もう切るよ

八咫鑑

本文

「じゃあ、もう切るよ」

「待ってって言ってんじゃん?」


 電話越しに聞こえて来る声は、半分ヒステリックだ。俺は鼓膜を傷めないよう、もうだいぶ前からスピーカーモードで耳を離している。

 佐美香さみかは、少々面倒くさいところがある。束縛強めのメンヘラ、と言えば大体伝わるだろう。世の女たちは付き合って『彼女』になった途端、なぜこうも変わってしまうのか。まぁ、佐美香はもう『元カノ』だが。


「付き合い直してくれたら切ってもいいよ」

「いや意味わかんないから。さっき言ったでしょ? もう付き合うの無理だ、って。俺は佐美香をフッたの。もう付き合ってないの俺らは。じゃあ、切るから」

「だから待ってって大地!」


 佐美香に告白したのは俺だ。なのにフッたのも俺。それが気にかかって、俺はいつまでもズルズルと、自分から通話を切れずにいた。思えば、ここでさっさと電話を切らなかったのが全ての間違いだったのかもしれない。



「もういいだろ? 終わり終わり」

「後悔するよ? 切ったら後悔するからね? 次通話切ろうとしたら、私やるからね?」

「ここまでありがとう。じゃあ」

「……」


 俺はスマホ画面に表示されていた、赤い終電マークを押した。これで終わり。通話終了。






 ——そのはずだった。



「あれ? なんで切れないんだ?」

 俺がいくら画面をタップしても、通話が切れない。通話中の画面から変遷しないのだ。何度終電マークをタップしても、画面のどこをスワイプしても、何も起こらない。


 ただ、スマホのスピーカーから「シュカカカカカカカカカ!」と何かがこすれるような音が聞こえている。

「おいおい、なんで切れないんだ? 壊れた?」

「私、やるって言ったよね?」

「……どういうことだよ!」


(まさか佐美香のやつ、コンピューターウイルスか何か送ってきた!?)


 佐美香の甲高い笑い声が、スピーカーのひび割れた電子音で俺の部屋に響く。

 佐美香の仕事はITエンジニア。それも、その手の資格をいくつか持ってる程のガチ勢だ。ブラックマーケットで買ってないにしても、自分でウイルスの一つや二つ、簡単に作れるだろう。


「大地、可哀そうだから教えてあげるけどね、あんたのスマホは私が操作できないようにしてるんだよ」

「クソッ、やっぱり!」

 俺は握った拳を腿に押し付け、自分の意識の甘さを悔いた。


(この後はなんだ? 何を要求される? いや、それは分かりきっていることだ。答えは一つ、復縁だろう)


 だが、次にスマホから聞こえた言葉は、俺の予想の斜め上を行くものだった。

「このアプリは、左利きの片手打ちキーボードの状態でコマンド入力した後、そのトーク画面で最後に使われたスタンプを十二から十七フレームの間に一回のペースで送信すれば、相手の操作を受け付けなくなるの。界隈ではスタンプロックと呼ばれる技ね」


 シュカカカカカカカカカ……


「え、なんてなんて?」

「だから、何度も言わせないで。このアプリは……」

 佐美香の二度目の説明を聞きながら、俺は必死に頭を回転させる。


(コマンド入力? フレーム? よくわからないが、要するに今、めちゃくちゃスタ爆することで俺のスマホ操作をロックしてるってことか?)


 俺の問いに、佐美香は荒い息で「そうだ」と返事をした。


 シュカカカ カ カカ カ カカ……


 この絶妙にカツカツと聞こえているのは、佐美香の爪が画面連打の際にぶつかっている音だろう。

「……スゥー、さぁ大地、私と付き合わない限り、ハァ、通話を終わらすどころかスマホを操作、することもできないよ。スゥ、早く私と付き合い直して」

「……」


 俺は椅子に深く座り直し、頬杖をついて”その時”を待った。


 シュカカ カカ カカ カ カカ カ……


 スピーカーから聞こえてくる音は、段々と途切れ途切れになっている。

 それはそうだ。佐美香が人力で連続タップしているのだから、いつか体力の限界が来る。

「ちょっと大地! 早く答えてよ!」

「いや、悪いけど佐美香のスタミナ切れを待たせてもらうよ」

「ひどい! 大地がその気なら、まだ別の手があるんだからね!」


 突然、シュカカカカカカ、と言うタップ音が止んだ。俺は不意を突かれた形になって初動が遅れてしまった。急いで手を伸ばして終電の赤バツボタンを押したが、なぜかまた、画面はフリーズしたように動かなかった。


