episode 壱 - ①
熱砂を渡る
山からの風が砂鉄丘に風紋を刻み、風紋が陽光を吸って熱溜まりを、熱溜まりが鉄砂嵐を産む。
暮れ切ってなお余熱の燻る夜風を帆に受け船は進む。
年の半分を嵐に覆われる
熱砂の環境に適応したこの
彼らは外界に出てから力尽きるまでの僅かな間に、外界の情報を拾い集めて記憶する。その情報は地平線を隔てても仲間内で共有される性質を持ち、羽化した
「――するってえと、おまえさんが部族を抜けたのは王殺しの呪いのせいで、その呪いを解くために旅をしてるってかい」
最初の
探照灯で闇を掻き分け夜風で進む砂上船、他の客が船室で寝静まる時間に後部甲板に姿があるのは船員か、あるいは船賃代わりに道中の護衛を請け負った傭兵かと相場が決まっている。
にもかかわらず、身の上話をせがんだその男は明らかに船員にも戦士にも見えなかった。ずんぐりした胴体を支える短い四つ脚に
船員の制止も聞かずに砂漠の船上で酒盛りを繰り返すその連中は船内の鼻つまみ共である。見張り番で組まされたもう
「その馬鹿でかい剣、そいつで王の首を一思いに斬り落としてやったってわけだ」
「ああ。
剣の横腹を優しく指で叩く。
「ちッ――」
隣からの聞こえよがしの舌打ちは
「もういいだろ。どうせ結局酒が呑みたいだけの連中だ。どんな馬鹿げた大法螺かましたってこいつらは気にも留めずに乾杯の種にしやがる。糞酔っ払いに聞かせる嫌味の駄法螺にしたって、聞いてるこっちが不愉快になるだけだぜ」
言いたいだけ言って、
「よし、屠竜剣の礼だ。こっちも良いもんを見せてやろう」
そう言って
「……ただの石に見えるが」
「馬鹿言っちゃいけねえ、こいつは
精密肢に抓まれたそれを、
それは地中に残された神々の遺産であり、あらゆる文明の礎となる知恵の結晶体でもある。
遥か昔、神々に置き去られた
いや。
され続けてきた、というべきだろうか。
「
知識もまた地下に眠る鉱物資源であるからには、いつか枯渇する時が来る。それは神の叡智に縋って国を築いたその瞬間、神代より知れ切っていた世界の終わり方のひとつだ。
この
神々の言葉なくして、どうして国を舵取りできようか。蓄えられた蔵言の多寡こそ国家の安寧であり、この
その神々の言葉の劣化と忘却が、錆より早く世界を蝕みつつある。
「おっと、愚痴に付き合わせてすまんな。そんなつもりはなかったのだが」
砂漠の夜は寒く静かで、絶え間なく続いていた会話が止まるとそれを思い出す。遠い風鳴りと、波打つ砂漠の撥ね上げた鉄砂が船の外板を叩く小さな音だけが辺りを包む。
不意に醒めてしまった酔いを再び取り戻そうと
にわかに
「おお、大瀑布に差し掛かったらしい。ここまでくればあと一息だ」
よたよたと千鳥足で船縁に向かう
「ほれ見ろ。あれが
船の行く手に大きく、そして深く広がるのは底の見えない巨大な滝である。縮尺が狂っているのは見ればわかるが、それにしたってこの船と同じ大きさのはずの船団の船が玩具に見える。月に照らされた瀑布の高低差は優に山ふたつは収まるほどで、滝は無尽蔵にも思える鉄砂を吞み込み、尚も尽きることなく流れ落ちていた。
「あの滝に飲まれた砂は何処へ行くんだ?」
「さあてな。あるいは滅びの山の噴く溶鉄はここで呑まれた鉄が元になっているとも言うが、正確なところを掘り当てたことのある者はおらんだろうよ」
恥ずかしながら子供のように目を輝かせていた自分に気が付いて、
だから見た。
それ以外に理由はない。何もないはずの
「――
急に動いた
つい今までのそのそと歩みさえままならずに居た男とは思えない機敏さで、こちらが示した先に自前の
酔っぱらいが高熱で酔いを飛ばすときのやり方だとは理解できたが、だとしても隣人の突拍子もない
「
あまりにもでかい声に、また驚く。
連鎖するように船団が警笛を響かせ、雪崩れるように方向を変える。だがそれよりも早く、その梯子のような構造物が
「急げ!
