episode 壱 - ②
*
夢を見ている。
ぼんやりした意識の中、それが呪いの見せる白昼夢であることを、
「ねえ」
誰かの呼びかけに応じて振り向いた視界に映るのは、異なる世界だ。
これは遥か遠い誰かの記憶。
「はじめ神様が世界を作った時、神様に心はあったと思う?」
*
傾いだ
瀑布に落ちて地の底まで呑まれずに済んだのは幸運だったが、断崖を登るのは難しそうだとひっくり返ったまま思案する。
どうにか引っ掛かれた岩棚はひとまず崩れる様子はない。
立ち上がりながら周囲を見渡して、どこか上へと続く道があればと歩き出せば、脚は自然とその古い
文明は常に
単に
その
辺りの石くれを裏返すと、その下から小さな小虫の類が這い出てきた。
そいつは糸のような
半ば埋もれた峡谷の底に、
遺跡だ。
かつてあの
だがそれも今は昔。眼前に穿たれた大穴は横倒しの奈落にも似て小虫たちはその奥底へと列を為して行進する。
何か予感めいた確信があった。
投擲した剣の代わりに、
あるいは遺跡の暗闇から聞こえるその呼び声は、反響する電波がまるで
それは遥かな昔、まだ世界の全てが神に守られていた時代に、神が
誰もが神の声を聴き、誰もが神の力をその身に宿し、誰もが神との繋がりの中で生きていた。その残滓に触れれば、あるいは自分にも再び神の力が蘇るのではないか。
そんなことを考えながら、
ひょっとすると、無数の
何を怯えている? 恐れ知らずの
全ての生命は
暗闇の中に、ぽつん、と小さな光が見える。
まるで
だが違う。ならばあんなに小さくはない。
ぼんやりと光るその筒に誰かが収まっているとしたら、それこそ
その祭壇の礎石に刻まれた文字を読む。
「…………
まるで聞いたことのない名だった。その言葉の持つ意味するところを理解するより早く、塵を払うために触れた指が淡い光に照らされた。
碑文が光っている。いや、違う。光の源は、筒の中から漏れ出した何かだ。
ゆっくりと筒が開き、その中にあったものが、
これはなんだ。
こんな地の底の
生き物とさえ思えない、恐らくはきっと無機物ですらない。それは酷く奇妙で奇怪で、形容する言葉さえ持ち合わせないそれを、けれど
であればこれは、
筒の中で脈打つ
威嚇するように立ち塞がる
――なんだ、こいつらは。
棲み処にするにはどう見ても向いていない奇妙な
いや。
そもそも自分は何故
『―――――――――か?』
どこかで何かが音を立てた。反射的に飛び退って、壁を背に音の出所を探る。誰かの気配など微塵もなかったはずだ。背後か、頭上か。周囲に警戒を向けながら、しかし音の由来がその何処からでもないことを既に知っている。
認められないだけだ。
『何かお役に立てますか?』
声は、
そのことに気づいたとき、
不快ではない。
それはまるで生まれた時から続いているかのような違和感のない安寧であり、だが同時にその感覚を本能が拒絶しないことを理性が警告する。
その隙間が不安を生んだ。
「お前は誰だ! 何処から話し掛けている!!」
出来るのはただ、応える声を待つことだけだ。
『
脳髄の奥の、その更に奥へと投げ込まれるかのような感情のない有機的な声。
『
ゆっくりと、視線を
その言葉が指すのが、今も
その
そしてその全てを
こいつは空っぽだ。
ただそう見えるというだけの
生命を繋ぐための何もかもを持たず、無数の
一体どんな罪を犯したのならば、こんな姿でこの世に産み落とされねばならぬのだろうというほどに。
『
少しだけ、
千の敵を恐れはしない。だがこの理解を越えた何者かの、辛うじて理解できる凄惨さに、確かに恐怖を覚えた。淡々と続ける声を遮るように
「その前に質問に答えろ! ”
