第10話 黄口

 朝議の前夜。

 ヨンがコン将軍の元を訪れていた頃。


 看守を伴って黄庁おうちょうの官吏が二人、シン達の牢を訪れていた。

 牢には幾つか種類があり、それぞれ建物も異なる。

 二人が入れられたのは小さな石牢で拷問部屋と牢が二つしかないものだった。

 罪が確定する前の囚人が入れられる一時的な場所だ。


吏司部りしぶより通達を行う」

 灯りは看守が持つ松明のみで官吏の神妙な表情からレンは悪い想像をした。


 追放にでもなったら二度と玄試も受けられない。

 早く将軍になろうと功を焦ったのが裏目に出たか。


 レン同様、シンもそんな想像をしながらその場に跪いた。


「シンは将軍に昇格、明日の午後から兵舎の特別室へ移るように」

 その通達にシンは思わず顔を上げた。

「尚、明日の朝議にはこちらで用意した官服で参加するように。それからこの通達は明日の朝議で正式なものとなる故、口外せぬように」

「現将軍はどうなるのですか?」

「質問の前に通達を受けた時には拝するものですよ」

 官吏の眉間に皺が寄るのを見て、シンは慌てて深々と礼をした。

「牢とは言え、ここも宮中です。わきまえた言動をお願い致します」

 そう前置きをして、吏司部の官吏は一つ咳払いをした。

「人事に関する通達は本人のもののみしか許されておりません。その他の方々に関しては朝議の場で公にされますので参加して確認してください」

 それだけ答えて去ろうとする官吏にレンが「俺はっ?」と声を掛ける。

 振り返った官吏の顔は先程と同じく眉間に皺が寄っていた。


「……牢からは出られますが何も通達は預かっておりません故、人事に変更はございません」

「えぇっ? 俺だって同じ働きをしたのにシンは将軍で俺はこのままぁ?」

 ぼやくレンにシンが「レンッ」と小声でたしなめる。

 官吏の方はそのまま振り返りもせず去って行った。

 そして入れ替わりに松明を掲げた看守と衛兵がやって来て牢の鍵を開ける。


「着任式には身体検査があるらしいぞ」

 その声にシンは驚いた表情になり、レンは笑顔になる。

 よく見れば松明を持つ看守の顔も見知っていた。

「金があれば潜り込むのは簡単だな」

 ニヤリと笑う顔に「カイ」「ライ」と二人が安堵した声で呼ぶ。

「明日の朝議で着任式もやるらしい。だから式が終わるまで僕が仮面を着ける」

「でも背格好が……」

「朝議だからな。近衛部の人間は中には入れない。常に一緒にいない人間のことなんて多少のことは気づかないものだよ。極端に背が高かったり低かったりする訳でも太ってもいないから大丈夫」