「何をした?」

「ふん、相手の画面をロックする方法は、何もスタ爆だけじゃないのよ? テクスチャの隙間に連打コードを差し込んだから、これから約八分三十秒の間、大地はスマホ操作出来ません。充電消費が激しいからあんまりやらないんだけど、私は今充電器あるからそれは問題ない。大地はどうかな? ま、まだたっぷりあるよね~?」


 俺は念のため、スマホの右上を見た。充電表示は、驚異の93%。それも当然。ついさっきまで充電していたんだから。


「……おまえ、図ったな?」


 まだ別れ話を切り出す前、普通の通話をしているさ最中、佐美香に指摘されて充電していたのだ。佐美香のやつ、これを見越していたのか……。

 俺は、佐美香が浮かべているであろう不敵な笑みを、不覚にもありありと思い浮かべてしまった。


 八分。この間に何かできることはないか? 俺は、なんとか佐美香の隙をつけないかと頭を巡らせた。


 そもそも、俺たちが通話をしているこのアプリ。

 これは、政府が国民の、特に若者の交流を活性化するために開発したチャットや通話ができるアプリだ。既にSNSで交流の絶えない若者世代向けにそんなアプリを開発した違和感は、少子化対策や国主導の恋愛支援なんてあまりにも馬鹿げた計画の影がちらついていた背景を知れば、残念ながら解消されるだろう。


 そしてこのアプリ、意外と若者にダウンロードされている。その理由の大部分は、利用者の税軽減などが大きいのだが、他の理由として、バグや不具合が多く存在しており、そういうシステムの甘さに漬け込んで魔改造するITエンジニアがたくさんいる、ということがあげられる。今回のスタンプロックも、恐らくそういったバグ技の一環なのだろう。


 チラッと時計を見ると、二十一時十五分。佐美香のロックにかかってまだ一分しか経っていない。

 まだまだ寝るには早い。充電が切れるまで待つのは最終手段にしておこう。


 俺はパソコンを立ち上げ『スタンプロック』で検索をかけた。アプリに関するバグ技や不具合挙動をまとめたサイトが、それはもうびっくりするほどたくさん出てくる。

 俺はふと、小学生の時にやっていたポータブルゲーム機のバグ技やチートコードがネットに溢れていた光景を思い出し、なんだか懐かしさを覚えてしまった。


(いかんいかん、何か解決策が出てないか探さないと)


 カチカチシャッシャとマウス入力装置マウスと見まごうほどに動かしまくり、次々とサイトを巡っていく中、あるサイトに目が止まった。



『愛の力で日本一充実! バグ技・チートコード集 by 大地の女』



「絶対これじゃん」

「え? 何? 私と付き合い直す気になった?」

「やっ、ちょ、ちげえよ、早く諦めろって言ったんだよ」


 連打を辞めてからの数分間、佐美香が全然喋らないもんだから、まだ佐美香と繋がったままだということを忘れかけていた。危ない危ない。


 俺はそのサイトをダブルクリックした。非常に見やすいUIで、バグ技やコマンドが一覧でズラッと並ぶ。そのタイトルの中に、俺は「スタンプロック」の名前を見つけた。


 カチカチッ


 中には、先程二回聞いたスタンプロックの概要やコツなどが、綺麗な文章で記載されていた。


(マメなんだな。こういうところは尊敬できるんだが……あ!)


 俺はお目当ての項目『スタンプロックの対抗策』というタイトルを見つけ、貪るように読み漁った。


(なるほど、画面右下の音量設定マークから設定をすり抜けてアプリのホーム画面に戻れる、と)


 俺はサイトの通り、音量設定マークを押した。すると、あら不思議。これまで何をしても強固なフリーズ姿勢を見せていたスマホ画面が、スッと設定画面に遷移する。そのあまりの滑らかさに、俺は思わず声を漏らしてしまった。


「おっ、行けた!」

(しまった!)


