。

 小ぶりな唇が、細い指先につままれたパンをついばむ。


 彼女は誰が見てもため息をついてしまいそうな整った顔立ちをしていて、私はいつもその顔を真正面で捉えていた。好みの顔の恋人などいない私のささやかな贅沢だ。あなたはうっとりするほど可憐な女の子だと──彼女にそれを伝えたことはない。無知も可愛いものだ。彼女は無知だから、他人を縛りたがるのかも知れない。そのまろい頬に添えられた指先を飾る爪は、特に何もしていないとは言うけれど、つるりとした表面の下でほのかな桜色に色づいていた。人によってはその滑らかな指が、体を縛る荒縄に見えたりもするんだろうか。


「やり過ぎなんてことなくない? だって私たちは好き同士なんだから、お互いのこと、ちゃんと分かってたいじゃん」

「そういうもん?」

「そうだよ! 私とあんただって、位置情報アプリ登録してるんだし」

「それはそうね」


 たこの形に切ったウィンナーを口にする。八重歯がつぷりと皮を破ったとき、つまんでいた箸ごと噛んでしまった。


 今どき、プライバシーなんてものは必要ないのかも知れない。

 彼女のスマホには、登録したメンバーの現在地を地図上に示すことができるアプリが入っていて、その登録メンバーの中には私や、彼女の彼氏が含まれている。それに疑問を抱くことはない。遊びたいときに誘えたり、学校を休むのかどうかも分かる。正直、わざわざメッセージのやり取りをするよりずっと楽だ。彼女が言っているのは、恐らくこういう意味ではないけれど。

 彼女は把握したがる。

 彼女がスマホを眺めている時は大抵、彼氏が今何をしているのか連絡をとったり、さっきいったアプリで現在地を確認したりしている。彼氏にとってこの行動はどう見えるのかしら、と毎度思う。私自身、彼女の彼氏に会ったことはない。他校だし、彼女は私と彼氏とが顔見知りになるのをよしとしない。彼女曰く、当の彼氏は凄くカッコよくて、優しくて、約束を破ったりしないのだそうだ。全く羨ましい。


「最近デートできてないんだよねぇ。だから今週末に誘ってみるんだ。予定ないのは知ってるから」


 語尾にハートマークでもつけるような口調で、液晶画面をしきりにスワイプする。窓から入った風で彼女の前髪が揺れて、くりんとしたつぶらな瞳が、私を一瞥する。鍋の中でとろりと煮詰めた餡子のような甘みを含んだ色だったと思う。私はにこやかに微笑むだけしてみせた。


 その凄くカッコいい彼氏は、彼女に縛られることを望んでいるのかしら。彼女の華奢で、それでいて柔らかな肢体に抱きしめられるのは、彼氏にとっては天国に感じられるのだろうかしら。






 私たちは学校から徒歩で行ける距離に家があるので、いつも──といっても彼女が彼氏と帰るときを除いて──一緒に帰っている。


 下校時刻を過ぎた空は、青々としている中にどこかオレンジ色を抱いている。かすかにピンク色の、ふわふわとした雲は、冬の時期のアウターについたファーみたいだった。彼女のファーがそんな色だったような気がしたけど、どうだったろう。


「……それにしても、彼氏、忙しいのね? 最近は私と帰ってばかりじゃない」


 ふと彼女に投げかける。

 横たわる幅の広い運河に沿った道を並んで歩きながら、彼女はスマホの画面を眺めていた。


「そうだねえ。一緒に帰りたいんだけどなぁ」

「まぁ、他校だし。あっちは部活もあるんでしょ? しかたないよね」

「うーん……しかたないのかなあ」


 不満げな彼女に、私は小首を傾げる。


「だって私はこんなに好きでさ、でも学校違うし、我慢してるわけじゃん。なのに放課後の部活程度でこんなに会えなくなるの、違くない?」

「部活だって大事でしょう」

彼女わたしより?」

「……場合によっては」

「なにそれ! 分かってないなあ。普通はね、彼氏は彼女を一番大事にするんだよ。他校でも関係ないんだから。私だって一番あいつのこと大好きだし、優先してるし、一番大切にしてるんだよ」


 その延長線で、我慢してるだけで。本当は離れてたくない。と彼女は両手で持ったスマホを顎に押し当てた。葛藤を押し込める仕草の奥で、なにかがとぐろを巻いているような気がした。あと一滴、注げば溢れてしまう満杯のグラスのような。いつかに彼女の瞳を餡子と例えたけれど、誰も知らない隠し味が鍋の奥に用意されているような、そんな予感が──。