 不安そうにするシンにカイが胸を張るとレンが「武芸の差は歴然としてるだろ」と痛い所を突く。

「着任式で武芸の披露はないから賊が乱入でもしない限り大丈夫」

 そう言いながらカイは着ている衣を脱ぎ始めた。

「お前も脱げ。入れ替わるぞ。朝議には高官が全員集まる。レンと一緒に入口に立って官吏の顔と名前を覚えろ」

 カイの言葉でその場で躊躇なく衣を脱ぎ始めたシンに松明を持つライが顔を背け、レンが急いで背を向ける。

 衣を入れ替え、最後に仮面をカイに渡すとカイは首を傾げた。

「やっぱり衣を変えただけじゃ駄目だな。レン、女官の衣を手配してやれ。レンが戻るまでそこの書庫にでも隠れてやり過ごせ」

「でもその前にここから出るのにバレるんじゃ……?」

「昼間なら兎も角、松明を持つライが先を歩けば分からないさ。それに収監するんじゃなくて釈放するんだ。手続きも終わってるんだし、誰も厳しく見ないさ」

 そのカイの言葉通り、衛兵達はカイとシンが入れ替わったと気づくことはなかった。


 三人と別れたシンは夜の闇に紛れて牢近くの書庫に忍び込んだ。

 無事に辿り着けたと安堵したのも束の間、暗い書庫内に人の気配を感じて動きを止めた。

 そのシンの首筋に横から短刀が突き付けられる。


「斯様な時刻に何用だ?」

 若い男の声音だが隙のない雰囲気にシンも密かに身構えた。

「ここは書庫ですから書物を取りに参りました」

 シンが平然と答えると声の主は鼻でわらった。

「看守が来る場所ではないと思うが、それ以前に灯りも持たず、足音も立てず忍び込む理由を問うている」

 そう言って首に短刀を突き付けたまま、声の主はシンの正面に回り込んだ。

 黄庁の官吏の衣をまとっているが無駄のない動きは玄庁の者を思わせる。


「そちらこそ灯りも点けずに斯様な場所で何をしておられるのです?」

 シンが問い返すと男は僅かに眉間に皺を寄せ、目を細めた。

「答える気はないのだな?」

 そう言うなり男は持っていた短刀の柄でシンの鳩尾みぞおちを狙ったがシンがその手首を掴みつつ、身を捻ってかわす。

 そこから互いに攻撃と防御を素早く繰り返し、気付けば短刀はシンの手にあり、その切っ先は男の首に向けられて互いの動きが止まった。


「その動き……仮面の男の仲間か?」

 男に問われ、シンは眉間に皺を寄せた。

 よく見るとその顔に見覚えがあったからだ。


 西の森で女と二人でいた男だ。

 宮中の者だったのか、それとも潜り込んでいるのか。

 ライに預けた後、どうなったのか聞いていないが目の前にいるということは解放したか逃げられたということだ。

 ライがいて逃げられるということはあり得ない。

 ならば解放しても大丈夫だと判断できる何かがあったのだ。

 もしくは解放して泳がせているのか。

 いずれにせよ、男の問いに正直に答える訳にはいかない。


「何の話だ? 人に素性を訊ねる時は先に自らの素性を明かすのが礼儀だと習わなかったか?」

 シラを切るシンに男はいぶかしむように目を細める。

「お前……まさか女なのか?」

 やや驚いた表情を見せ、次いで何か言おうと口を開きかけたところで鐘の音が響いた。

 二時間置きに鳴らされる時刻を告げる鐘だ。


「残念」

 そう言って男は懐から笛を出して吹いた。

 何の音も聞こえなったが、背後から犬の吠える声がし、シンが振り返るのとほぼ同時に書庫の戸を突き破って犬が一匹入って来た。

 黒く大きな犬は狼のように獰猛で首を狙って飛びかかって来るのを紙一重でかわし、直後周囲に視線をやると男の姿は消えていた。

 再度飛びかかって来た犬の鼻を殴り、怯んだところで書庫を飛び出す。

 と、風呂敷包みを抱えたレンと出くわし、その手を引いて走るよう促す。

 犬の唸り声にレンも状況を察し、咄嗟に近場の建物に飛び込んだ。


 異常に気付いた衛兵等が慌ただしく書庫へ駆けつけ周囲を警戒し始めたが、シンはレンが持って来た女官の衣に着替え、騒動に紛れてその場を切り抜けた。

 

