1+2

 演奏会は特に後半が良かった。

 それは前半に比較的晦渋なソナタを持ってきてしかも情感を込めた演奏を行い、聴衆の感覚が情に偏ったところで、叙情性の強い「詩的で宗教的な調べ」で勝負に出るというプログラムのせいもあったろうけれど、私個人の心が輝いていたのが大きいと思う。

 自分が一応社会に溶けこんではいるが、その仕組みやおおよそのものの考え方に対して適合していないところがあるのはわかっていた。

 例えば私は園芸部にいたこともあって虫にも詳しくなり、虫が好きだというだけでも社会人では異端の部類だけど、その中でもさらに好みが違った。

 人目を引くアゲハよりカノコガの方が好きで、指に止めて白いと思っていた斑紋が透かしだったと気づいた時は感動した。感動といえば農家と園芸家の大敵であるニジュウヤホシテントウも、実家の小さな菜園で初めて見た時はそのふてぶてしい重厚な存在感が嬉しくていつまでも眺めていたものだ。

 もっともそれは私がナミテントウとかナナホシテントウを普通と信じていたから感じたもので、つまり私は、自身が社会の常識にどっぷり浸っていながらそこから逃れたいと駄々をこねるだけの半端な人間だったのだ。

 だから私にとって波多野さんはニジュウヤホシテントウだった。異端であるのに堂々として禍々しいほどで、魔女の帝王みたいだった。波多野さんに腕をつかまれた時に震えてしまったのも、私が彼女のそんな面に惹かれたからだと思う。


 演奏会が終わって駅まで歩く間も話すこと、話したいことがおそろしくたくさんあってまるで終わらないから、行きつけの喫茶店に誘った。

 古い木の匂いのする、少し暗いが清潔で居心地の良い店だ。紅茶はヌワラエリヤとかディンブラとか呪文のようでまったく覚えられないがまずどれを選んでも美味しいし、大体私は烏龍茶だと思ってルイボスティーを飲んでいたくらいの貧乏舌だからなんでも良かったわけだ。内藤菜緒の方はといえば、ああ虫屎茶がある、とか字面だけであやしげな品名を見て喜んでいたところを見るとこの子も魔女の眷属なのだろう。迷った挙げ句、東方美人という名前だけ聞くときれいなものを注文していたが、このお茶は害虫に食べられた葉っぱからできるんですよ、などと嬉々として説明するので、虫というと初夏に家の中でよく見かけるアダンソンハエトリグモくらいしか知らない私は少々辟易した。

 まあ虫をおいたら話は合って、ラヴェルのト長調のコンチェルトを聴きに行ったら緩徐楽章のコーラングレがあまりに見事で皆ピアニストよりコーラングレに拍手喝采していたという話を私がすれば、チャイコフスキーの第四交響曲の冒頭でホルンが盛大にトチって崩壊しかかった時に木管がおそろしく正確なリレーで立て直したというのを内藤菜緒が返し二人で木管楽器の偉大さに納得したり、伊福部昭の特撮音楽でピアノが打楽器的に扱われるのはショスタコーヴィチの第五交響曲の影響なんじゃないかと私が言うと、内藤菜緒はしかしヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲はストラヴィンスキーのコンチェルトっぽいところがあると答えたので、そもそもストラヴィンスキーの作風とは何なのかというところに話が流れて、新古典期の作品でも乾いたような詩情があるのが不思議で、なんだかんだ結局はロシアの地面にそういうのが流れていてやっぱりストラヴィンスキーはチャイコフスキーなんだと内藤菜緒が結論づけようとしたから私はでもヤナーチェクもチャイコフスキーだと慌てて反論して二人で悩んだりした。


 結局四時から八時過ぎまで喫茶店で話した。夕食もそのお店で、食事メニューも充実していてピザもありがちなミックスとかではなくて重量級のがあったので嬉しかった。内藤菜緒は細身にもかかわらずよく食べるから驚きだ。そして、ためらわずビスマルクピザを注文して頬張る波多野さんに、私はやはり憧れた。

 駅からバスに乗って帰る間ももちろん話し続けたのだが、お互いに電話番号もメールアドレスもやり取りしなかったのは不思議なことだ。いや不思議でもないか、私はその日波多野さんがスマートフォンを取り出すのを見なかったから、もしメールアドレスなんていうものが魔女のしきたりに反していたら、波多野さんは幻のように私の目の前から消えてしまいそうだったのだ。同じように私も、私が内藤菜緒に抱いている幻想や内藤菜緒が私に抱いているそれが壊れてしまうのを恐れたのだろう。


 ヤブカンゾウについてネットで調べたら種はつかず匍匐茎で増えるということで、あの庭で切られたものも地下から再び茎を伸ばして繁っているはずだが、私はまだ行っていない。代わりにアパートのベランダにホームセンターで買ってきたナスの苗を置いたけれど、農薬が抜けるまで時間がかかるからしばらくニジュウヤホシテントウは来ないだろう。


 私は忘れ草を切るのをやめて毎日シューベルトをアダンソンハエトリに聴かせているが、考えてみたら八本足のこの子は厳密には昆虫ではなかった。ハエトリグモというのはピアノの音も食べるのかどうにも鋭角のきらめきが出なくなったのが目下の問題で、シューベルトならいいが内藤菜緒にはいつかリストを聴かせたいと思うからそのためにハエトリの駆除が必要なのかどうか悩んでいる。


 私たちは、地面いっぱいに繁殖した匍匐茎から伸びた花が一斉に狂い咲きして押しの強い花弁で地上を埋め尽くしたり、チャイコフスキーの第六交響曲の終楽章のメロディに乗ってロシアの春の泥濘から無数のストラヴィンスキーが湧き出てきたりする夢を毎晩見ながら、もう一度来るあの日を待っている。

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忘れ草、またはヤブカンゾウ 小此木センウ @KP20k

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