「あ!」


 途端、なにかを見つけたらしい彼女が明るい顔になった。見つめる道の先に何がいるかなんて、聞かなくても予想がつく。

 少し遠くのバス停で降りる姿がある。私はろくに顔も知らないけど、彼女の彼氏だろう。


「でも、おかしいなぁ」


 彼女が形のいい眉をひそめる。


「なにが?」

「アプリの現在地、動いてないんだよね。学校のまんま」


 喉の奥で、呼吸をつめた。

 私たちが使っている位置情報共有アプリは、通常私たちの移動にちゃんと合わせて動いている。ただそれも、一時的に現在地を固定──いわば、実際動いていても、一箇所に留まっているように示すことができる。位置情報の共有という機能を、わざわざ停止させるのだ。

 彼女はピンときていないようだけど、同意を得ているはずの彼氏がその行動をすることの意味なんて、この場合一つっきりだ。


 私たちから離れているとはいえ、向こうのバス停はそのじつそんなに遠くはない。視力の問題はあれど、お互いなんとなく顔が把握できる距離だ。だから今まさにバスを降りてきた、見慣れぬ制服を着た男子が彼氏だということは、彼女にとって容易に分かることだろう。彼女に限って見間違えるなんてことはない。

 彼氏の後ろから誰も出てきませんように。

 僅かに息を呑んだ私の思いは、太ももに押し上げられるスカートによって裏切られることとなる。


「あ……」


 彼氏の後に続いて、彼氏と同じ学校の制服を着た女子生徒がバスを降りた。それだけなら何も問題はなかった。他に乗降者はいないようで、バスの扉はすぐに閉じられ、その場を走り去る。女子生徒はバスを降りた勢いのまま──これが問題だった──彼氏の腕に抱きついた。セーターに包まれた胸が、腹が、その片腕に遠慮なく押し当てられる。軽い衝撃を受け取った彼氏は、これといって何を言うでもなく、なんなら照れたような面持ちで、女子生徒相手に顔を寄せていた。

 ここからじゃ隙間なんて見えないくらい、密着するふたり。はたから見れば単なる恋人同士だ。

 そうだ。彼氏は浮気をしているんだ。事もあろうに、同じ学校の女子生徒と。彼女と学校が違うのをまんまと利用して。


 どさりと彼女のカバンが地面に落ちた、音がした。

 私は閉口する。浮気現場をの当たりにするというのは、どうもいたたまれない。しかし、さっきから無言の彼女に、私は友人として気を使ってやらなくてはならないだろうと、顔を横向けた。


「あー……──」


 悲哀に暮れているか、憤怒に燃えているか、どちらかと言えば後者だろうとは思っていた。


 ずる、と彼女の艶やかな髪が肩を流れる。じゃない。向かって。彼女の白くて細い首が、制服の襟首を離れて、上へ伸びた。私の可愛い彼女友人はろくろ首になって、異形と化す。ズルズルと顎と鎖骨との距離をのばし、彼女のなまっ白い肌に、鱗の模様が浮かび上がった。そぞろと這うように広がっていく青漆せいしつ色の鱗は顔に達し、陶器のように滑らかだった頬──今は声のない怒気が浮かぶ頬までをも染め上げた。


「ちょっと、いってくるね」


 彼女の体が変貌する。

 肩のラインを失って、腕と胴体とがひとつに溶け合う。鱗が広がる。あらわになるはずだった胸とお腹が蛇腹にかわる。


「あぁ、うん……」


 彼女の体が伸びて、伸びて、最後にずるんと服が落ちた。中身を失った制服が、落ちていたカバンに重なり、大蛇の姿になった彼女は遠くでむつみ合うふたりの元へと進み出した。アスファルトの上を蛇腹が這う音が、鼓膜にこびりつく。


 去っていく異形の蛇に、私は『安珍・清姫伝説』を思い出した。思いを寄せていた僧侶、安珍に裏切られた清姫が蛇に姿を変え、安珍を焼き殺すという伝説だ。


 私は彼女の残していった服やカバンに目線を落としていたが、ややあって向こうを見やった。

 真横に流れる運河にかかる橋を、二つの影が駆けている。その後ろを、大きな蛇が猛烈な勢いで追随していた。日が傾いてきた。空がぼんやりと、焼けたように赤くなる。三つの影は橋の上に、焦げのように浮かび上がった。あ、遅れていた影がひとつ転げて、後ろの大きな影に潰された。途端、鮮烈な赤い火花が散って、黒い煙が上がる。風の流れの影響が、どこか香ばしい、焼肉のような香りが私の鼻腔をくすぐった。


「……はは」


 口をついて出た笑いは、遠くから聞こえた甲高い悲鳴に塗り潰されたのかしら。

 いまだに鬼ごっこは続いているらしい。橋の上ではぷすぷすと炎が上がっている。黒い煙は上空へ浮かんで、茜色の夕日を覆うように広がった。宇宙と地球との間に滲んだ赤色と、濃淡を変える煙の黒とが、妙なコントラストを描いている。けれど、刺激としては、弱い。


 あの一瞬またたいた、目を突き刺すような火花の赤が、私の網膜に焼き付いて消えないのだから。

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