 翌朝、朝議には仮面を着けたカイが参列した。

 宮中での男女比は圧倒的に男性が多く、女性は少ない。

 故に女官は目立つ。

 青庁せいちょう白庁びゃくちょうに女性はおらず、玄庁げんちょう暗司部あんしぶにのみ数名配属されているというが実のところは不明だ。

 黄庁おうちょうでも女官は後司部こうしぶのみだ。

 後司部は皇后や側室など女性の王族の世話をする者で構成されている為、ここに限っては女性が多く男性は少ない。

 主に女官がいるのは朱庁しゅちょうで食事、清掃、針仕事など奥向きの仕事があるところだ。

 それでも各職務の長は全て男性で重要な任は男性が担い、女官は彼らの指示に従って動く補佐的立場だ。

 式典など催事の場合は官吏の助手として駆り出されることもある。

 今回の朝議にも朱庁の女官が数名、黄庁の官吏の助手を務める形で参列する。

 シンも朱地に黒の刺繍の朱庁の衣で拝殿の入口に立った。

 流石に拝殿内には入れなかったが高官の顔と役職をレンと共に覚える。


 中の様子を伺い知ることはできなかったが、朝議が始まって間もなく、大きな騒めく声が漏れ聞こえた。

 シンが将軍になるということに驚いた声かと思ったが、任命式が行われた様子はなく、朝議も早々に終わった。

 最初に出て来たのは将軍と仮面を着けたカイで、二人は一緒に玄庁へと戻って行く。

 慌ててその後を追いかけようとしたのをレンが腕を掴んで止めた。


「女官は玄庁には入れないだろ」

「そうだけど」

「戻る時機はカイから連絡が来るはずだ。一先ず玄庁には俺が行く。お前は後司部の書庫へ行け」

「朱庁の衣で?」

「だからだよ。あそこは黄庁の女官だと入れないぞってカイが言ってた」

「初めからその計画だったの?」

「分かんないけどその衣は今夜中に返さないといけないらしいから探れるのは今だけだってよ」

 レンの言葉にシンは眉間に皺を寄せる。

「カイっていつもあんな感じなの?」

「あんなって?」

「指示だけして説明はしない」

「そうだよ。全部知ってたら何かあった時に計画が漏れる可能性があるだろ。それを防ぐためだ」

「……それも一理あるけどなんだか利用されてる気がする」

 シンが不服そうに言うとレンは「当たり前だろ」と呆れた声を出した。

「お互い利用し合ってる関係だって今頃理解したのか?」

 レンの言葉にシンは小さく頷いた。


 なんとなく仲間のような気分でいたからだ。

 自分の目的の為に協力してくれている仲間だと。


「それなら改めて言っとくけど俺はお前の為に動いているんじゃない。カイの為に動いている。お前を守るのもカイの命令だからだ。カイがお前に利用価値があると思ってる間だけ味方でいる。ただそれだけだ。それは俺達だけじゃない。特にこの宮中ってところは損得でしか動かない場所だ。ライだって結局、お前に何かしらの価値があるから一緒にいてくれるんだと思うぜ? 家族だって何だって人間はそんなもんだ。金だの愛だの何だの、何かしら価値があるから優しくしてくれる。だからお前の中のかび臭い理想は早く捨てろ」

 珍しく怖い表情で捲くし立てるレンにシンは僅かに驚いた。

 そして同時に喉の奥に魚の小骨が引っかかったような嫌な気分になった。


 そんなシンを置いて玄庁の方角へ走り去るレンの後ろ姿を見送って、シンは重い足取りで後司部へと向かった。


 初めて入る後司部の敷地内はとても華やかだった。

 玄庁の質素な造りとは真逆で柱や窓には繊細で優美な彫刻と彩色が施され、御伽噺の世界に紛れ込んだような錯覚さえ起こす。

 物珍しそうに周囲を見回すシンはふと自身に視線が注がれているのに気づいた。

 そして、その内の一人が何処かへと駆けて行く。


 その様子になるほど、と理解する。

 ここに自然と紛れ込むのは不可能だ。

 互いが互いを監視し、見知らぬ者の存在はすぐに報告対象として挙げられる。


「何かお探しかしらぁ?」

 ぽん、と背後から肩を叩かれ、振り返るとにこやかな笑みを湛えた女官が立っていた。

「あ、えっと……書庫で書物を探したいのですが」

「あら、どんな書物? 将軍の任命式は行わないと聞いてるけど他に何か近々式典ってあったかしら?」

「式典の準備の為ではありません。まだ朱庁に入って日が浅いので色々と学びたいのです」

「まぁ、熱心な方なのねぇ。でしたらわたくしが書庫までご案内致しますわ。私はリレンと申します。あなたは? 何と仰るの?」

 笑顔だがその目は笑っていない。

 明らかにシンを警戒している。


「私は……」

 口を開いたもののこの姿で名乗る名は持ち合わせていない。

 適当に名乗ってもすぐに調べられて嘘がバレるのは必至だ。

「どうなさったの? 何か不都合でも?」

 女官が笑顔のまま小首を傾げる。


 どうしたらいい?

 シンは必死にカイならどうするか考えた。

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