佐山の訪問②
――俺がここに来た目的はね、きみがアリエスと呼んでいるその怪物の捕縛だ。
脚を組み、よれた白衣のほとんどが血で染まり、右手でカフェオレの入ったカップをテーブルに置く。
佐山透の眼差しはいつになく真剣だった。発する声は低く、雰囲気も変わっていた。
僕が言い逃れができる立場でも、状況でもないことは明らかだった。
「これを、捕縛できるんですか?」
僕はおそるおそる尋ねる。だが、答えはわかっていた。
「できるから、こうして堂々と話しているんだけどね!」
佐山透は、こうも言った。
今の怪物の主は白部くん、きみだ。きみが
口調はまともになり、柔らかな声だったが、どこか圧があって、言霊で押されているような気さえした。
ごまかしも言い訳もするな。喉がつぶれそうだった。僕は記憶をさかのぼって、口を開く。
「佐山さん、以前僕の家の前まで来てましたよね」
「うん、来たよ!」
「どうして、ですか。僕は最初から、貴方みたいな人と仲良くしたりしたくないんです、疲れるし。なのに、文化祭のときはやけに絡んできて、嫌悪感があったのは確かです。でも、家までくる理由が僕にはわからなかった。あのときはアリエスもいましたから、それが記憶されてしまったのではないでしょうか」
「なるほどー? どちらかというと賢い怪物なのかなぁ。基本的に記憶力ゴミ以下のはずだけど」
記憶力ゴミ以下。「本当に、研究者なんですか? そんな言い方――」
「じゃあ言うけど」
僕の言葉をさえぎって、今度は確かに威圧的に言った。「じゃあ言うけど、白部くんはそのアリエスって怪物に、何を命令したの? 自分が恐れるもの、嫌うものをすべて排除しろって言ったの? それなら納得するよ。俺はきみに嫌われているんだから、一回殺されても仕方ないよね。でも君はそんなことを命ずるとは思えないんだけど」
僕は、もう何も言えなくなってしまった。どうすればいい。何をすればいい。この人は、どうしたら帰ってくれる? 僕の今の日常を、壊さないでくれる……?
僕の今の日常?
母は帰ってこないし、いつも喧嘩ばかり。妹はアリエスに任せっぱなし。母と妹が密会。父親はそれを僕のせいにする。アリエスは勝手に暴走する。翌日父親は倒れて入院。刺青がバレて指導対象。
なんだ、最近なんなんだ。こんなの、僕が望んだ日常なわけがない。どこから、こんなにおかしくなってしまったんだ。母は変わらない。いつもどおり。母と妹の密会なんて知らない。父親が僕のせいにするのはいつものこと。
なるほど。これは全部僕のせいか。僕がいたから両親は離婚し、僕がいたからこじれたのか。なるほど。よくわかった。
「僕は、アリエスを、どうすればいいですか?」
僕はどんな顔をしていたんだろう。佐山透の目が見開いた。顔から表情が抜けていった。そしてひとこと。
――――手放せ。
「どうやったら、手放せますか」
「怪物は、白部くんの左腕に収納されている。左腕を代償に、契約したでしょ。何を望んだ?」
「――――
「そんなふんわりしたもの!」
佐山透は険しい顔でため息をついた。なにかまずかっただろうか。
「人の幸福なんて、怪物にわかるわけがない。幸福につけこんで、怪物はなんでもやるぞ。妹の幸せのために別のひとを殺すことだって命令だと思って完遂する」
「そ、そんなこと僕は命令してな――」
「してなくても、怪物は人じゃない。都合よく解釈する! 極悪人と同じだ。良かれと思って人を殺した。そんな言い訳が通用するか? そもそも殺人は罪だ。だが怪物がやったとなれば裁けやしない。一番厄介なケースだ」
そうか。そうだな。アリエスの問題も結局遡れば僕の起こしたことだ。すべての発端は僕にあるのだ。だったら。
「あの、もし、僕が知らないところでアリエスが罪を犯していたなら、それは全部僕がかぶります。彼女の主は僕ですから」
「だが君はまだ未成年で、未来もある。本当に、罪人になる気なのか?」
「曖昧な命令を出した僕も悪いです。どうせ、僕はいないほうがいいでしょうから、牢の中で過ごすのも悪くないかなって」
佐山透の目は、咎めるような哀れむような複雑な視線だった。最後はわかったとだけ言って、怪物と分離する方法はこちらで探します、と帰っていった。
自らの研究に全面協力する、という条件付きで。
三日月と薔薇に左手を添えて。 絃琶みゆ @Itowa_miyu1731
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