少年オオカミ

青木幹久

少年オオカミ

 そいつは最初、僕が昼寝をしているときに叫び出した。


「オオカミが出たぞー!」


 僕はその声で起こされて、何事かと、声のした方向へ歩いて行く。

 するとその声は街の方からしているようで、山の上から街を覗いてみると、少年が『オオカミが出たぞー!』と近くの家の人たちに向けて叫んでいた。

 おかしいな、僕はここにいるんだけど……、と思いながら、街の人たちが急いで家の中に引っ込んでいくのを眺めていた。

 猫かなにかを見間違えたんだろうと思い、僕は昼寝をしにねぐらに戻った。


 でも次の日も、『オオカミが出たぞー!』という声が町の方から聞こえてきた。

 僕はびっくりして、獲物のうさぎを思わず逃がしてしまった。ちぇっ、なんだよもう、と思いながら、僕はまた、街の方を見下ろしてみる。

 またも昨日の少年が、『オオカミが出たぞー!』と叫んでいた。

 今度はタヌキかなにかと見間違えたのだろうと思い、僕はまた、お昼ごはんを探しに森の中へ戻っていった。

 街の人たちはまた、急いで家の中へ入っていった。


 その次の日も、少年は『オオカミが出たぞー!』と叫び始めた。

 僕はまたかと思って、木の葉で遊ぶのをやめて、森を抜けて、街が一望できる場所に出る。

 少年は今日も『オオカミが出たぞー!』と、昨日と全く同じ言葉を叫んでいる。僕はもしかしたら、少年は人じゃなくて、はと時計かなにかで、人々に時間を知らせているのかもしれない、なんてことを思った。

 その証拠に街の人たちはもう驚いて家の中に戻ることはなく、少年に冷たい目を向けていた。


 次の日、僕は初めから街が見える場所に座って、少年が叫び始めるのを待っていた。

 すると少年は、少しボロボロの家から出てきて、昨日と同じ服を着て、『オオカミが出たぞー!』といきなり大声で叫び始めた。

 周りにはタヌキや猫どころか、なんの動物もいない。少年はそのまま、街の中をぐるりと一週したところで、窓から顔を出した大柄のおばさんに怒鳴られて、バケツで水をかけられてしまった。

 少年はなにかをしゃべった後、大声で笑って帰って行った。


 次の日も少年は同じ服を着て家から出てきて、『オオカミが出たぞー!』と叫び始めた。

 僕はそれをだまって見つめていた。すると少年は大勢の子供達に囲まれて、足で蹴られたり、木の棒で殴られたりされはじめた。

 たいへんだ! 助けなきゃ! 僕はそう思って、急いで山を下りようとしたけど、その前に子供達は帰って行った。

 少年は傷だらけになって、ボロボロの家へ帰っていった。家の前には、たまごの殻や虫の死体が捨てられていた。

 少年はもう、笑っていなかった。


 次の日、僕は少年が心配になって、こっそり街へ下りて、畑の中に隠れていた。

 すると少年はまたまた同じ服を着て、『オオカミが出たぞ-!』と、またまたまたまたおんなじことを叫び始めた。少年の身体は、あちこちかさぶただらけだった。

 街の人たちはもう驚くこともなく、少年を煩わしそうに見つめながら、家の中へ帰って行った。

 すると少年の元に、昨日少年をいじめていた子供達が現れた。子供達は少年に、『おまえ、いつまでおんなじこと言ってるんだよ』『ホラ吹き! ホラ吹き-!』『知ってんだぞ、おまえんちのかあさん、お酒ばっかりのんでるんだろ!』そんなことを言い始める。

 少年の顔は子供達の言葉を聞いた途端にくしゃりと歪んで、うずくまって泣き始めた。

 子供達は少年を囲んで、『やーい! 泣き虫! 泣き虫!』『どうせそれも嘘泣きなんだろ!』と、笑いながら言いながら少年の顔や腹を蹴る。

 僕は急いで畑の中から飛び出して、子供たちのもとに駆け寄る。

 そして『グルルルルー!』と喉を鳴らして威嚇する。それに気付いた子供のひとりがこっちを向いてぎょっとした。


「オ、オオカミだ!」


 子供のひとりがそう叫ぶと、続けて他の子供達もこっちを向いて、同じようにぎょっとした。『逃げろ!』、ひとりの子供がそう言ったのを皮切りに、子供達はあちこちに走って逃げていった。

 僕はうずくまったままの少年の元に駆け寄ると、痛くないように傷をぺろぺろと舐めてあげる。少年は目を丸くして僕の顔を見た。


「ぼくを食べるの?」


 少年はそう言って、仰向けに寝転がった。僕は『違うよ』と伝えようと思って、首を横に振る。

 すると少年は『そっか』と言って、続けて『なら、僕を助けてくれたの?』と言った。

 今度は肯定の意味を込めて、少年の鼻を舐めた。

 すると少年は、『ありがとう』と言った。僕は『そんなことないよ』と、しっぽを振った。少年は傷だらけの顔を笑顔にして、『きみは、優しいね』と言ってくれた。

 僕は嬉しくなって、またしっぽを振ってしまった。

 ──『でも、ぼくを助けたいなら』。少年はほんの少し、寂しそうな顔をして、『ぼくのことを、食べてくれない?』と、そう言った。

 僕は少年に、『どうして?』と言った。だって、食べることはおいしいけど、食べられることはとっても痛いんだよ?

 少年はそれも分かった上で、そう言っているのだというように、寂しそうに微笑んだ。

 僕はそれ以上何も言えなくなって、ただ寂しそうな少年の顔を見つめるしかなかった。



 満月が森の中を照らす中で、僕は今でも、あの日のことを思い出す。

 少年の寂しそうな笑みも、なぜ少年が毎日、嘘をついていたのかも、今ではその理由が全て分かるようになった。

 それでもまだ、あのときの僕の行動が正しかったのかだけが、分からない。

 だからずっと、考えていくのだろう。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 あの少年は本当に、救われたのかを。


 少年だったオオカミは、ほんの少しだけ、大人の狼になった。

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少年オオカミ 青木幹久 @mikihisa1206

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