 俺は急いで口をふさいだが、時すでに遅し。佐美香に聞きつけられてしまった。


「大地、何今の?」

「いや、ほら、八分間待つのも暇だから、パソコンでゲームしててさ。何回か死んでた部分をようやくクリアできたから、つい声が出たんだよ」

「ふーん? 随分と余裕があるんだね」

「まぁ、俺は残りの……四分間、または、それで失敗しても佐美香のスタミナ切れを待つだけだからな。だから、俺は佐美香と付き合い直す気はないよ」

「そう言ってられるのも今の内だよ」


 俺はパソコンの画面とスマホ画面を見比べつつ、サクサクと操作を進めた。おかげで、何とかアプリのホーム画面に戻ることが出来た。


(さぁ、こっからどうするかだな)


 これだけでは根本的な解決にはならないが、佐美香のサイトによると、このホーム画面から色々と反撃のコマンドが入力できそうだ。俺はサイトを閲覧する中で、いくつか気になるコマンドを見つけていた。


『相手からのハックを遅延させろ! ハック妨害コード』

『アプリを強制シャットダウン! ギロチンコード』

『文字配列があべこべに!? キーボードクラッシャー』

『食らえ、カメ通信! 通信速度遅延コード』


 一つ目は『スタンプロックの対抗策』のページに載っていたトピックで、他三つはどうやら相手のスマホをサイバー攻撃? するためのモノらしい。


(根本的な話だけど、これ法的にはセーフなんだろうな?)


 俺はそう疑問に思ってしまった。正直、残念ながら世の中の技術の進歩に法律が十分に追いついているとは、相変わらず言えない世の中だ。そもそも、この佐美香のスタンプロックも訴えればアウトなものなのかもしれない。

 そのことを聞いてみようとスマホに意識を向けて初めて、俺はスピーカーから聞こえてくるカタカタ音に気が付いた。


 カタカタカタカタタンッ カタカタカタカタカタタンタンッ! カタカタカタ……


(……おかしい。何をそんなにタイピングする事がある? 今はあとあとスタンプロックで連打するための体力温存時間じゃないのか?)


 俺はハッと気が付いて、スタンプロックのページをよくよく読み直してみた。そして、今僕が使いる連打コードバグの下に、とんでもない記述を見つけてしまった。


「……スタンプロックのTAS化だって?」

「あっ、気付いちゃった? てかもしかして、私のサイト見てるの? やだ~嬉しい!」


 Tool-assisted Superplay、略してTASタス。よくゲームを高速でクリアするために用いられる手法で、要は機械にプレイさせて人間離れした早さを叩きだすやり方のことだ。


 俺はわざとらしい佐美香の甘ったるい声に反撃するのも忘れて、パソコンの画面に見入った。

 どうやら佐美香はコマンド入力やスタンプ連打をするために、いくつかの手順をTAS化できるようなコードを作成し、一般公開しているらしい。


「でもー、ちょっと見つけるのが遅かったんじゃないかな? あとちょっとで大地専用の、スタンプロックのTASコードが書きあがっちゃうよ~。なんと、大地が他の人と連絡が取れなくなるようなコードを、今回特別に組みこんでみてます! 大地は今後、私としか連絡が取れなくなるんだよ~。だからさ、付き合い直そう? そしたらこのコード書くの辞めたげるからさ?」

「絶対無理! そんなことさせないからな!?」



 俺は迷った挙句『通信速度遅延コード』を試してみることにした。


 佐美香のアプリを強制終了させたりするのもいいが、その確実性と引き換えに、なかなかに高度なコマンド入力を求められるようだった。今の俺——非常に焦っていて時間も少なく、心が穏やかでない状態で、ミスなく入力ができるとは思えない。


『通信速度遅延コード』は、他の三つに比べて一番簡単なコードだったし、無理せずとも最低限、佐美香のTASコードの完成さえ防いでしまえば、合間の一瞬で終電ボタンを押せるかもしれない、と判断したからだ。


 俺は『食らえ、カメ通信! 通信速度遅延コード』に書いてあるコマンド通りにアプリを操作する。コマンド入力が済めばあとは簡単。半分スタンプロックのような感じだが、コチラは三秒に一回のペースでチャットを相手に送信することで、相手の通信環境に負荷を与えられるらしい。


(それも、チャットの文字数が多ければ多いほどいい、と)


