奥義・相生

「なんで俺が使いなんてやらなきゃならねえんだよ」

 ホクサイ先生の許へ向かう道すがら、シンがグチグチと不平をもらす。

「あんた、まだ言ってんの」

「九龍街の管理人てのは、はらい屋だろうが。便利屋じゃねえんだぜ」

「いいでしょ。住んでる人の助けになれば、それだけ瘴気も溜まりにくくなるんだから」


 瘴気は、人心の影響を大きく受ける。人の心がすさめば、それだけ瘴気が淀むのだ。

「その割にゃ、近頃妖魔が多くはねえか」

「しかたないでしょ。最近、九龍街へ移り住む人が増えたんだから」

 人が増えれば、それだけ心の逃げ道が失われるもの。

 そういう意味でも、敷地面積に対して人口密集率が二畳に一人などと噂されている九龍街は、瘴気が滞るのにおあつらえ向きな環境だと言える。


「勘弁しろよ。そいつら全員分の頼み事聞いて回る気じゃねえだろうな」

「もう、うるさいなあ。わたしだって管理人の仕事があるんだから、そんなになんでもかんでも聞いてる暇は──」

 ないと言い差して、ふとリィンは足を止めた。すかさず右手が腰の木剣へ伸びる。


 どうしたよと問おうとして、シンはすん──と鼻を嗅いだ。

 焦げ臭い炎熱と、獣臭が入り混じったにおいが、鼻を突く。

「なんだよ。ちっとは面白くなりそうじゃねえか」

 口許には、粗にして野という風な笑み。拳をぼきり──と鳴らして、いつでも飛び出せる態勢を取る。


 やがて通路の暗がりに浮かんだのは、ぼう──とともる人魂めいた二つの炎。

 揃って左右に揺れる炎が、のしりのしりと重い踏み音を響かせて近づいて来る。


緋々ひひ……!」

 現れ出たその姿は、赤毛の大猿ましら

 左右の手甲へ灯った、あかく燃ゆる炎を見れば、火妖に分類されると説明するまでもないだろう。


「いいねえ! こいつはわかりやすくてよお。火には水。単純だ!」

 シンの口上の通り、火へ相剋の相関性を有するのは水である。


水功すいこう水蛇掌みずちし

 床を蹴り、勢い足を飛ばして緋々との間合いを詰め寄ったシンは、水の練気をまとった掌打を打ち出した。

 対する緋々もまた、上背と同等の長さを有する、異様に長い腕を突き出した。


 打ち合う、熱風を巻く火拳と、飛沫を散らす水掌。

 果たして押し負けたのは、シンの水掌だった。


「くそっ、どういうわけだ!」

 水が火に競り負ける。これでは道理が通らないと、シンが吠える。

 五行思想では、必ずしも相剋が成立するとは限らないのだ。火の勢いが過ぎれば、たとえ水を掛けても蒸発してしまうのと同じように、本来滅ぼされる側の気が大きければ、相剋は成り立たない。


 緋々を構成する火の気が強過ぎるのだ。これではリィンの道術もまた、決定打には至らないだろう。


「シン! 金功を打ち込んで!」

 リィンが指示を飛ばすや「あん?」とシンは怪訝な声を返す。

 さもありなん。今さっきの戦闘では、金妖へ火功を打って祓ったばかり。ならば火へ金で対抗したところで、結果は火を見るより明らかだ。


「いいから!」

「……わかったよ!」

 任せろと言わんばかりのリィンに、シンは頷いた。やると決めれば、細かく問わないのがシンという男だ。

 

 猛火を振るう緋々の拳を潜り抜けて、シンは迷いなく金功の技を打つ。

「金功・鉄壊」

 鉄をも打ち壊す肘鉄が、緋々の鳩尾を捉える。だが、やはり手応えが薄い。


黒水くろみず──」

 リィンはあらかじめ取り出しておいた、軍用品払い下げの、丈夫な金属製水筒から水をこぼす。

「──砕水さいすい

 飲み口からこぼれた少量の水は、リィンの呪禁によりほとばしる水塊へと変わり、シンの打点へ重ねるように、飛び出した。


 五行の理論には、相剋と対をなす相関性が存在する。

 火に木をくべれば、その火勢を盛らせるように、一つの属性がもう一方の属性を、より強くする。これを相生そうしょうと呼ぶ。

 

 冷えた金属が表面に水滴を生じさせるように、金は水への相生を有する。


 緋々へと打ち出した水塊は、シンの金功を糧として冷気を放つ氷塊へと変じ、大猿の胴を氷漬けにした。


「シン! もう一発!」

「応よ!」

 阿吽の呼吸。二人が同時に、呪禁と練気を放つ。

「金功──」「黒水──」


金生水きんしょうすい壊法氷砕斧かいほうひょうさいふ

 芯まで凍り付かせた緋々の肢体を、必壊の斧と化した肘鉄が、打ち砕いた。

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