桜吹雪

はと

第1話 手紙

湊子様


こちらはどうにかこうにかやっています。

仰るとおり、札幌では朝晩の冷え込みが厳しく、最近は外に出るのも憶劫なくらいです。

十月の頭に鹿角亭(ご存じでしょうが、札幌のお菓子の有名店です)に立ち寄ったら、早くも紅葉をあしらったケーキがガラス棚に並んでいました。靖河の和菓子屋で、気の効いているのはそんなことしませんよね。でも、鹿角亭が借景をしている北海道大学の森では、白樺の葉が黄ばみ始めているのが広い窓に見えているんですから、あながち鹿角亭の季節感がずれているわけではないのです。

そして今こうして手紙を書いているのは十月の終わりですが、驚いたことにあたりはもうほの白い花弁に覆われています。前に泉湧寺にご一緒した時のことを憶えていらっしゃいます? 秋も末の桜の樹の一枝だけ、花が一杯についていて、本堂の仏様を拝み申し上げるのも忘れてずっと見上げていたんでした。

それと同じことが、町じゅうの桜の樹の、あらゆる枝におこるのが札幌の冬のなり初めだというのです。

それはそれはきれいな景色です。枝いっぱいについた花が、地にもこぼれて、足の踏み場もないほどです。花弁が細降りになった朝に出かけるとなると、もう浮きうきして、袖に落ちた花がみえやすいようにと、黒い外套を選んでしまいます。降り積もったばかりの、いかにも柔らかな花弁の吹溜りに足を下ろすのは、何か嬉しいような、忽体ないような不思議な気持ちになります。でも、ずっとこちらに住んでいる人はもう慣れっこで、少しも驚きなどしないのです。私がひとり喜んでいるのをみて、なんだこんなもの、すぐに嫌になるから、なんていけずを言うんです。きっと、北海道の人も、本当は少し、浮きたった気分になっているんでしょうが、内地の人間の手前、当たり前のことのような顔をしているのです。

とはいえ、あまり沢山の花弁が降り積もると厄介なのは本当で、今日は花冷えのせいで零下を下回ったうえに、自転車にも乗れませんでした。道を歩いていると、例の鹿角亭は真白になった樅の林にとり囲まれて、童話の中の一軒のようでした。更に歩くと、駐車場の花を集めて燃やしている人がありました。燃やすといっても、マンホールのような穴に落としているだけで、煙があがっているから下で暖めているのだろうと思うまでです。あの仕事を冬じゅう毎日するとなると、とても綺麗だなどと、呑気なことは言っていられないのでしょう。この先、花はずっと絶え間なしに咲きつづけるので、最初のうちはどこへともなしに消えさっていた花弁は、いつからかそのまま積もり続けるばかりになって、そうなると冷え込みはいよいよ厳しく、あたりには虚空がはりつめたようになって大変だということです。私も今こそのん気に花見だなどと浮かれていますが、花の嵐が吹荒れた日には、家の中で首を縮めながら、なるべく外をみないように過ごすことになるのでしょう。


書きかけで一日放っておいたら、結びの言葉をどうするつもりだったか忘れてしまいました。長い手紙だこと、と思いになっているでしょうが、辛抱しておつきあいください。

だってこの一日のうちに、また面白いことがあったんです。それというのは、例の菓子屋で耳に挟んだ茶飲み話なんです。この間図書館で借りた「社会心理学の基礎と応用」に没頭していて、ふっと気づくと、隣の席では、どうもずっとこのあたりに住んでいてお友達同士らしいおば様たちが、べこもちをお供にコーヒーを召し上がりながらHalloweenの話をしているのです。しばらく聞いていると、どうも北海道にはHalloweenによく似たろうそく取りという風習があって、おば様たちの住んでいる地区ではHalloweenとろうそく取りを習合したような行事が10月の31日に行われるらしいことが分かりました。ちょっと品が悪いなあと思いながらも聞き耳を立てていると、黄色い皮の南瓜を見つけるのが大変だとか、毎年は来ないので、去年はお菓子を用意していなかったから仕方なしに餠を配ったとか…。どうやら、10月31日に、南瓜灯篭を持った子供たちが戸口を叩いて、歌いながら蝋燭(本当に欲しいのは無論お菓子です)をねだるものらしいのです。ひょっとしておば様たちの住んでいる地区には、私の家も入っているかもしれない、なんて、その話を聞いてからずっとわくわくし通しです。


