盆にみる夢

嶋野夕陽

盆にみる夢

 一人暮らしの長くなった寂しい男が、有り余った時間で自炊に凝り始めるというのはよくある話だ。その上で動物なんかを飼うと、もうすっかりお一人様を満喫してしまい、ついには結婚相手を探すのが面倒になってしまったりする。


 この話は、まだ動物を飼うには至っておらず、伴侶を見つけることに未練たらたらな男の、ある夜のことある。


 夏野菜にベーコンとニンニクを加えて炒めたものを肴に、キンキンに冷やした日本酒をキュッと飲む。ああうまい。仕事をした日ならビールだが、休みの日の夜は日本酒の方が風情があっていい。


 夜風がベランダの風鈴をチリリンと揺らしてから、汗でべっとりとした男の体を冷やす。暑いはずなのにブルリと体が揺れて、男は妙な寂しさを感じた。

「盆かぁ……」

 プライベートで人と会話したのはいつのことになるだろうか。思わず吐いた独り言も、長く雑談をしてこなかった弊害か。

 男は部屋の隅に転がしておいた白いビニール袋を、おもむろに手元へ引き寄せる。

 取り出した茄子に、割り箸を差してテーブルに立てると、それはコテンとすぐに転んだ。

 酒をぐびりと飲んで、暑い息をフー。

「こりゃ案外難しいな」

 胡瓜で作っても、やっぱりコテン。酒をぐび。

 これもダメ、あれもダメ、ぐびりぐびり。トマトを刺して服を汚したところで、男はついに嫌になって、両手を広げて大の字に寝転がった。

 男は袋に残った最後の野菜。妙にうねった不格好な胡瓜を手に取った。

 寝転がったまま、床に散らばった爪楊枝を拾ってはぷす、反対にもぷす。

 酒で思考力の落ちた頭は、単純作業には向いていた。左右対称に何十本も突き刺された爪楊枝が、ついには胡瓜をしっかりと床に立たせることに成功した。

「これでよぅし」

 程よい疲労感と満足感に包まれた男は、尻に敷いていた座布団を引き寄せて枕とし、ほんの数分待たずに、ぐががぐががと大きな寝息を立て始めた。


「この馬鹿者め、お前のせいで恥をかいたわ!」

「はい、すみません!」

 聞きなれない少女の怒声に、男は飛び起きて正座した。

 頭痛が酷く、高い声がキンキンと頭に響く。ぼんやりとした目を開けると、古風な着物を身に着けた少女が、宙に浮かんでわめいているように見えた。

「久方ぶりに精霊馬が来たと聞いて、喜び勇んで顔をのぞかせれば、何とも酷い有様じゃった。碌に立ち上がれもしない馬や牛が無数に転げまわり、唯一元気に儂を待っておったのは、気色の悪いげじげじと来たものじゃ。あまりに腹が立ったから、げじげじにのっかって、ここまですっ飛んできてやったわ」

 成程夢である。

 眠る前にあんなものを作ったせいで、夢にご先祖様が出てきてしまったのだろうと、男は大あくびをした後、腹をぼりぼりと掻いて寝転がった。

「なんたる無礼。祖霊をなんと心得ておる。お前もげじげじに乗って、壁を這いずり回ってみるがよい! 最悪の乗り心地じゃぞ。大体お主は直系子孫であるというに、墓参りにすら来たことがない。そんなんだから、守護霊もつかず、碌な運気も巡ってこんのじゃ。この不細工、不潔男、童貞!」

 夢の中だというのに、あまりの暴言だ。

 男はむくりと立ち上がって、騒ぎ立てる少女に向かってふらっと一歩踏み出した。その据わった目つきと不穏な空気に、祖霊を名乗る少女はびくりと体を震わせた。

「そんなにひどいこと言わなくてもよくない? つまりあんたが俺の守護霊してくれれば、色々解決するってことでしょ。よーし、おじさん、守護霊捕まえちゃうぞぉ」

 手をワキワキと動かしながら近寄る男に、彼女は顔をゆがめて体を大きく引きながら、心の底から涌き出た一言を吐き出した。

「気持ち悪い……」

 その言葉は男の心を深くえぐり、それからひどく男の気分を害した。気分が悪くなってくると、臓腑の奥から何かがせりあがってくる感覚がある。この感情は強い悲しみ。

 ……否、ただの吐き気だった。

「気持ち悪い……」

 奇しくも少女と同じ言葉と共に、男はトイレに駆け込んだ。足元に転がった茄子や胡瓜やトマトを踏みつぶしたことなど気にしてる暇はない。時は一刻を争うのだ。

「あぁあ! 帰りに乗るげじげじが! 待て、新しい帰りの乗り物を作るのじゃ!」

 少女の悲痛な叫びなど知ったことではない。

 男は胃の中のものをすべて吐き出すまで、便器を抱きしめて過ごすこととなった。ようやく胃の中が空っぽになった頃、窓の外はほんのり明るくなり始めていた。


 トイレで気絶するように眠った男が、目を覚ましたのは昼過ぎだった。

 重い体を引きずって台所へ行き、ぬるい水を一気に飲んで、男はぷはっと口元をぬぐう。

 首をぐるぐるとまわしながら、左肩を右手でもんで、男はやっぱり独り言を呟いた。

「なんだか左肩が重いなぁ。こりゃ年かもしれないな。でもなんか、昨日の夜は女の子の夢を見た気がするぞ」

 祖霊の怒りの声は、恐らく来年の盆まで届かない。





++++++++++++

序盤は擬音やリズムを意識して書きました。

短編で完結させるには、先の話を意識した書き初めになってしまったかなと、反省しています。

短編がどうも得意でないので、もっと読み込みが必要かなぁ、と最近思う次第です。

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盆にみる夢 嶋野夕陽 @simanokogomizu

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