第5話
今日、ぼくは小林紀晴『父の感触』という本を読んだ。この本はニューヨークで起こった9.11同時多発テロの記憶と、小林紀晴自身の父が亡くなる過程が並行して展開するという興味深い構成を採った本だ。ぼくは実を言うと9.11に関する記憶はないし(当時はかなり呑んだくれていたし、そうでなくても仕事も私生活もメチャクチャだったので思い出せないのだ)、身内の死についても語れない。ただ、この本が「人生とは何だろう」という問いについて書かれたものであるとは思った。勝手なぼくの解釈に過ぎないかもしれないけれど。
人生とは何だろう……ぼくもいずれ死ぬ。ぼくは今47歳になるけれど、ぼくはこれまでの人生で築けたものがあまりにも乏しいことを思う。会社でも出世できていないし、私生活も小説を書こう書こうとしてそんな大したものを残せていない。子どももいないし、妻だっていない。ぼくは相変わらずこの歳になっても気ままな人生を過ごしている。ただ、どう生きようと死ぬ時は死ぬ、という厳粛な事実を受け容れて楽しく、大切に生きたいとも思っている。それが断酒してたどり着いたぼくなりの、ぼくらしい生き方だと思っている。
断酒してたどり着いた生き方ということを思うと、ぼくは多分このぼく自身を築くためにこの47年間を生きてきたと考えることもできるのではないかと思う。誰だったか、男の顔は履歴書ということを言った偉人がいたそうだ。でも、だったらぼくはそんなぼくの顔だけではなくこの身体が、そしてこの脳や心がぼくの財産ということになるのかもしれない。それはずっとぼくという人間と一緒に居続けてきたものだ。ぼくだってある意味多くの修羅場を潜ってきたけれど、その間ぼくの心と身体はずっとぼくの傍にあり続けた。そう思うとこれはすごいことだと思う。
なら、ぼくは悲観する必要はないのかもしれない。ぼくの財産であるぼく自身は今日も快調に動けている。今日も本を読んだ。そしてご飯を食べられた。美味しかったとも思い、今日も楽しく過ごせたとも思う。こうしてぼくがぼく自身の幸せにたどり着いたこと、そして享受できていることこそがぼくの人生の醍醐味かなとも思う。なら、ぼくは生きていてよかったとも言える。そしてそんな幸福は両親がぼくを生まなければ起こりえなかったことだ。その意味で両親にも感謝するし、周りの人にも感謝する。そうしてぼくは今日も1日の終わりを迎える。
Automatic For The People 踊る猫 @throbbingdiscocat
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