この得体の知れない相手が、果たして害のあるものか。
踏み込み、掴み掛かったのはあくまでもそれを見極めるためであって、傷付けるつもりがあるわけではなかった。
水のように軽い。そして僅かに温かく、それは想像より遥かに脆かった。
そしてそれは確かに命だった。その内側にあった生き物と同じだけの確かな鼓動と温もりが、強く握り締めた
特段力を込めたわけでもない。ただ、ほんの少しの触れ合いで
『”
だが、当の本人は悲鳴でも詰る言葉でもなく、ただ質問の答えを弱り切った声を返す。その姿に、
恐れを知らぬ
喉を詰まらせる謝罪の言葉を口に出せぬまま、
『
傷口は
「…………俺は、呪いを解く手段を探している」
迷った末に、
こいつは、俺に対する敵意も害意もない。こちらを害する意思があるというなら、こんなにも非力で繊細な存在が言われなければ気付きもしないだろう所在を明かすはずがないのだ。
束の間、肉塊――[04-28]は
『
「調べる? どういう意味だ。ここには
『
ああくそ、と
『――検索完了『以下に自動解析結果を引用します』『”この
理解を越えた言語を突然羅列され、
「待て、少し待て。俺にもわかるように言ってくれ」
こちらも参ったが、向こうも同じように参っている。困ったように言葉を止めてしまう[04-28]のために、
「――つまり、俺はどうすればいい?」
今度はちゃんと通じたようだ。
また少し黙り込んだ[04-28]が、やがて何かを思い出したように続ける。
『
そしてそれは、初めて聞いた[04-28]の言葉に思えた。
『
*
その話を聞いた時点でひとつの可能性として想定していたことではあるが、実際にその背に斬り込んでみてわかったことがある。それは鉄砂の荒野において敵無しの頂点捕食者であろうあの亜竜は、実のところ酷く臆病で慎重な生き物であるということ。
そもそもあの巨体と速度であれば、見かけた動く物には無差別に喰らい付けば腹を満たすには手っ取り早い。何も一つの船に執着せずとも、片端から船団を食い散らかせば良いのである。
それをしないのはつまり、束になった船団が奴にとって脅威になり得るということ。
まず足を止めて考えてみれば、鉄砂の海を潜航して、あれほどの速度で動き回ることに伴ってあの巨体に襲い掛かる圧力たるや想像を絶するものに違いない。それを成し得るのがあの分厚い鋼皮だろうが、裏を返せば鋼皮が無ければ
そして砂列車は停まれない。船と同じか少し勝る速度で併走しゆっくりと貪れば済む話を、常に最高速で襲い掛からねばならない理由。
恐らく奴は動きを止めれば死ぬか、二度と加速できない
*
投げつけた大段平の柄に仕込んだ雌の
その蠢動を手の内に察した時から、騒造者《サウンドメイカー)も既に動き出している。目の前の[04-28]を抱え上げ、壁際から最も遠い広間の中心に駆ける。
遺跡の壁をぶち抜いて突っ込んでくる
やはり来た。危険な小虫が自分の縄張りでのうのうと生きているとなれば、おちおち食事も喉を通らないのだろう。逃がしたこちらを仕留めに来たというわけだ。
臆病なら臆病でこちらが去るまで縮こまって隠れていればいいものを、それも出来ないのが天敵も居ない鉄砂の頂点捕食者たる傲慢の業か。
すれ違いざま
次の攻撃が来るまではしばらくの猶予がある。
ふむ、と一息つき、小脇に抱えた[04-28]に目を向けた。
「
『――――?』
見詰め返す虚ろな眼窩に、
「お前を見つけろと言った、あの話だ! とにかくお前の身体を探し出せば、俺のこの呪いは解けるんだな?!」
『肯定』『世界中に散らばる『
まったくもっておかしな話だ。
自分自身を見つけるために、誰かを見つける?
