管理人の日常

「お前達、なんか焦げ臭いぞ」

 見事に緋々を祓い終え、ホクサイ先生の自宅兼アトリエへおもむいたリィンとシン。二人の顔を見た途端、着流し一枚だけを洒脱に着こなした伊達男──ホクサイ先生は、しかめ面を浮かべた。


「先生は酒臭いです」

 むっとして、リィンはお返しとばかりに、鼻を摘んでみせる。見れば先生は、素朴な焼き物の酒盃を傾けている。まだ昼前だというのに、これだけの酒気のにおい。さては寝起きから呑み始めたとみえる。


「昨日な、仕上げた絵と引き換えに、良い酒を貰ってやったんだ。呑んでやらなきゃ腐っちまうさ」

「お酒はそうそう腐りません」

「なんだよ、つまらねえこと言いに来たんなら、帰ってくれ。俺は今、忙しいんだよ」

 などとうそぶきつつ、先生はツマミ代わりに塩を舐める。


「どこがだよ、呑んだくれ」

 呆れ果てたと言わんばかりの、シン。

「ふん、青二才にはわかるまいよ。俺は今、朝から酒盛りするのを全力で愉しんでるのさ」

「わからねえよ。絵描きってのは朝から晩まで、紙の前でうんうん唸ってるもんじゃねえのか。こいつは日頃、そうしてるぜ」

 くいっと親指で、シンがリィンを指し示す。


「だから、一向に上達せんのだ」

 ばさりと斬られて、さすがのリィンもうなだれる。

窮屈きゅうくつな心のまま紙に向き合ったって、美しいものは描けねえよ。朝から塩ツマミにして酒も飲めねえような、つまらねえ人間にゃ、筆を持つ資格はねえのさ」

 暴論である。それらしい事を言っているが、結局酒が飲みたいだけなのだ。


「それでなに用だ。まさか本当に説教垂れに来たわけでもねえだろう」

「マサさんのお使いです。注文していた絵を引き取ってきてくれと」

「なんだあの野郎。ガキを使いによこしやがったのか?」

 非難がましい台詞に、リィンは首をかしげる。


「そんなに大きい絵なんですか? へっちゃらですよ、シンが居るから」

 帰り道も、瘴気を祓い終えたばかりだ。荷物が増えたところで問題はない。「荷物持ちかよ」という不平は無視する。


「そういうわけじゃねえよ」

 先生はそう歯切れ悪くこぼすと「まあ、いいか」と立ち上がる。

 そして絵を描くのに使っている文机の引き出しから、封筒を一つ取り出して、シンへと手渡した。


「それだけ、ですか?」

 思わずリィンが問うと「ああ」と返事が。

「中身は見るんじゃねえぞ。ガキにゃまだ早い」

 と言い渡されたのが早いか、シンは言いつけなど聞かず封筒を開く。

「ぐほおっ!」

 そして、中身を目にするやいなや、素っ頓狂な声を上げた。


「なんだよ、シン。意外にウブな反応を見せるじゃねえか」

 見るなと念を押しておきながら、注意するでもなくニヤニヤと笑う先生。

「なに? どんな絵なの?」

「お、お、おおお前は見るんじゃねえ!」

 気になったリィンが覗き込もうとすると、シンは焦り切った様子で中身の絵を遠避ける。

「なんでよ?」

 そうまでされると、ますます見たくなるのが人情というもの。どうにか一眼目にしようとシンへ組み付く。


「見ーせなさいよー!」

「や、やや、やめろって!」

 そんな二人の様子を、よいツマミになるとでも言いたげに、先生は酒盃を傾ける。


 これが、九龍街の管理人を務める少年少女二人の日常である。

 

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九龍街の管理人  楠々 蛙 @hannpaia

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