後編




 それ以来、シューディルはますますエリザと離れがたくなっていった。その一方で、エリザがシューディルに対して彼がエリザに向ける感情と同じものを抱いてはいないということもちゃんと理解していた。

 それでも彼女のとなりはいつだって自分のものであって欲しかったし、成長して魔法学園に入学してからもそれは変わらず、ポーラノルの村の領主の屋敷のクヌギの下に似たこの広葉樹の下でエリザと会う時間を何よりも大切に思っていたのだ。


 もちろんエリザはシューディルがそんな風に思っていることを未だに知らなかったし、しかしこの広葉樹の下になつかしさを感じているのは同じだったので、故郷にいた時と変わらずシューディルとこの樹の下で過ごす時間に安らぎを感じてはいた。

 エリザはふと、今、目の前にいる可愛らしい人がこの場所でシューディルと会っていたのを見た時に少しだけ気持ちが暗くなったことを思い出した。それはきっと、故郷のあのクヌギの下やそこでシューディルと過ごした日々をかすめとられたような気持ちになってしまったからだろう。


「何やってるんだ?」


 可愛らしい人の傍に控えている女子がエリザを責めるような言葉を向けてきたことにどう返していいかわからず黙っていたエリザの脳裏には故郷でのシューディルとの日々が思い返されていた。その思考の海からエリザを引き上げたのは、その中にある耳慣れた低い声だった。


「シューディルくん!」


 ひときわ高い声で、可愛らしい人がその名前を呼んだ。振り向くと不機嫌そうに眉間にしわを作ったシューディルが腕を組んでそこに立っていた。可愛らしい人とお付きの女子たちは驚いた様子を見せたが、エリザにとっては驚くことはなく、シューディルだってこの場所によく訪れるのだから今日もそうであってもなにもおかしくはない。

 シューディルが会話を聞いたのかどうかはわからなかったが、彼は厳しい視線を可愛らしい人に向けながらエリザの傍に歩み寄り、広葉樹の下でじっと座って女子たちの言葉を受けていたエリザのとなりに当然のように立った。お付きの女子たちが睨むようにエリザを見たが、エリザにはそれがどうしてかわからなかった。


「シューディルくん、わたし、その……もう一度シューディルくんとちゃんと話したくて……」

「話すことなんてない。エリザに何を言ってたんだ?」

「シューディルに付きまとわないでって言われたんだけど」


 可愛らしい人とそのお付きの女子たちがシューディルの問いに答えあぐねているのを気にすることなくエリザが答えた。


「シューディルのこと好きじゃないならって……わたしはシューディルのこと好きなんだけれど、それじゃあ駄目みたい。彼女もこの間ここでシューディルに好きだって言っていたでしょう? 好きに違いってあるのかな?」


 シューディルはぎょっとしてエリザを見下ろした。「見てたのか!?」と声を上げた彼に、偶然見かけたことと、ローレンも一緒だったことをきちんと報告した。


「それで、恋人になりたい好きって、他の好きとはやっぱり違うのかしら? って疑問に思ってずっと考えていたけど、よくわからなくて――シューディルのこと好きだって言ったらそういうことじゃないと言われたし、恋人になりたい好きじゃないと一緒にいちゃいけないなら、違うのよね……」


 シューディルが望む意味とは違うのはわかっていたが、くり返し好きだと言われてシューディルは今にも飛び出そうになる心臓を飲み込むのに必死で口を開くことができなかった。そんな幼馴染の心情には気づかず、エリザはハッとして可愛らしい人に視線を向けた。


「そうだ! 折角だから、教えてくれない? あなたの“好き”ってどういうものなの?」

「ど、どういうって……」


 突然興味を向けられ、可愛らしい人は動揺しながら口ごもった。「質問がざっくりしぎているのね」とエリザはあごに手を当てて考えた。

 この問題はエリザが魔法学園に入学してしばらくしてから気がついたものだった。シューディルは故郷でも人気者だったが、魔法学園に入学してからますます人気になり、特に女子生徒から好意を寄せられることが多くなった。