他者の欠落を埋めることが自分自身の中身を得ることに繋がるなどと、まるで宗教問答めいたその答えは眉唾というにも余りにも突拍子が無く、だがだからこそ
「分かった。見つけた部品はここに持ってくればいいのか?」
『否定』『一緒に行こう』
手も足もないくせに、抱えられてようやく動ける有様の奴が、それが当然とでも言うかのように断言する。
荷物のように抱えられていることがよほど不満なのか、もぞもぞと身じろぎし、ちっぽけな
おかしな奴だ。そんな真似をする奴を初めて見た。
いや。
思い返せば案外そうでもないかもしれない。産まれたばかりのまだ新しかった頃、自分も似たようなことをした覚えがある。
あの時俺がよじ登ったのは誰だっただろう。その誰かも笑っていた気がする。
「……まるで
遠い思い出と同じ言葉を呟けば、[04-28]は不思議そうな顔で小首を傾げた。
『
こいつも、何もかもを知っているわけではない。当たり前のことを納得しながら、記憶の底に沈んだその物語を手繰り寄せる。
「
それは
優しい指を思い出す。幼い記憶は温かさと触れられる感触で出来ている。
だが今はそのときではない。
大地を震わせ、
遺跡全体を鳴動させながら先触れの
「後で話をしよう。だがまずはあいつの相手をする必要がある。手荒に行く。落ちないようにしがみ付いていろ、[04-28]」
『了解』『[04-28]は
襲撃に備えながら手にした間に合わせの鉄骨に視線を落とし、先程の一撃で変形したそれを見て思う。
分厚い鋼皮に半端な攻撃は通じない。ならばやはり
思案する頭の中に、唐突にひとつの光景が展開される。
それは記憶でも閃きでもなく、まさに認知の展開と呼ぶべきものだ。目の前で広げられる折り畳まれた絵図のように、
「これは、この遺跡の地図か……?」
『肯定』『不足があれば何でも『追加する』
その一言で[04-28]の仕業であることを確信する。
なるほど。つまりこいつは俺に自分の声を聞かせることが出来るのと同じ意味合いで、何かを見て、それと同じものを『視せる』ことが出来るのか。
「いや、これだけ分かれば充分過ぎる」
広間の中央のこの光点は
まずは場所を変えた。
動けば動くほど悪化する傷のせいで、全力で動ける時間はそう長くないのだろう。
状況は意のままに組み上がっていた。
そこからさらに幾度か繰り返せば目的の場所まで辿り着く。
地上近くまで続くその巨大な
恐らくは遺跡自体を崩落させこちらを生き埋めにしようとする動きだ。奥へ奥へと追いやる誘導に乗って、その途中で
壁を蹴り、柱梁を伝って上へ上へと逃れる
やがて眼前に隔壁が見える。地上への道を塞ぐその隔壁は、
『警告』『間もなく射程圏内』
轟音と共に
その眼には天井に活路を塞がれた
やろうとしていることを察してか、肩の上の[04-28]がご機嫌にはしゃぐ。
『お客様『お客様駆け込み乗車は『法律で推奨されています『列車が止まるまで『快適な空の旅をお楽しみください』
暴力的な速度で突っ込んでくる
天井の隔壁を突き破った先は、僅かに堆積した鉄砂の層。
降り注ぐ瓦礫と鉄砂から[04-28]を庇いながら手にした
「[04-28]、話の続きをすると約束したな」
なおも上昇を続ける
「古い古い話だ。神話によれば神代の昔、
それは、決して色褪せない英雄たちの物語。遠い神代、全てが完璧な時代に生まれ、そして完璧なまま姿を消した無数の英雄譚。
「そんな
何のために戦うのか。何を敵とし、何を友とするのか。それを選べない者はどれほど強くとも真の
神の座として作られ、乗り手たる神々を失った
拡がる鉄砂の海原と底無しの瀑布を眼下に見下ろして、その先の鉄野に流れる光の大河を遠くに臨む。遮るもののない高所から見渡せば僅かに湾曲するその
その全てを背後へ置き去りに、走り続ける
「決めたぞ」
ふと、浮かんだ言葉をそのままに口に出して
「俺は”
『受諾』『[04-28]は『
”
そもそも、慣れ親しんだ部族の地を一歩離れれば、世界は分からないことだらけだ。
呪いも、使命も、自分が何のために何を相手に戦うべきか、さっぱり何もわかりはしない。それでも言われるがまま、決められた通りに戦う子供では居られない。
自らの意思で歩むのだ。
今の自分に出来るのは、中身を探し、出会った全てを試していくことだけ。そして
風の中で
引き抜くのではなく、硬い手応えに渾身の力で刃をねじ込み、鉄片を撒き散らしながら
これは真の
力尽きた巨体が失速して落下を始め、
「さあ、行こうか。
眼下に広がる広大な鉄野へ、
それが神話の時代の物語と同じ光景であることを、ふたりは知らない。
それは物語だ。
かつて終わりへと向けて始まった古い古い物語の、その最後の終着点から駆け出していく、それはこの時代に遺された新たな物語だ。
スケルトンライダー 狂フラフープ @berserkhoop
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