第4話

やっぱり自分はどん臭いなと思う。今日は夕食を食べた後断酒会に行き、そしてグループホームに戻ってきて時間が空いたので新しい本を読もうかと思って部屋を見渡した。でも、いつもならぼくの今の心に訴えかけてくる本があるのに、今は何もない。いや、どんな本も誰かに読まれることを求めているから存在するのだから深いことなど考えずに読めばいいだけの話なのだけれど、そうするとすでに今日一日でサリンジャーの短編集を読んだことに気付き、これ以上本を読むのは無理なのだろうなと思えてくるので、ではどう過ごしたらいいんだろうと途方に暮れたというわけだ。Discordでぼんやりチャットでもしようか。


今日読んだサリンジャーの本『彼女の思い出/逆さまの森』は、サリンジャーがまだ『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で有名になる前の短編を収めたものだ。初期の、レアな短編ということになる。サリンジャーという作家はこれまで「書くこと」「語ること」にこだわってきた印象を受ける。大雑把な印象でしかないのだけれどホールデン・コールフィールドはまさに饒舌に己を「語ること」を試みた人物だったし、彼の作品には他にも魅力的な「声」を持った語り手がたくさん居る。バナナフィッシュを描写したシーモア、死について説いたテディ、などなど。


ぼくもこんな風にして「書くこと」「語ること」を試みている。どうしてそんなことをするのだろう? ふとぼくは、こんな問いをぼく自身に投げかけてみる。でも、答えはわからないままだ。前はぼくは自分に才能があるからきっと「有名になれる」はずだと思って書いていた。俗欲にまみれていたわけだ。それは今だって変わっていない。ぼくが聖者になれるわけがない。でも、少しずつそういう「有名になれる」という思い込みを脱して別のことを考えるようになった。それは多分、ぼくがいずれ死ぬ存在であることをわかってきたからかなと思う。


ぼくは永遠に生きることはない。いずれ大事な人とは別れなければならない。それが定めというものだ。でも、そんな儚い人間関係や諸行無常の現実に抗って何かを残すことはできる。ぼくがこうして何事かを書くのは、多分ぼくという人間の自意識が過剰だからなのだと思う。ロングショットで捉えればぼくなんて天才でも何でもない、ただの人間だ。でも、ただの人間、数十億のうちのひとりでしかないぼくが何かを書き記しそれを世に問うた時、ぼくという人間の痕跡を(引っかき傷程度であれ)残すことはできる。そんなことを目論んでいる、と考えることができる。もちろん、それだけではないけれど。

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