 そして彼が好意を寄せられるのに比例して、彼の幼馴染であるエリザの元にはこのベティと呼ばれた可愛らしい人のようにエリザに苦言を呈しに来る女子が増えていったのだ。彼女たちの決まり文句は「ただの幼馴染なのに」だ。そして「シューディルくんに近づかないで」とか「シューディルくんに付きまとわないで」とかつづく。そう言われても友人や幼馴染というものは他人に言われてやめるような関係ではないとエリザは思っていたし、エリザはそういう関係性の中でシューディルのことが「好き」だと心から思っていた。シューディルがエリザがとなりにいることを嫌がったならともかく――それを想像すると、エリザはどうしようもなくむしゃくしゃして、折角書き上げたレポートの紙をボロボロに破りたくなるのだが――そうではないのに「付きまとっている」と思われるのは心外だ。

 最初はただただ彼女たちの言い分がよくわからなかったが、少しすると彼女たちの口にする「好き」はエリザがシューディルに対して思っている「好き」とは違うらしい。ということに気がついた。それ以来、エリザはその違いについて興味を抱くようになったのだ。


「恋がどういうものかっていうのも、ざっくりしすぎているかしら? うーん……具体的にシューディルのどういうところに好意を持って恋だって判断したのか知りたいのだけれど……順を追うのがいいのかしら? シューディルと知り合ったのはいつ頃?」

「えっ?」

「知り合って、好意を持って、何かきっかけがあって恋になったんじゃないかって考えたんだけど、違うの?」

「こ、恋は突然落ちるものなの!」

「落ちる?」


 助けを求めるようにシューディルを見上げたが、シューディルの方がどうしてか助けてほしそうな顔をしていた。


「それは……どういう現象なの?」

「げ、現象?」

「突然恋になるということ?」

「そうよ!」

「それじゃあ、顔を合わせてすぐに恋だとわかるものなのね?」

「そういうわけじゃない!」


 すぐさまシューディルが口を挟んだ。それではひと目惚れしか存在しないことになるが、エリザがそう結論付けるとシューディルには困ったことになるからだ。


「もともと知り合いで、何かきっかけがあって恋になることもある」

「きっかけって?」

「それは……人によると思う……」

「色んなパターンがあるのね……」


 エリザは納得したようにうなずきながら視線を可愛らしい人へと戻した。


「あなたはシューディルと顔を合わせてすぐ恋になったということ? それにもきっかけがあるの?」

「シュ、シューディルくんはかっこいいもの!」

「かっこいい……? 顔を合わせてすぐなら、顔のことよね?」


 そう評されることがあるのは知っていたが、見慣れた顔すぎてエリザはいまいちよくわからなかった。「それも人それぞれだろ」とシューディルはやや肩を落としながら告げた。


「でも確かに顔がいい人はよく告白されている気がする」

「……エリザもかっこいいと思う相手がいるのか?」

「わたし?」


 恐る恐るたずねたシューディルに、エリザは悩むそぶりを見せた。


「うーん……ライナス先輩とか?」

「えっ!? いや、でもあの人、同じ学年に恋人がいて……」

「シューディル、どうして慌てているの?」

「あ……いや……何でも……ただ、エリザが先輩のことかっこいいと思っていた何て意外だと思って……」

「シューディルがそう言ってたし、たしかにそうだなって」


 当たり前のようにエリザは言った。


「それで、つまりあなたはシューディルの顔がかっこいいなと思って恋したのね。確かにわたしの“好き”とは違うわ」


 可愛らしい人とお付きの女子たちはそろって微妙な顔をした。エリザに他意はなかったが、シューディルの顔だけに惹かれたと言われたように感じたからだ。実際にそういう一面もあったのだが、彼女は表立ってそれを肯定するほど愚かではなかった。