船員の
「
事の推移にどうにか追い付いた
「出来なくはなかろう。
言われた通りに船員を捕まえて船倉へ転がり込むと、先に行ったはずの
「よし、異常ないな。
「俺も行く。そちらの方が確実だ」
潜り込んだ錨鎖庫で、
「……死ぬなよ」
捨錨と同時に帆が回り、錨鎖が船体を擦るよう船が旋回する。砂飛沫を浴びながら、
張力が鎖をぴんと張り詰め、出来かけの
食らい付く
地響き。
船自体の揺れとはまた別の、もっと低く、もっと規模の大きな揺れを体が感じている。船内に向け鎖と共に巻き上げられながら、
無尽蔵にも思える鉄砂を爆発のように押し退けて、遠ざかる
恐らくは
巻き上げられる錨鎖と一緒に再び錨鎖庫に戻った
「見たか。
「ああ、間近でな。この足場で戦うには少しでかい」
何故だか嬉しそうに鼻を鳴らした
「竜殺しは言うことが違うな、その調子で頼むぞ。なにせこれから奴との根比べだ」
だろうな、と
甲板に戻ると
夜明けも近いが、まだ闇は深い。
眩い探照灯も広大な夜の前ではひどく頼りなく、船団は先刻とは別の意味で玩具に見えた。
「そっちは砂が浅い。
背後から
「もっとも、今足りんのは見張りよりも避難船の人手だ。手を貸してやってくれ」
「避難船?」
「
「わかった、
「運ぶのは
迷いのない目をしていた。良いことだ。
避難船に目を向ければ、そちらは随分と騒がしかった。乗船を求める者たちは列とは呼べない一塊となって他の者を押し退け合う。足の遅い
その肩を掴んで振り向かせる。
「なぜ護衛が逃げる船に真っ先に乗り込んでいる」
「避難船にも戦えるものは必要だろう」
「必要ない。
「う、うるせえ! どうしててめえに指図されなきゃあ――」
首を刎ねる。
なんにせよ、船に群がる者たちの混迷は大分ましになった。
いくらかの秩序を取り戻した列に背を向け、
未だ目を皿にしている様子を見るに、まだ予兆はどこにも見えていないようだ。
「
「いや、どうやって見分ける」
「いいか、
「では来るとすればあの辺りからか。それだけ絞れれば打てる手もある」
「どうするつもりだ」
「船上では受動的な戦い方しかできん。
「……
「恐らく、この船にお前に続ける者はおらんぞ」
「何故だ。来る方向は有る程度は絞れた。
「そうではない。危険すぎる」
意味がわからなかった。
「
「恐れぬ
「それは、そいつが
「…………武運を祈る」
頷き、振り返って船上の
「次に
言い終わるが早いか、砂面が跳ねて
先程より準備は整っている。梯子に喰らい付かれた場所も悪くない。船員らだけでも
助走のために甲板を大きく退がり、足元の砂を掃いて腰を沈めた。
まだだ。
先程と同じなら、
まだ。
大地が震え、軋む船体が悲鳴を上げ、砂面全体が鳴動して激しく波立つ。
今。
甲板上を弾丸のように斜めに突っ切って、
縋る物ひとつない空中へと身を躍らせた眼下、船員たちがどうにか切り離した
逆手に抜いた大段平を渾身で突き立てた。速度と分厚い鋼皮が剣先を赤熱させ、
ひと度弾かれれば終わる。どうにか喰らい付いたこちらを降り飛ばそうとする猛烈な速度に、割れた外皮を足場に剣を更に深く突き立てて抗った。
衝撃。轟音。
艦砲による
そうはさせない。鋼皮の裂け目を広げてその中に潜り込む。迫る地面に
視界は鉄に呑まれ、
静かだ。
そこは轟音と激震に塗れながら、恐ろしく静かで単純な場所だった。
暴力的な速度と圧力が手の届く距離で暴れ狂っている。僅かずつ迫りながら。
周囲に存在するのは自分を殺そうとのたうつ巨獣と、鉄の砂底の死の世界だけ。不用意に動くほど這い寄る死はこの身へと手を伸ばすだろう。
だから
お前と俺と、どちらが先にくたばるか。見渡すほどの巨獣と、豆粒のような
耐えかねた
そう思ったのは、唐突に開けた外皮の裂け目越しの視界のせいだろう。だが
ここは地表ではない。
如何にも、ここは大瀑布。
奴は地上に躍り出たのではなく、山より巨大な滝から身を投げたのだ。足場ひとつない二つの断崖の真っ只中へ振り飛ばされて、成す術なく墜ちて行く
「逃げるか小物め! 貴様を殺す算段はあるぞ!!」
僅かにこちらを一瞥するその巨大な頭部に、手にした大段平を投擲する。
剣は深く突き立って、しかし鋼皮に覆われた
闇に見通せぬ遥か下まで流れ落ちる鉄砂の瀑布へ吞まれながら、
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