第21話 存在理由[Mars]

「……駄目だ。つい熱くなっちゃった」

 用事・・を済ませ、雑木林を引き返す最中、燿はそう独りごちた。

 己を鎮めるため、深く長い溜息を吐き出す。現状のように、感情的になった姿を仲間たちに見られるのは苦手だった。あの生意気で手が掛かる後輩たちには、尚更見せる訳にはいかない。

 後輩たちは未熟だ。故に、有事の際には、冷静に動ける保護者が付いていなければならない。――それが自分だ。自分はまだ、あの二人の世話役だから。

 幾らか落ち着いたところで、何やら頬に熱を感じた。そこでようやく、自分が怪我人であることを、他人事のように思い出した。

 いったん足を止め、先ほどとは別の溜息を吐きながら、早々と自己治療を済ませる。

 負傷はここ半年で三度目になる。自分史上、類を見ない回数だ。そして、その全てが同じ禁術ちからによるもの。三度目の術者はネルガル。一度目と二度目は――いや、回想はここまでにしよう。これ以上は危険だ。

 ああ、そうだ。そんなことよりも、重要な作業を失念していた。

 一応周囲に人の気配がないのを確認した後、燿はスマートフォンを取り出して、上司に報告の電話を掛けた。

「あ、ウラヌス。いま暇? ビッグニュースがあるんだけど」

 早々に通話に応じた上司に、燿は日頃の飄々とした声色で口火を切った。


 * *


 三〇一号室を覆う緊張。それは尽きることを知らない。

 リビングテーブルを囲んだ四人の男女は、酷く真剣な、或いは酷く冷めた表情で、テーブルの中心にそびえ立つ長方形のタワーを見据えている。とうに歪な外観となったタワーは、これ以上がないほど安定感を失っており、予断を許さない状態だった。

「い、樹君……。次って、あたしだよね?」

「うん。鈴だよ」

「うう……怖いよ」

「さっさと倒せ」

「渚君!?」

 遠回しに敗北を促す渚の言葉に、鈴は悲哀な気持ちを抑えられなかった。しかし、一時的に突き付けられた冷めた双眸に、何も言えなくなってしまう。

「まあまあ。そう怖がんなって。別に罰ゲームがある訳じゃねぇんだから」

 赤髪の大先輩が、鈴の真向かいから口を挟む。口調は素っ気ないものの、彼なりの気遣いなのは承知している。

「それはそうですけどー……」

「早くしねぇと、メルクリウスが逃げちまうぞ。そろそろスマホの禁断症状が出る頃だ」

「黙れアポロ」

 そんな程度の低い会話を交えながら、鈴たちは新たな暇潰しを続けてゆく。

 顎ひげ危機一髪。チャーリーをさがせ。そして、現在進行中のジェンガ。鈴たち同様に戦力外通告を受けたアポロが、ここに来る際に持ち込んだ物だ。

 聞くと、アポロも鈴たちと一緒に謹慎しているよう、ディアナから言い付けられたらしい。アポロの戦闘能力は、新米の鈴と大して変わらないとのことだ。人は見掛けに寄らない。

「じゃあ……やるね」

 今にも崩れそうなタワーに、鈴は小刻みに震える手を伸ばした。一番安全なパーツはどこか。そこの赤か。あそこの黄色か。いや、違う。目の前にあるこの青

 スマートフォンの着信音と、鈴の悲鳴が重なる。室内の空気を揺るがしたこれらは、場を支配していた緊張感を容易く破壊した。

 タワーが崩壊し、パーツというパーツがテーブルとカーペットの上にぶち撒かれた。その間も、着信音は鳴り続けている。

「待って待って待って! 今のなし! びっくりして、手が滑っただけだから!」

 慌てふためく鈴に、二人分の白い目が向けられる中、着信を受けたスマートフォンの持ち主が、素知らぬ顔で早々と通話を開始する。

「ウラヌスか。進展はどうだ?……は?」

 通話開始から十秒と待たず、アポロは顔を強張らせた。何かあったのは明白だ。鈴は樹と渚と共にアポロを注視しながら、通話の終わりを待った。

 が、結果的に待つまでもなかった。アポロが驚きの余り、通話相手の言葉を鸚鵡返ししたためだ。

「ネルガルが禁術を使っただと……!」

 リビング内が、水を打ったように静まり返った。


 * *


 雑木林の入口で、燿は一人の死神を見付けた。

「そこの君」

 あたかも逃げるように、足早に遠ざかって行く背中にすかさず声を掛けると、その死神は観念したのか、歩みを止めてこちらを振り返った。

 十代とも二十代ともつかない微妙な顔立ち。細身の青年。彼の表情はどことなく硬い。

 そんな青年の挙動などお構いなしに、燿は悠然と距離を詰めて行った。

「ひょっとして、君が最上階に住んでる死神?」

「……」

「メルクリウスとウェヌスが言ってた死神と、君の特徴が概ね一致してるからさ」

 青年は、すぐには答えなかった。悩んでいるのだろうか。必要もないのに。

 燿は質問を変えた。

「俺のこと知ってる?」

「……ええ。マルスさん、ですよね。橙色の子たちと同じ課の」

 青年はようやく応じた。口調は少々ぎこちない。

「そう。良かった」

「有名ですから。凄くお強いって」

「まあね」

 薄っぺらい賛辞に興味はない。適当に受け流しながら、燿はこちらの出方を探るような青年の視線を平然と受け止めた。そして、問う。

ネルガルをけしかけた・・・・・・・・・・の、君?」

 青年の顔色が変わる。図星か、そうでなくても、後ろめたい何かがあるのだろう。どちらにせよ、聞くことがまた増えた。

 青年は静かに視線を落とし、独白に近い口振りで答える。

「そんなつもりじゃなかったんだけどな……」

「じゃあ、どんなつもりだったの?」

 更に踏み込む燿。青年は顔を上げた。

「助言をしました」

「助言?」

「助言です」

「なんて?」

「『自由に生きれば良い』と」

 そう告白した青年の表情に、欺瞞は見受けられなかった。彼は至極真面目に、ありのままの真実を話している。

 沈黙。

 純粋で揺るぎない視線を、燿は無表情に見返す。

 燿はおもむろに口を開こうとしたが、青年の方が僅かに早かった。

「死んでしまったのは残念ですが、あれは彼が――ネルガルが自由に生きようとした結果なので」

「……だから、仕方がないって?」

 裏切り者になったのも。燿に粛清され、消滅したのも。

 青年はたちまち怪訝な顔・・・・になり、燿にこう尋ねた。

彼も覚悟の上だったのでは?・・・・・・・・・・・・・

 燿は、微動だにしない表情で黙した。浮かんで来た複数の感情を集約した言葉を、目の前の青年に送るまでは。

「君、ホンモノだね」

「え?」

 青年は間違いなく意味を理解出来ていないだろうが、燿としては一向に構わない。収穫はあった。

「大丈夫。何もしないよ。今はね」

 一方的に言い置き、燿は歩き出した。立ち尽くす青年の脇を平然と通過し、雑木林を後にした。

 ――裏切り者以外の死神を、無断で攻撃・・する訳にはいかない。これは決まり事だ。

 しかし、いつかその時が来たら、動かなければならない。他でもない自分自身が。

 それが、戦いしか取え柄のない自分の役目だ。



【To be continued】

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橙色の死神 福留幸 @hanazoetsukino

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