「顔だけじゃないわ!」


 さすがにシューディル本人にそう思われてはと可愛らしい人は声を上げた。


「でも顔を合わせてすぐなら、見た目以外はよくわからないんじゃないかしら?」

「さ、最初はそうでも、それから他にも好きなところが増えていくの!」

「なるほど、それはわたしの“好き”と同じね。具体的には?」

「えっ」

「増えていくところは同じでも、内容は違うかもしれないし」

「それは……シューディルくんは、かっこいいし……性格も、いいし……騎士としての実力もあるし……」

「確かに騎士のコースの成績はいい方よね。もっといい人もいるけれど。性格もいいと思うけれど、もう少し具体的に教えてくれる?」

「えっと……あ、あなたこそどうなの!?」

「うーん――シューディルは、わたしが本に夢中だといつもは静かにしていてくれるけど、必要な時は時間を教えてくれたり、おじさんやおばさんが手伝いが欲しそうなときは先に気づいて行動したりして視野も広くてしっかりしているし、どんなにふざけている時でも誰かが嫌がることは絶対にしないし、頼りがいがあって、それから――」


 エリザが言葉を連ねるにつれ、目の前の可愛らしい人の顔が悔し気に歪んでいった。シューディルは緩みそうになる表情をなんとか引き締めながら「エリザ」とその名前を呼んで、淡々とエリザから見るシューディルの性格のいいところを上げる彼女の言葉を遮った。


「やっぱり話すことはないみたいだな」


 可愛らしい人をまっすぐ見つめて、シューディルはきっぱりと言った。


 シューディルはこの自分に恋人になって欲しいと言ってきた女子生徒が今まで付き合ってきた男子生徒が、みんなそれなりに顔がいいと評判の男子だということを知っていた。友人たちと話題になったことがあったからだ。彼女自身の見た目が可愛らしいので男子生徒から人気があったが、さえない容姿の者は相手にもされないがそうでない者に対してはその可愛らしさを存分に見せてくれるのだという。その話をしてくれたのは彼女と少しだけ恋人になったことのある友人で、彼女が巧みに隠していたそういう一面を偶然見かけ、嫌気がさして別れたのだと彼女に告白しようと考えていた別の友人に忠告していた。


 彼女が言うシューディルの性格のいいところはきっと一つも具体例が上がらないだろう。


「もう俺たちに付きまとわないでくれるか?」


 エリザは驚いてシューディルを見上げたが、その隙に可愛らしい人とそのお付きの女子たちは悔しそうな顔をしたまま足早にその場を立ち去ってしまった。


「あんな言い方はよくないと思うけど」

「あのくらいきっぱりと言わないとしつこくされるんだ」


 「迷惑なんだ」とシューディルは言った。


「結局恋についてよくわからなかったわ……」


 エリザはがっかりとして足元を見つめた。広葉樹の葉の影が地面にまだら模様を作っている。風でその葉が揺れると、それに合わせて影もゆらゆらと揺れ動いた。それはあのクヌギの下でシューディルが見せてくれた魔法によく似ていた。「別にわからないままでもいいと思うけど」と言いながら、シューディルはそんなエリザのとなりに腰を下ろした。


「好きってそんなに違うのかしら?」

「そうじゃないか?」

「シューディルは違いを知っているの?」

「知ってるけど、みんな違うものだよ」

「シューディルも恋をしているの?」

「……しているよ」

「シューディルにとってどういう気持ちが恋?」


 シューディルはいつもと変わらない視線でエリザを見た。彼女は子どもの頃シューディルがはじめて魔法を見せた時のように純粋な興味でその瞳をきらめかせていた。


「しゃべったりしてなくても、全然違うことをしたりしていても、一緒にいてほっとして、ずっと一緒にいたいと思う気持ちかな。エリザはどう思う?」

「どうって……」

「ここまでの話を聞いた仮定でいいよ」


 「うーん」と首をかしげながら、エリザはまた足元に視線を落とした。あの日のように足元の影はまだゆらゆらと揺れ動き、こぼれ落ちた太陽の光がその合間で輝いている。エリザはハッと顔を上げ、その光よりまぶしい笑顔でシューディルを見上げた。


「わたしが何かを見てきれいだなと思った時、相手も同じように感じていたらいいのにと思う気持ちかしら」


 シューディルも同じ笑顔を返したのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

エリザは恋について考えていた 通木遼平 @papricot_palette

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