第20話 包囲網[後編]
自分の
最初はそれで充分だった。しかし、最初だけだ。いつからだったか。満たされなくなったのは。足りなくなったのは。
もっと、もっとだ。もっと殺さなければ。血と死肉を見なければ。自分が自分でなくなってしまう。
ならば――
殺した。思うがままに死神をいたぶり、殺した。
死神狩りとして、新たな快楽に浸っていた。当然ながら、粛清対象として追われる身になったが、望むところだ。誰も彼も返り討ちにするまでだ。
自信はあった。事実、今日までそうしてきた。なのに――
「あとは君だけだよ」
いつの間に接近されたのか。背後から聞こえた緊張感のない声に、怖気が走った。声とは対局線上にある、圧倒的な
クヌギの木枝の上で振り向く。目の前に
「ひっ……!」
赤くまばゆい光を纏った大鎌が、すぐ傍まで来ている。心臓を鷲掴みにされたような、氷柱に貫かれたような感覚が――凝縮された絶望が肺から漏れた。
無我夢中だった。正常な思考が塵と化した今、防衛本能だけが自分の命を救う砦だ。
体を捻って、下方から攻撃者の大鎌をいなした。が、これで済むほど甘くはなかった。
自分の左肘から先が
迸る絶叫。絶叫を伴い、傾いていく自分の体。死神として生まれ変わって以来、初めて感じた自らの『死』。
矢継ぎ早に蹴り落とされ、背中から地面に衝突した自分の前方に、攻撃者が降り立った。ひょいと軽い身のこなし。変わらず、そこに緊張感はない。
茶髪で長身の男。朦朧とした意識の中で、辛うじて認識出来た攻撃者の身形だ。
「せっかく即死させてあげようと思ったのに。損だよね。中途半端に強い人って」
軽やかに笑む攻撃者。しかし、目は全く笑っていない。
「く……っ」
平衡感覚が失われた体を酷使し、大鎌の柄を突いて立ち上がった。
たとえ勝てなくても、逃げられなくても、このまま終われはしない。これは意地だ。周りを圧倒する力で、表面上の仲間たちとともに死神を殺して回った自分の――ネルガルとしてのプライドが、なんの成果も得られずに終わる結末を許さなかった。
「まだやんの? 頑張るねぇ」
心の込もっていない軽薄な声音を伴い、攻撃者が距離を詰めて来る。
終われない。終われるものか。残された手立ては一つ。分け与えられた
「……喰らえ」
「ん? なんか言」
最後まで聞く気はなかった。
腕一本で大鎌を握り締め、死に物狂いで刃を突き出した。瞬間、黒い光が攻撃者目掛けて
遭遇して以来、初めて攻撃者の顔色が変わった。一瞬動きが止まり――しかし、すぐに我に返って、向かって左側へ飛びのく。やはり、まともに喰らってくれる筈はないか。
ただ、自分にとって幸いだったのが、この不意打ちが全くの無意味ではなかったことだ。
草葉に散った少量の血は、攻撃者のもの。彼の頬に刻まれた細い傷は、自分の心をほんの少し軽くしてくれた。あの程度とはいえ、一矢報いることが叶ったのだから。
もうこれでよしとしよう。自分は精一杯やった。プライドは既にズタズタだ。あとは何をする必要もない。殺されて終わりだ。
ゆっくりと膝を突く。死を受け入れるために。
攻撃者がこちらへやって来る。間もなくだ。間もなく自分は殺され、消滅する。
「ねえ」
地を這うように低く、重い声。先の軽薄な声とは一線を画す、抗いがたい威圧感を伴った声。
悪寒が体中を駆け巡った。頭の中で警鐘が鳴り響き、心が悲鳴を上げた。攻撃者の
確信に時間は掛からなかった。今の攻撃者は、
不意を突かれたとか、怪我をさせられたとか、そんな単純な理由ではない気がした。もっと深い所から湧き上がる、激しい感情。けれど、それがなんなのか、自分には知る術がない。
「今のは何?」
凄まじい威圧。恐ろしい空気を纏ったまま、攻撃者はこちらの胸板に強烈な蹴りを入れてきた。
「がっ!」
また背中から叩き付けられて、一時息が出来なくなる。肉体と精神を蝕む、目の前の脅威。覆しようのない実力と苛烈さが、地獄を見せてくる。
「どうして君が禁術を使えるの?」
「――!」
攻撃者が振りかざした大鎌の切っ先が、こちらの胴体に深々と突き刺さった。骨と肉が破壊される感覚に、痛みすら忘れて絶叫した。
この時、心臓をひと突きされていれば、どんなに良かっただろう。こうして急所を外れたのが、偶然である筈がない。
「質問に答えて」
「だ、れが……教える、かよ……!」
歯を食い縛り、なけなしの意地で
「答えて」
体内のどことも判別出来ない臓器がぐにゃりと位置を変えた。自分の口が、ごぼっ、と生々しい水音を立てて、血と泡を吐き出した。
「まだ? 俺、じっとしてるの嫌いなんだよね」
攻撃者の声は、一定のトーンをたもっている。これが、今は怖くて堪らない。
「殺せよ……さっさと、おれを……は、やく……っ」
「
死刑宣告よりも、おぞましい言葉だった。
手放したい命を、生を押し付けられる苦痛。それは、今日まで見てきたどの悪夢よりも、
* *
藍色たちの世話役とネルガルの動向を、遠くから見守っていた少女がいる。
「……これはもう、内側から壊すしかなさそうね」
特別な表情もなく、そう淡泊に呟いた後、少女は身を翻し、歩き出した。振り返らなかった。
動向の結末に興味はない。死神狩りという一つの
【To be continued】
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