第5話(最終話)
いつもの朝。
いつもの道。
いつもの街並み。
いつも、いつまでも変わらないこの景色。
それはそうだ。なんせ同じ日を幾度となく繰り返しているのだから。
僕は、これまでこの繰り返しの毎日を実感する度に、憂鬱な気分になっていた。
しかし、だ。よくよく考えてみると、この現象が起きる前と今とでは何が違うのだろうか。同じ日々を過ごす、という点では両者には何の違いもないように思える。
大学でもみんな口を揃えてこう言う。「毎日同じことの繰り返しは飽き飽きだ。もっと刺激的で変化のある日々を過ごしたい」と。しかし、実際にそんなことを心から望んでいる人はいない。新しい環境に身を置いて変化のある日々を過ごすよりも、慣れ親しんだ環境でぬくぬくと過ごす方が本当は心地よいのだ、という事にみんな内心気が付いているからだ。いつもと同じ場所で、同じ時間に、同じ人と同じことをする。人々は「いつもと同じ」ことにささやかな幸せを見出しているのだ。
その理論で考えると、僕は今、至極の幸せを手に入れたことになる。日付すら変わらない、何も変化することのない世界に僕はいる。さあ、僕は今幸せだろうか。論じる間もない。答えはノーだ。人間は往々にして、理想に近づきすぎると、今度はその反対を望むようになる。つくづく人間は傲慢で我儘な生きものであると思う。
しかし、今回のこの繰り返しは何も全てが悪いものでは無かった。このふざけた世界での生活を通じて、自分の理想や幸せは、自分で掴み実現するべきものだ、という事を何となく実感できた気がしたからだ。
だから、これから僕は自分の幸せをこの手で掴みに行くのだ。
そろそろ、いつもの大学が見えてくる。
……どうやって二人に相談しよう。教室への階段を上りながら、僕は悩んでいた。
「自分の幸せをこの手で掴みに行く」と意気込んでおきながら、早速挫折しそうである。
思えば、これまで僕はあの二人に相談らしい相談はした事が無かった。二人に余計な心配をさせないため、というのは聞こえの良い表向きの理由だ。本当は、二人に全てを打ち明ける事で自分に対する接し方が変わってしまうこと、もっと端的に言えば二人に嫌われてしまうことを恐れていたのである。結局、自分勝手な考えである。いつも僕は何かに怯えて、言い訳を並べてそこから逃げていた。いつだって本心で向き合う事もせず、ひたすらに自分を守ることを優先していた。
そんな自分を変えたい。変わりたい。繰り返したくない。
……今度は、変化する事を望むのか。
聞いて呆れる。やっぱり人間は傲慢で我儘な生きものだ。
そうしているうちに、教室に着いてしまう。
答えはまだ出ていない。
北川はいつもの席に、いつものように座っていた。
授業が始まると、やはりいつものように話しかけてくる。
「なあ、知ってるか? 猫って――」
「っその猫のことなんだけどさ」気が付いたら声に出していた。「もし、もしもだよ? もし、北川の目の前で猫が自殺しようとしてたら、どうする?」よく考えずに話し出したものだから、めちゃくちゃな事を口走ってしまった。
「はぁ?」
「いやっ、だから、猫が目の前で落ちそうになってたらどうす――」
「助けるだろ」
「え?」
「助けるに決まってるだろって言ったんだよ」
「でも、猫が自分から望んで飛び降りようとしてたとしたら……? それを無理やり助けてもいいの?」僕は責めるように捲し立ててしまう。
「いや、関係ないだろ。俺が助けたいって思って助けるんだから。命救う事に何が問題あるんだよ」
「で、でもさ、そんな自分勝手なこと……」
北川が初めて苛立ちを顔に示した。
「あのさぁ、お前は猫を助けたいの? それとも見殺しにしたいの?」
「もちろん助けたいとは思うけど、けどさ……」
「なら助ければいいじゃんか。自分の人生の主人公は自分しかいないんだから、自分の人生を自分勝手に生きて何が悪いんだよ?」
「……。」
「俺はバットエンドが嫌いなんだよ。だから主人公の俺が猫を助けてハッピーエンドで終わらせる。俺は自分勝手に俺の物語を作っていくって決めてんだよ」
思わず笑みが零れてしまう。「よくそんな恥ずかしい事、堂々と言えるね」
「ばーか。お前が主人公面してないからだよ」
自分の人生、か。
今まで、自分勝手なことは悪いことだと思っていた。
けれど、北川の話を聞いたことで「必要な自分勝手」もあるのだという事に気づかされた。これまでは、逃げるため、自分を守るためにしかそんな考え方はしてこなかったんだな。
自分勝手に命を救う。そんなこと、僕がやっても許されるのだろうか……。
いつものように授業が終わり、いつものように昼休みになった。そして、いつものように三浦さんがやってきた。
僕は、三浦さんにも北川に聞いたのと同じ質問をする。けれど、なんとなく答えはわかるような気がした。
「そりゃあ、助けるでしょ」三浦さんが椅子に腰掛けながら言う。
「でもさ、その猫が自分の意思で飛び降りたとしたら?」
「そんなの知らないよー。けど、そのまま何もしなかったら後で絶対後悔するでしょ?」「何もしないで後悔するよりも、何かしらして後悔した方が自分の中で納得できるじゃん。これ、私のモットーなんだ」少し恥ずかしそうに、しかし自信に満ちた顔で三浦さんは言った。
「けど、後悔って辛くない?」
「うん。辛いかも。だけどさ、そうやって後悔を積み重ねるからこそ、ある時自分の行動が誰かを救ったり、何かを生み出したりしたときに、あぁ私のこれまでの後悔は無駄じゃなかったんだなって、私の存在価値はここにあるんだなって、思えるんだよ。……ちょっと大げさだけどね」
僕はそれを聞いて、これまでの自分は「後悔すること」自体を必死に避けてきたんだと気が付いた。
この二人は、僕の知らない世界を見せてくれる。
だけど。だけどさ、自分の人生を自分勝手に生きるのも、後悔することを恐れずに行動するのも、あの強い二人だからできる事なんじゃないのか?
