ふたりの地球人 🌎

上月くるを

ふたりの地球人 🌎





 入浴時につけたラジオで「ギョサン」という聞きなれない名前が連発されている。

 ん? と思ったらビーチサンダルを改良した漁業従事者用サンダルのことらしい。


 底を靴の裏のように加工してあるので、濡れているところでもツルッといかない。

 少し値段は張るが、一度履いたら病みつきになるスグレモノだと力説されていた。




      🩴




 あ、それ、あのとき欲しかったな~。

 ぬるめの湯船に浸かりながら思った。


 ちょうどいまごろ、シーズンオフの大磯の砂浜を履きなれないパンプスで歩いた。

 曇り空を映した海と空の境が曖昧で、それでいながら眩しくて、瞳孔が窄まった。


 海風に吹かれる同行四人の二人は夫婦で、もうひとりはレイコの職場の後輩男子。

 男性二人と女性二人に分かれたかたちで、イチイチ足を取られながら歩いて行く。


 三十分か一時間か……どうしてあんなに長く、何もない砂浜を歩いたのだったか。

 たぶんだが、遠くから来てくれた編集者への、ご夫妻のもてなしだったのだろう。




      🏄‍♂️




 やっと砂浜から解放され、古びて小さいながら趣きのある日本家屋へ案内された。

 こちらでオンザロックでくつろいでいてください、エプロンを付けた先生が言う。


 金髪をゆるく結わえた夫人はといえば、いそいそとウィスキーの用意をしている。

 あ、なるほど、これが日本人画家&アメリカ人学芸員カップルの日常なんだね~。


 十代で渡米して某州の大学教授になっている画家からオンラインで画集出版の打診があり、帰国に合わせて大磯まで打ち合わせに伺った零細出版社という取り合わせ。


 キッチンに入った先生をよそに、グラス片手の夫人はいたってご機嫌で平屋のなかを案内してくださり、後輩の英語力に助けられながら、レイコも多少の会話。(笑)


 日本の美術史に名を残す曾祖父の孫に当たるというだけあって、各部屋はもちろん廊下や階段に至るまで黄袋入りの額装作品が置かれている光景に、心底圧倒された。

 

 


      🍱




 ジュッという揚げ物の音がし始めて間もなく「出来ましたよ~」と声がかかった。

 三方に大きく取られた窓から梢越しの風が潮の香を運んでくる気持ちのいい台所。


 テーブルセッティングも完璧で、あまりの手際のよさに畏れ入りながら席につく。

 キスと秋野菜の天ぷら、地元野菜のサラダ、胡麻和え、さらに漬け物まで手作り。


 アメリカでも料理は夫の役目で、博物館長の夫人はもっぱら食べる役専門だとか。

 英語混りの話が弾み、ご夫妻に見送られて駅を出発したときは夕暮れに近かった。




      🚣‍♀️




 偉大な曾祖父の血を引く大学教授の趣味は、スケッチブックを持っての世界旅行。

 リュックには着替えのシャツと下着、水彩絵の具だけ入れ、足はビーサンの軽装。


 むかし流に言えばヒッピー風の格好で、どこの国へも気軽に出かけて行くらしい。

 ただし夫人は同伴しないというから、その間は料理から解放されるのかも。(笑)


 夕やけの湘南新宿ラインに揺られながら、もうひとりの地球人を思い出していた。

 こちらもまた仕事の関係で知り合った日本の大学の名誉教授で著名な物理研究者。


 小説のモデルとしても知られる学者先生も、画家先生と同様に旅慣れていらして、ほらねと見せてくださったバッグには、ワイシャツと下着しか入っていなかった。



 

      🛬




 中国武漢発で始まったコロナパンデミックがいまだに収束の気配を見せないなか、移動=人生のような地球人たちは、どのような時間を過ごしていらっしゃるのかな。


 乗り物酔いやら方向音痴やらで、なるべく家にいたい派のレイコは、さぞかしお歳を召されたであろう(当方も同じだけど(笑))おふたりをときどき想像してみる。



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