 俺はパソコン画面に秒まで表示される時計を出し、きっちり三秒測りながら、佐美香にチャットを送りつけた。内容は適当、というか、長押しで文字を大量に打ち込んでいるだけだ。


「あっ、ちょ、大地! あんたもしかして、カメ通信のやつ!?」

「どうやらこっちのコードもクラウドでやってるらしいな佐美香。お前が普段の仕事でクラウドを利用してコード書いてるのは知ってるんだ。何でもかんでもクラウド任せじゃあリスク分散がなってないぜ? 佐美香よぉ」

「うーるさい! くそ、あともうちょっとなのに……」


 通信速度が遅くなれば、ラグによって佐美香がコードを書く速度も遅くなるし、書きあがったコードをアップしてアプリに適用するにも時間がかかるだろう。なんなら、そもそも通信ラグがあれば、スタンプロックのタイミングもズラせるかもしれない。俺は秒数をミスらないように、集中して佐美香にチャットを送り続けた。


「あーもう、大地! 悪あがきは辞めてよ! ダメだ、重すぎる。一旦圧縮して有線で……」

「さぁ、そんな時間あるかな?……残り三十秒だ!」


 佐美香が仕組んだ自動スタンプロックの効果終了まで残り三十秒。


「現役ITエンジニアを舐めないで! 私が発見した遅延技よ? 反撃コードを知らないとでも?」


 スピーカーから聞こえてくるタイピング音が激しさを増した。途端に、俺のスマホの動作が重くなる。どうやらコンマ数秒程度のラグが発生している様だ。俺はラグを見越したうえで、絶妙にタイミングをずらしながら、チャットを送り続けた。だがやはり、そこそこの割合で『三秒に一回』のタイミングはズレてしまっているだろう。これでは、どれだけ佐美香の通信を遅延させられたものか。


 だが他に選択肢はなく、俺は祈るようにチャットを送り続けた。

 残り十五秒


「そっちこそ悪あがきするの辞めろよ! 俺は付き合い直すの無理だって言ってるだろ? こんな状況で、余計に付き合い直せる訳ないだろ!」

「なんでよ! そもそも大地が私の事好きになったんでしょ? なのに、あんな理由で私の事フるなんてひどい!」


 残り十秒


 佐美香が自動スタンプロックのTASコードをアップロードしてしまえば、俺に勝ち目はない。

 だが俺の嫌がらせ遅延コード攻撃によってアップロードが間に合わなければ、俺は一瞬の隙をついて終電ボタンを押せる。

 タイミングはシビアだが、佐美香のアプリがラグい以上、今の自動スタンプロックの効果終了と同時にタイミングよくボタンを押せさえすれば、佐美香のバグ技をすり抜けて終電できるはずだ。


 残り五秒


「大地、あんたは今後私としか連絡取れないの!」

「じゃあな、佐美香! もう会うことはないだろう!」


 残り三、二、一……シュタタタタタタタタタ!


 俺はフッと画面がブレた瞬間を狙って、終電ボタンを連打した。


(頼む! 切れてくれ~!)


 俺は画面を見るのが怖くて、思わず目をつむった。






 ——しん、と辺りは静まりかえっていた。


 俺がゆっくりと目を開くと、スマホの画面は終電した事を示すメッセージが表示されていた。


「……ヨッシャ! 遅延成功だ! 佐美香から解放されたぞ!」


 俺は歓喜のあまり叫んで、椅子の上で跳びあがってしまった。


「よし、これで普通に操作できる。まずは佐美香をブロックして……ん? なんだ?」


 俺がアプリを操作しようとすると、プンッと軽快な音がしてポップが表示された。


『異常な動作を検知しました。お客様のご利用行為は当アプリの規定を著しく逸脱するものであり、よって当アカウントを凍結させていただきます。詳細については下記リンクより……』


「あ、垢バンされた!? なんだよ~!」


 俺はショックのあまり、そのままドサッと椅子に座り込んでしまった。


(……なんでこうなった。どこで選択を間違えた? もしかしたら、どっちも垢バンされなかったり、もしくは平穏に別れたり、そういう可能性もあったのかな。……まさか、佐美香と付き合い直したりする未来なんてのも……いや、そんなものあるわけないか)


 俺は大きく一回ため息をつき、アカウントを解凍するための第一歩として、長ったらしいアプリの利用規約に目を通すことにした。

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