僕もあの二人みたいに強くあれば、こんなに悩むことなく猫を救えたのだろうか……。
そういえば、と三浦さんが話題を変える。
「ねえ、浅野くん。今、長谷川ちゃん大変らしいね」
……またこの話か。この二人と話していると必ず長谷川さんの話題が出るのだ。
思い返せば、始めて長谷川さんと話した時も、連絡先を交換した時も、デートに誘おうとした時も、いつもこの二人が手伝ってくれたのだ。
けれど、今はそんな話をしている場合ではないのだ。早くこの5月12日を抜け出さないと、長谷川さんと話すことも、ましてや助けることもできない。
……。
そうか、これだ。
僕は今、なんて思った?
長谷川さんと話したい。長谷川さんを助けたい。だから、5月12日を抜け出したい。
そう、僕はこれまで猫を助けようとする時に「理由」というものを持っていなかったのだ。
猫を救うんだ。……どうして?
心の中で無意識に疑問に思っていた。だからいつも僕は逃げていた。
理由もないのに自分勝手に行動できない、と。
理由もないのに後悔なんて背負いたくない、と。
きっとあの二人なら、「理由なんてどうでもいいじゃん」と言うんだろう。
そして、何でもないように小さな命を救って、また明日へと進んでいくんだろう。
だけど、僕はあの二人みたいに強くはないから。
どうしても理由が必要なんだ。
自分勝手に生きようと思える、後悔してもいいからと思える、そんな理由が。
やっぱり、二人に話して良かったよ。
突然、今まで黙っていた北川が僕の背中を叩いた。
「今、目の前の猫一匹を救えない奴がな、明日、好きな人を救えるわけないだろ!」
僕は立ち上がる。
もう迷いはない。
君を救うために、これからあの猫を助けるんだ。
なんて、今回だけは、君を理由にさせて欲しい。
「ありがとう!」
そう言って走りだした僕の背中に、三浦さんの声がかかる。
「浅野くんの人生の主人公は、浅野くんしかいなんだからねー! 全部助けてこーい!」
……あの二人、やっぱりお似合いじゃないか。
僕は走った。風のように、は少し誇張が過ぎるけれど、今までで一番早く走ったのは確かだ。だけど、不思議と息切れはしなかった。
もうすぐ決戦の地だ。
今日で、今日を終わらせる。
これまでの「今日」を背負って、ありったけの思いをここで。
目線の先にあの橋が見える。今日もいる。あの猫だ。
僕は走る脚に一層の力を込めた。
決着は、あまりにもあっさりついた。
橋に到着して、今度は歩みを止める事なく腕を伸ばして猫に近づく。
恐る恐る、しかし確固たる気持ちを持って。
すると猫がこちらを振り向いたかと思うと、飛んだ。
僕の方へ。
猫は、僕の伸ばした両腕にきれいに収まるように飛びついてきた。
驚いた僕は尻餅をついてしまう。
……助けた、のか?
赤い首輪をつけた猫は、僕の腕の中で丸くなってすっかりくつろいでいた。
丁度その時、ポケットの中でケータイが震えた。
見ると、差出人は三浦さんだった。
『長谷川ちゃん、飼ってる猫が逃げちゃったんだって! だから落ち込んでたんだね。写真送るから、浅野君も探してあげて! 〈写真〉 』
添付されていた写真を見てみると、何てことだろう、今まさに目の前にいる猫とそっくりではないか。毛の色は勿論、あの特徴的な赤い首輪もまさに写真のそれと瓜二つだった。
「おまえ、長谷川さんちの猫だったのか」
猫は一言、ニャーと鳴いた。
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ここから先は、取り立てて話す事でもないだろう。
あの後、無事に猫を長谷川さんに届け、それがきっかけとなったのかは定かではないが、何度かのデートを重ね、僕は晴れて長谷川さんと交際することになった。
猫を助けて、それがきっかけで交際が始まる。
どこにでもあるような、ありふれた話だ。
ただ一つ、同じ日を何度も繰り返していたことを除けば。
あの日以降、同じ日を繰り返すということは無くなった。やはり、不平等な神様のいたずらだったのだろうか。
それと、結局あの猫が本当に自殺しようとしていたのかは、わからずじまいだった。無論猫がしゃべる訳もなく、謎は永遠に迷宮入りとなった。
今回の一件を通じて、別に自分勝手に生きようとか、後悔するのも厭わないようになったとか、決してそのようなことは無いのだけれど、ただ一つ、友達とは偉大な存在である、という事だけははっきりと胸に刻まれた。
さあ、そろそろ時間だ。
今日は四人で駅前の居酒屋に行くのだ。
明日が来る喜びと、大切な人達に囲まれて過ごす幸せを噛みしめながら、僕は今日を生きていく。
〈終〉
あの日をつかめ 旭川 あさひ @TK_a
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