おうちの方々にもよろしくお伝えください。

頼子


素敵な飴を送っていただき、ありがとうございます。ずっと靖河に住んでいたのに、こんな美しい飴が売っていることは知りませんでした。どんな味がするのかは、とっても気になるんですけれど、結局私の口には入りませんでした。

そうです。私の家にもHalloween=ろうそく取りの子供たちがやってきたのです。今年は例年になく花の咲くのが早かったということで、10月31日にはもう道の両脇に花の山ができてしまっていました。嫌になったかですって?実は少し、家にこもりがちなんです。毎朝、起きてすぐにカーテンを引きますでしょう?そうすると、必ずと言っていいほど、さらさらと花びらが降り注いでいるか、さもなくば夜の間に積もったぶんが絨毯のように覆って、町にある角という角を丸くしているのを見ると、しん、と肌のうちまでつめたさが伝わってくるのです。落ち込みついでに、毎年春になると、古くなった桜の花びらの間から蓑を着たり、笠を着けたままの白骨が出てくるなぞという話を思い出して、また外の花を見て心の奥まで冷え込んで。。。、という悪循環を起こしてしまうのだから質がよくないです。

それでも、あたりが一面の花桟敷になって、道のわきにも花が折り重なって垣をつくっているような夕暮れに、また花が降り始めて、花桟敷の上を、影がすべっていくのを見ると幻の国に来たような気持になります。しかも、風は道に添うて吹くので、花の影も道なりに流れ、そんな景色の中を一人で歩いていると、まるで川床を歩きながら、花が水面を流れていくのを見ている蟹になったような気分になります。

そんな夢の中のような宵に、玄関の鈴がなったものですから、もううきうきして戸を押したんです。実は、Halloween=ろうそく取りのことは全く忘れていて、一緒に住んでいる5人の一人が、また鍵を忘れて出かけてしまったんだろうと思っていたのです。

玄関にいたのは、同居人でも、ふらりと立ち寄った同級生でもなく、桜の花の吹き溜まりに、足が生えたような不思議なものでした。本当にすごい仮装だったんです。おそらく、大きい子が小さい子を肩車しているんでしょうけれど、私でも見上げないといけないような高さにぬっと伸びた花弁の塊の、天辺近くに嵌まった炎の目と口で笑っているのです。思わず私が叫び声をあげて飛び退(すさ)ると、ぱっとはじけるように笑い声が上がりました。それも目の前にいる花と南瓜のお化けからだけではなく、10何人もの子供の声が、どこからか聞こえてくるのです。すぐ外の道の吹き溜まりの中から、花びらを透かして例のHalloweenかぼちゃの目鼻がいくつもいくつも光り出していたので、今思うと吹き溜まりの下で、たくさんの子供たちが成り行きをうかがっていたのでしょう。でもその時はもう、慌ててしまって、居間走りこんでフライパンやら掃除機の頭やら、とにかく身を守る道具を探して目を泳がせていたんですが、その時、しばらく飾っておいてからいただこうと思っていた、あの飴が目に留まったんです。それで、ふっと、今日もし子供たちがろうそく取りにやってきたら、これを上げようと思っていたことをおぼろげに思い出しました。それでも、よっぽど取り乱していたからでしょうけれど、外にいる桜と南瓜の化物は子供たちの仮装だと気づいたわけではなく、ろうそく取りの子供たちを喜ばすために美しい飴をあげようと思ったわけでは更になく、ただただ、どうにかして外にいる奇妙な化物にお引き取り願おうということを一身に思いつめて、飴を玄関に持って行ったんです。

飴を差し出した、と思いました。でも実は、自分がどうしたかよく覚えていないんです。とにかく覚えているのは、目の前の桜とかぼちゃのお化けが、形を崩しながら揺れて、まるで腹をゆすって笑うような様子をしたこと。いつの間にか持っていたはずの飴が消えて、南瓜お化けも消えて、奇妙な歌が別の家のほうから聞こえてくるようでしたが、それもすぐ桜の吹き溜まりに吸い込まれるように薄れて、あとからあとから降ってくる花びらが吹き込んで、ナターシャのパンプスが埋もれかけているのにはっとするまで、手を前に延べたままの姿で立っていたようです。

そんなこんなで、送っていただいた飴は大活躍でした。きっと子供たちも、見たことのない美しいお菓子に大喜びだったろうと想像してみるのですが、脳裏に浮かんでくるのは、Halloweenかぼちゃが桜の花弁でできた指で飴をつまみ、あのものすごい、ぎざぎざの歯でもって飴をかみ砕いている様子なんです。どうぞお笑いください。


乱筆で失礼いたします、

頼子

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桜吹雪 はと @htohko

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